ヴェーラ編第一部「歌姫は幻影と歌う」

―試し読み用ページでは、「プロローグ」の三話をお読みいただけます―

#00-プロローグ

#00-0: アウフタクト

02.赤毛の少女

 あの日――。

 思い出したくもない、あの日。

「うんざりする」

 今見ていたものが夢だとわかっていても。

 首を振り、ようやくベッドから起き上がった少女は、部屋の様子をしげしげと眺めまわした。見慣れない部屋、見慣れない家具。ベッドの近くの本棚は、まだ空だ。小さなキッチンには部屋の備品である湯沸かしポットと、自分で持ってきたマグカップがぽつんと一つ。

「転校初日だっていうのに……」

 少女は見事に赤い頭髪に手をやりながら呟いた。

 そして朝食用に昨夜調達しておいた菓子パンの袋を開け、インスタントコーヒーを作る。

 テレビもないので、沈黙した部屋の中で黙々とパンとコーヒーを胃に流し込む。三分程度で食事を終えると、寝巻代わりに着ていたジャージを脱ぎ捨てて、真新しい士官学校の制服を身に着けた。

 ざっくりと身だしなみを整え、最後に洗面所の鏡で髪型をチェックする。その鮮烈なほどの赤毛は、短くしていることもあって所々がどうしても跳ねる。もういっそベリーショートにしてやろうかと思うことも度々あったが、いざその時になると怖気づいてしまうしまうため、未だに短め・・という領域から抜け出せていない。少女は十八歳だったが、未だ化粧はしたことがない。しかしそれでもなお、誰もが二度見するほどの肌理きめの細かな白い肌と、鋭利な輝きを持つ紺色の瞳、よく整った目鼻立ちが持つ雰囲気は、間違いなく美貌に属するものと言えた。

 彼女の特徴はそれだけではない。彼女は並外れた高身長の持ち主だった。百八十五センチにもなる。手足も長く、頭は小さい。一言で言えばスーパーモデルのようなシルエットの持ち主だった。

 成績も優秀で、昨年度までいたユーメラの士官学校では同期の中では五本指に入るほどの結果を残していた。それだけに、何故今この時期に転校を命じられたのか、今一つ納得がいかない所でもあった。だが、少女は命令には従順だったし、そもそも彼女の立場では「拒否」という選択肢はそもそもない。かくして、少女は士官学校の総本山とも言えるヤーグベルテ統合首都校へやって来た。今は士官学校の敷地内にある寮の一室を与えられている。

 携帯端末の時計を見て、少し早めに部屋を出た。

「あら、早いのね」

 玄関の近くで寮の管理人が声を掛けてきた。眼鏡をかけた中年の女性である。恐らくは退役軍人だろうなと少女は見当をつけている。管理人は少女の完璧なまでの美貌をしげしげと見つめ、そしてやや上――天井灯のあたりを見上げながら言った。

「ええと、メラル……」
「カティ・メラルティンです」
「ああ、そう、カティね」

 管理人はそこから何か言葉を続けようとしたが、少女――カティ――は足早にその場を去っていた。彼女にとって、他人とのコミュニケーションは苦痛だったし、苦手だった。容姿に触れられるのも嫌だったし、過去に触れられるのはもはや禁忌と言っても良いくらいだった。会話をすれば、話題は必然的にどちらかに及ぶ。とりわけ過去を思い出す事は、カティにとっては拷問に近い。

 だからカティは基本的には仏頂面だったし、自分から話しかけることなど誰に対してもあり得なかった。話しかけられても無視こそしないが、すぐに会話を終わらせる。それには彼女の高身長が役に立った。黙っていてもプレッシャーを掛けられるので、よほどの奇特な人物でもない限り、進んでカティと長々とコミュニケーションをしようなどと考える人物はいなかった。

 外に出ると、十月の風が吹いていた。ヤーグベルテ統合首都は緯度が高いため、十月ともなれば寒いくらいだ。あと一ヶ月もすれば雪が降る。

 カティは「コートくらいどこかで調達してくればよかった」と少しだけ後悔しながら、遠くに見える校舎まで走った。

 遠くなるカティの背中を眺める視線があった。

「ミスティルテイン……か」

 その視線の主は、何故だかすごく退屈そうに、そう言った。