ええと……これは、つまり?
完全に、迷子になっちゃったってこと……なのかな?
ゲートの開場を待ちわびる人々の喧騒の中で、私は一人途方に暮れている。
未だ蒸し暑いコンサート会場前広場。見たことがないくらいに広いその空間に、見たことがないくらいの大勢の人がいる。そんな中に私という迷子が、ひょいと登場したというわけだ。
一時間前の戦争犠牲者の追悼セレモニーの終わりまでは、施設の職員さんや同じ施設の子たちと一緒にいたのだ。だけど、少しぼんやりしているうちに彼らの姿はふわりと消えてしまった。それ自体はまぁ、ほら、よくあることなんだけど。
問題は、私は「戦災孤児施設枠」でこのコンサートに招待されてるっていうこと。つまり、職員さんの持つ認証チケットがないと会場には入れないわけだ。そして職員さんは、いちいち迷子を探したりしない。私の目覚まし時計を賭けてもいい。
「兵隊さんがたくさんだなぁ」
見回して呟いてみたが、兵隊さんだらけなのは当然だ。この国にたったの二人しかいない歌姫が、今ここにいる。そして私は、その二人のコンサートを観るために、はるばるやって来たんだ。
今までで一番楽しみにしてたのに――思うほど悔しさが増してくる。
四歳の時に大空襲を受けて故郷の町を地図から消された私は、それからずっと施設にいる。もう六年目だけど、一刻も早く施設から出たいと毎日思っている。けれど、この国の法律で、あと六年くらいは出られないそうだ。やれやれだ。
そんなふうに会場前の広場に座り込んで、下草をぶちぶちと千切っているうちに、開場のアナウンスが聞こえてきた。ここまで来ておきながら、歌姫の顔を見ることもできないなんて。千切られた草がぬるい風に散らかされていく。
「よっ!」
そんな私の隣に、見たことのない女の子が座った。私と同じように肩口まで伸びた髪は、ピンク……いや、ストロベリーブロンドとかいう色だ。デニム地のショートパンツから覗く素足は白くて長い。着ているパリっとした白いTシャツには、翼ある美女の線画がプリントされていた。
前面にいるのはヴェーラ・グリエールだった。背中側にはレベッカ・アーメリングの顔がプリントされているに違いなかった。何度も何度も何度も何度も、ファンクラブ専用の通販サイトで見たTシャツだから間違いない。
そしてこのヴェーラとレベッカこそ、今まさにこの会場の中にいる歌姫だった。ヴェーラとレベッカは、最強の軍人にして、アイドルだ。それこそ全国民が恋い焦がれるほどの――もちろん私もその一人だ。
「あの、そっ、そのシャツってファンクラブの、だよね……?」
私はその子のTシャツを凝視しながらそう訊いていた。その子は「そうだよ!」と笑いながら答えてくれた。
「いいなぁ」
職員さんにお願いしようとはしたけど、結局あきらめた。私のためにお金を使ってくれるとはひとつも思えなかったからだ。でも——。
「あははっ! みーんな会場に吸い込まれて行っちゃったねぇ!」
私のモヤモヤなんてなんのその、その子は褐色の瞳でコンサート会場の入口を見ながら笑う。この状況でどうして笑っていられるのかが不思議だ。というか、この子はコンサートに行かないのだろうか?
「あたし、アルマっていうんだ。黒髪ちゃん、あんたは?」
「あ、えっと、私、マリオン」
なしくずし的に個人情報を教えてしまう私。アルマはピンクの髪を揺らしながらニカッと笑った。
「マリオン……あー、うん。それなら、マリーって呼ぶよ!」
「う、うん」
勢いに飲まれて頷いてしまう。アルマは間髪入れずに身を乗り出してくる。
「多分、あたしもマリーと同じ。戦災孤児支援活動云々キャンペーンとかいうのでさ! で、あんたも施設の職員とはぐれたんでしょ!」
「う、うん」
「わかるよ、マリーの気持ちわかるよぉ」
アルマはそう言って、なぜか私に密着してきて肩を抱いてきた。思わず硬直する私だ。そもそも、スキンシップに慣れてない。誰かの体温をこんなにも感じたのなんて、いったいいつぶりだろう。
アルマは会場の上空を飛んでいる警備ドローンを見ながら囁く。
「あたしさ、インスマウスとかいうやつの空襲で、家族も友達もみーんな死んじゃってさ。レピア市っていう町だったらしいけど」
「え、わ、私も! そいつに町ごと……。四歳の時。アレミアっていう町だって――」
「あ! そうなんだ! じゃぁ、あたしたち、あの八都市空襲の被害者同士だ。それで、年も同じ。あたしも十歳!」
アルマは私の肩をぽんぽんと叩く。見知らぬ私を相手にして、これっぽっちも警戒してない様子のアルマに、私はペースを乱されている。まるで親友と再会したかのような――そんな経験ないけど――そんな気持ちになっていた。
「うーん、やっぱ鉄板の迷子センターかな!」
「でも、職員さん来ないと思う……」
逆に迷子センターにいるとわかったら、職員さんは絶対に助けになんて来ない。来るはずがない。
「まーまー、気持ちはわかるよ、マリー。でもさ! だからこそ、今はぶちぶち草刈りしてるだけじゃダメなんじゃない?」
「でも、それでダメだったら……」
「その方法じゃダメだってことがわかるだけじゃん!」
……そうかもしれない。その力強い思考回路を少し分けてほしいなと思った。
ため息ひとつ。その時――。
「おっ? おおっ?」
アルマが額に手を当てて声をあげて、ぴょんと立ち上がった。
「もしかしてあたしたち、ラッキーかもしれないよ、マリー」
「えっ?」
「見て。あそこにいる黒い服の女の人」
「あ、一人だけ服が違うね。兵隊さんじゃない、よね?」
「他の兵隊さんは海軍陸戦隊。あの黒い服の人は参謀部の人」
「さんぼーぶ?」
「歌姫のことは参謀部第六課が仕切ってるの。知らないの?」
あ、そうか。言われて思い出した。でもあまり関心がないから、参謀部って何なのか……とか、よくわからない。
「しかもあの階級章! 大佐だ! これはやっぱラッキーかも!」
興奮するアルマ。私は階級章を見ても階級なんてわからない。大佐というのがどのくらい偉いのかもよくわからない。
「あれ? でも参謀部第六課の大佐って、ルフェーブル大佐しかいないはずだけど、違う課なのかな?」
「ルフェーブル大佐って、よくニュースに出てくる逃がし屋って人?」
「あ、うん。だけど、あの人は違うよ、絶対」
アルマはそう言いながら、さっさとその大佐さんという人のところへ向かってしまう。私は慌てて追いかける。
「あのぅ!」
アルマの呼びかけに、その女性の大佐さんが気付く。私はアルマの隣に立って、アルマと大佐さんを見比べた。
「あらあら」
大佐さんはセミロングの黒髪を靡かせて、目を細めた。笑ったような気がする。
「どうしたの? 小さな歌姫さんたち」
「あたしたち、戦災孤児支援活動キャンペーンに当選した施設から来たんですけど、職員たちとはぐれてしまって。あの、これ連絡先なんですけど、出てくれなくて」
アルマはポケットから紙切れを出して、ハキハキと説明した。私も預かっていた走り書きを肩掛けカバンから取り出した。少し手が震えていたことに、自分でびっくりした。
大佐さんはメモを確認して頷いた。
「この混雑具合じゃぁ着信には気付かれないわね、きっと」
「会場、やっぱり無理、ですよね?」
私が訊くと、大佐さんは首を振った。
「とんでもない」
え?
「あなたたちの席はちゃんとあるわよ」
ええ?
「心配しないでいいわ。マリオン・シン・ブラック。それに、アルマ・アントネスク」
「へっ?」
私たちは同時に声を出して、顔を見合わせた。
私たちでさえ、今初めてお互いのフルネームを知った。
「ど、どうして私たちの名前を?」
「さぁ、どうしてでしょうね?」
大佐さんはまた微笑んだ。アルマが首を傾げる。
「あたしたちの席って、どういうことですか?」
「そうね。そう。あなたたちの席は、いつだって最前列中央よ」
「えええ!?」
私たちはまた同時に変な声を出してしまう。聞き間違えたかと思ったが、大佐さんはすぐに言葉を繋げる。
「あなたたちが嫌だと言っても、あなたたちは常に最前列中央にあるべきなのよ」
「え、でも、最高の席なんて、私には……」
――もったいない。そう言おうとしたが、それは大佐さんの微笑で阻まれた。
「いいえ。そここそ、あなたたちに相応しい場所なのよ」
大佐さんは少し寂しそうに、そう言った。
そういえば、私の大佐さんについての記憶は、ここで終わっている。
――顔も、声も、思い出せない。