01-1-3:過去の人はもうあなたの中でしか生きられないの。

歌姫は壮烈に舞う

 

 《あれだけやられて》――ヴェーラのその言葉を受けて、カティは息を飲む。アーシュオンの繰り出してきた超兵器たちによって、ヤーグベルテは何十万もの生命を喪失した。負傷者はその数倍になる。核兵器さえ炸裂させられたヤーグベルテの国防態勢はもはやボロボロだった。

 そしてその最中、カティはヨーンというかけがえのない人間を失った。親友だったエレナに至っては、――カティ、ヴェーラ、レベッカを除いては。そんな不可解な事が起こるはずがないとカティは強く信じていたが、しかしそれは事実だった。カティがアクセスできるどの記録にも、エレナ・ジュバイルという名前は残っていなかったのだ。

 アタシだってアーシュオンをただで済ますつもりはない――カティは強く両手を握りしめる。爪が手のひらに食い込むその痛みは、なぜだか少し心地よかった。

 エディットは再び冷蔵庫のところまで移動して、二本目の缶ビールを取り出した。そしてその場で半分ほどを煽る。

「ふぅ」

 エディットは一息つくと、その義眼でカティを見つめた。カティは思わず背筋を伸ばして見つめ返す。エディットはほんの僅かに目を細め、またビールの缶に口を付けた。

 参謀部第六課統括であるエディット・ルフェーブル大佐は、参謀部内のほぼすべての情報に対するアクセス権を有している。知らないことはない。よって、参謀部、ひいては軍に於けるほぼすべての機密事項を掌握しているとも言える。そして今、彼女は歌姫計画セイレネス・シーケンスという重要なプロジェクトの責任者である。その計画が後に大量の流血を招くものであることもまた、彼女は十分に認識していた。そしてその流血は、ヴェーラとレベッカによって引き起こされるものであることも。

 カティもまたその事実に薄々勘付いていた。エディットがヴェーラとレベッカの保護者、そしてカティの後ろ盾のようなものになったこともまた、それに関係しているのだということも。軍隊が善意や慈愛で動くものではないことなど、カティはとっくに知っている。全ては計画と打算によって作られている。

「カティ」

 エディットは少し微笑んだ。その微笑みさえ、もしかしたら――カティは勘繰ってしまう。そんな険しい表情のカティに、エディットはなおも微笑む。

「私はずるい大人の一人かもしれないけど、あなたたちに対する気持ちに嘘はないわよ。家族なんて一生できないって諦めていたけど、思わぬプレゼントを貰ったと思っているわ」
「でも、軍の計画に利用はするんでしょ」

 口を挟んだのはヴェーラだった。エディットは「イエス」と短く肯定する。

「それはそれ、これはこれ。だからこそ、私はオンとオフをハッキリ切り替えているの」
「うん」

 ヴェーラは頷いた。

「その方がわたしたちも気が楽。仕方ないよね」
「謝らないわよ?」
「謝らなくていいよ?」

 ヴェーラは頭をポリポリと掻いた。

「アーシュオンからこの国ヤーグベルテを守る。わたしたちはそのためなら大抵のことはするよ」
「守るためなら、ですけど」

 レベッカが珍しく棘のある声を出した。エディットは苦笑する。

「セイレネスの力をもって逆襲に出る可能性について言っている?」
「なくはないですよね?」
「私の口からはイエスともノーとも言えないけど、でも、それを決めるのはヤーグベルテの国民じゃないかしら? 私たちは文民統制シビリアンコントロールの大原則の下に動いている。政権がどう判断するかで、私の管轄している計画たちは全て変わってくるの」

 それは理解できる。カティは黙って頷く。軍が都合だ計画だを政治に押し付け始めたら、民主国家は瓦解する。それは決して良い未来には結びつくものではない。

 そんなカティを見て、エディットは小さく息を吐く。

「カティ。できることをね、やるしかないのよ。私たちは」
「……?」

 意図を読みきれず、カティは首を知らず眉根を寄せていた。エディットはカティの目の前のソファに腰を下ろすと、テーブルにもうほとんど空になっているビールの缶を置いた。

「カティは、アーシュオンに復讐したい?」
「いえ」

 即答する。エディットは意外そうな表情を浮かべて腕を組む。

「アタシが憎いのは、あの男だけです。あの男があの後どうなったかわかりませんが、もし相見あいまみえたら、必ず――」
「殺す?」
「はい」

 カティは紺色の瞳を鋭く光らせる。あの男がカティから何もかもを奪ったのだ。ありとあらゆる憎悪を込めて、今でも呪っている。

「復讐心を抑えろなんて野暮なことは言わないわよ。私だってあいつらにアンディを殺されているもの。だからむしろ、カティ。あなたには私の復讐も肩代わりしてもらいたいくらい」

 エディットはビールを飲み干すと空の缶をテーブルに置いた。

「でもねカティ。過去ばかりに囚われてはだめよ。あなたの過去は、十数年前のあの事件からずっと暗くて重たいもの。私なんかよりもずっと辛い思いをしてきたことも理解しているわ。今だって毎晩うなされているのを知っている。楽しいこと、幸せなことへの罪悪感と戦わされていることも知っているわ」

 その言葉に、カティはうつむいた。エディットはレベッカが気を利かせて運んできた三本目のビールを手にとって、少し掲げる。

「変えられないのよ、過去は。変えられない。そして過去は足首を掴んでくる。未来に向かわせないように、あの手この手で罠を仕掛けてくるの。だからあなたはそれを踏まえて、過去を自分の一部にしないとだめ。あなたの中では、まだ過去が自分とは別のものだから、暗い方へ暗い方へと引きずり込まれるのよ。過去から逃げるなと言うわけじゃないわ。過去を利用しろと言っているの。理解できる?」
「でもそれは……難しいです」
「いろんな人を踏み台にするみたいで?」
「かもしれません」

 家族、エレナ、そしてヨーン。彼らの犠牲の上に生かされている自分が――。

「過去は過去よ。あなたがあなた自身の過去に遠慮する必要なんて、一つもない。それにね、過去の人はもうあなたの中でしか生きられないの。だったら、あなたは彼らをちゃんと自分の中に生かしてあげたほうが良いと思うわ」

 アタシの中でしか生きられない。カティはその言葉を心の中で繰り返す。

「カティ」

 エディットはソファの後ろに回り込んで、背中からカティを抱きしめた。火傷にまみれた顔がカティに近づく。半ば以上作り物の頭髪がゆらりと揺れる。

「過去が辛いのは、あなたが今まで一生懸命生き抜いてきたから、なのよ。だからその過去を殺してしまってはダメ。生きてきた証なの、過去は。辛い過去や苦しい過去は、あなたが必死に頑張ってきた証なの。だから、殺してはダメ。そんなことしたら、過去に泣いたり絶望したり怒ったりした自分が、全て無かったことにされしまう。そんなの、その時の自分が可哀想過ぎるでしょ?」
「その時の自分が……?」
「そう。その時の自分。今のあなたから見れば、過去のあなた。過去はあなたの足を引っ張り、気持ちを折りに来る。だけど、過去のあなたは、今のあなたが躓いたり心折られたりしている未来を望むかしら? 必死に生き抜いて生き延びて生きてきた過去のあなたが、未来の闇を望むと思う?」

 抱きしめられたまま、カティは首を振った。

「でも、アタシは……苦しいから」
「あなたは答えを知っている」

 エディットは囁いた。カティはハッとしたように目を見開く。

「ヨーンも、エレナっていう子も、しょぼくれたあなたなんて見たくないって思ってるって。あなたもわかってる」
「それは……」

 そうなのだ。カティもそんなことはわかっていた。

「でも、この気持ちをどうしたらいいか、わからないんです」

 カティの目から涙がこぼれた。唇を噛みしめるも、震えを隠すことはできていない。

「私、軍人としての私は、あなたを利用させてもらうわよ、カティ」
「……?」
「あなた、利用されっぱなしで満足? 納得できる? 他人に振り回されて使い捨てにされる人生でいいと思う?」
「それは、イヤです」

 それは明確に、ヨーンたちが望むものではない。カティはハッキリと首を振った。

「オーケー。でも残念。あなたが利用されるのは決定事項。私はドライにやらせてもらう。けどね、あなたが私たちを利用しちゃいけないってことはないわ。悔しければ、誰にも負けないくらい強くなれば良い。というわけで、私はあなたを上手く使わせてもらうから、あなたもそうしなさい。等価交換ってやつよ。その方が気楽でしょ。損してちゃダメよ」
「わかり、ました」

 カティはモゴモゴと答えたが、エディットは納得しなかった。

「返事はハッキリ。カティ、イエスだろうがノーだろうが、それがあなたの決断であるのならば、あなたは常に胸を張るべきよ。いい、わかった?」
「はい」

 カティは背中にエディットの体温を感じながら、努めて強く答えた。エディットはそのガサガサの手でカティの頬に触れると、カティの前のソファに戻った。

「この話はここで終わりにしましょ、とりあえず」
「はい、大――」
「家では禁止って言ったでしょ。私のホロ酔いを覚ましたら、ひっぱたくわよ?」
「……ごめんなさい」
「すぐ謝らない」

 エディットはそう言って苦笑を見せ、しばし思案した。

「そうね、姉さんってどうかしら。いや、姉さんがいいわね。姉さんって呼んで。年齢差は――ま、許容範囲でしょ」
「たしかぁ、十……」
「ヴェーラ」

 年齢に言及しようとしたヴェーラを、エディットが鋭くたしなめた。ヴェーラは舌を出して前髪を指でくるくると巻いた。その横ではカティが大真面目に考え込んでいる。

「姉、さん……?」
「そ。呼びやすいでしょ?」

 そう言いつつ、エディットはカティにも姉がいた事を思い出す。

「嫌だった?」
「いえ、それは別に」

 カティはその質問の意図を正確に読み取って否定する。

「じゃ、じゃぁ、姉、さん」
「ぶはっ」

 ヴェーラが吹き出した。

「固いよ、カティさん」
「し、仕方ないだろ」
「そうよヴェーラ。カティだって頑張ってるんだから」

 レベッカが支援射撃を行ってきたが、若干誤射フレンドリーファイア気味だった。カティはうなだれてしまっていた。そんなカティをヴェーラとレベッカが両サイドからさすったりしている。エディットは立ち上がると四本目のビールを取りに移動する。

「カティ。あなたは私の家族よ。大事な家族なの。経緯はどうあれ、結果はそうなの。いい?」
「はい、姉さん」
「よろしい」

 エディットは頷くと解散を宣言し、三人を二階の自室へと移動させた。

「アンディ」

 リビングのドアを眺めながら、エディットは小さく呼びかけた。

「あなたが過去になるなんて、私にはまだ受け入れられていないのよ、正直」

 膨大な時間をともに過ごした愛する人――その事実はエディットには重たかった。

「私にあんなことを言う資格があったのかなぁ。どう思う、アンディ」

 酔っ払っているのは理解している。だが、そうであるからこそ、エディットはかつての恋人の言葉を聞けている。幻想であると理解しながらも、それを受け入れられている。

「あなたが生きていてくれたら、きっともっと違う家族の形になっていたわよね」

 ばか。

 エディットは小さく呟いて、ビールをそっと冷蔵庫に戻した。

 ばかなんだから――。

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