キリス・オヴェロニア編-Fragments

断片-キリス編

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キリス編とは?

「セイレネス・ロンド」は、ヴェーラ編マリオン編(静心)→キリス編と続く予定でしたが、実際の所「マリオン編」第一部でおしまいとなりました。「キリス編」は、ほぼ確実に日の目を見ることのないパートですが、先日色々あってツイッターにて断片情報フラグメントを出したりしたので、せっかくなので残しておきますよ。

キリス編(とマリオン編の残り)は、奇跡でも起きない限りは小説という形にはなれません。が、このように断片的な情報はちょいちょい。数年以内にセルフコミカライズに入って、あわよくばキリス編も形にしたいと思っていたりします。なかなか絵のスキルが上がらなくて困っていますがorz

なお、時系列とか、どのパートの話とか、そういうのはバラバラです。そもそも本編を組む前に小説活動終わってしまったので(゜¬゜) また、即興ツイッターなので色々表現足りない箇所とかありますが、そこはそれでご容赦を。140文字ってのはなかなかね。と言いつつ、ちょっとだけ加筆しましたけどね。

キリス編断片化情報

fragment 01

「キリス・オヴェロニアです、総司令官。これからしばらくお世話になります」
 緊張を隠せない白金の髪プラチナブロンドの少女の手を私は握る。
「プライベートではね、私のことはマリー、彼女のことはレオンって呼んで」
「レオナ……まぁいいか」
 私のパートナーは何か言いかけてやめる。

fragment 02

 レオンは早朝から落ち着かない。立ち上がっては窓の外を眺め、戻ってきてはまた座る。私はその繰り返し運動を眺めつつ、いつものインスタントコーヒーを飲み、約束の時間を待っている。
「昨日は私たちの生活がぁとか言ってたのに。実は楽しみなんだよね?」
 私の意地悪な言葉にレオンは腕を組む。

fragment 03

「あの、そっ、総司令官!」
「マリー」
「マ、マリー……とは呼べません、私」
「どうして?」
「その、馴れ馴れしいとかそういう」
「うーん……じゃぁ、お母さん?」
「お、おか、おかあさん?」
 年齢差は十二。ちょっと無理があるか……。ふむ、と顎に手をやって考えてみる。
「姉さん、なら?」
「マリー姉さん……ですか?」
「マリーより良くない?」
「わかりました、総司令官!」
「マリー姉さん」
「えっと……そうだ。お姉ちゃんではダメですか?」
 思わぬ言葉に私はつんのめる。隣に座っているレオンは喉の奥で笑っている。レオンは言う。
「プライベートならいいんじゃない?」

fragment 04

 いよいよキリスの初陣だ。歌姫専用戦闘艦セイレネスドラグニアの新型艦・領域制圧艦ドミネイターアタラクシアが私たちの艦の前方に滑らかに進み出る。銀青色グレイシャーブルーのセイレネス発動色なんて初めて見た。
『総司令官、アタラクシア、いつでも!』
 私は一つ息を吸う。唇が少しひりつく中、号令を下す。
「全艦、戦闘行動開始!」
 キリスの手が血に染まってしまう。私は、しかし――。

fragment 05

「ヴェーラに似てるって、最近よく言われる」
 キリスは少し不満げな顔をして私に言う。私は今、キリスのこの美しい髪の毛をどう編み上げてやろうかと思案中だ。
「ヴェーラって、あの反乱起こした人でしょ」
「反乱か……」
 私はあの戦いを思い出して、ため息をついた。そう、それは事実だからだ。

fragment 06

「ヴェーラもレベッカも、素晴らしい人だったんだよ、キリス」
「レベッカはわかるけど、でもヴェーラはレベッカも殺したんでしょう?」
「うん、そう。それは事実。でも」
 私は言葉に詰まってしまう。
「あ、あの、お姉ちゃん。ご、ごめん」
 謝られて、初めて泣いていることに気付く私。天井を見上げて鼻をすする。

fragment 07

 キリスの初陣は圧倒的だった。間違いない、キリスは私やアルマよりも歌姫セイレーンとしての能力が高い。アタラクシアの性能云々以前に、キリスの圧倒的な領域ドメイン制圧力を感じた。キリスの操った戦闘端末アグレシヴノーズは、「空の女帝エアリアル・エンプレス」メラルティン大佐いわく、一機一機がエウロスクラスの戦闘力ということだった。

fragment 08

 玄関に出ると、キリスとカワセ大佐が並んでいた。
「顔を合わせるのは久しぶりね、マリー」
「カワセ大佐、わざわざすみません。ご連絡頂ければ――」
「……この子には時間が必要ね」
 カワセ大佐は悲しげに眉根を寄せる。
「初陣にはまだ早か――」
「そんな事はありません、大佐」
 キリスは顔を上げる。

fragment 09

 私はアーシュオンが憎い――ソファに座ったキリスはぽつぽつと語りだす。雨音がその声をかき消そうと躍起やっきになっている。
「奴らは私から何もかも奪った。友達も、家族も。実験と称して街一つ消し去った。あの時、ヤーグベルテに誘拐されてなかったら、私もきっと」
 キリスはそうして自らの過去を話し始めた。

fragment 10

 カワセ大佐は泣きじゃくるキリスの肩を抱きながら言った。
「キリスはアーシュオンの素質者ショゴスだったのよ」
 素質者ショゴス――アーシュオンの歌姫セイレーン……。私は意識して眉根を寄せた。カワセ大佐は感情の読みきれない表情を浮かべたまま、言う。
「情報部が彼女を救出して、参謀部が奪い取ったというのが正しい経路情報ね」
「また政治の話ですか」
 私はややうんざりとした声を出したと思う。カワセ大佐は黒褐色の瞳で私を正視する。
「そう、政治の話。そしてこれもまた、歌姫計画セイレネス・シーケンスの一部といえば、マリーたちはに落ちるかしら」
「無理ですよ、そんなの」
 答えたのはレオンだ。私も同意だ。
「計画はまたこんな子どもを利用するんですね」
「……そうね」
「こんなこといつまで続くのですか、大佐」
 しかし、私の問いはむなしく消える。

fragment 11

 カワセ大佐は自分の膝枕で眠っているキリスの髪を撫でる。目を伏せたまま、カワセ大佐は言う。
歌姫計画セイレネス・シーケンスはもう終わるわ。いえ、私が終わらせる」
 その声音には微塵も揺らぎはなかった。重くて鋭いその決意のような言葉を、私は思わず反芻はんすうする。
「終わらせる……?」
「私もね、そう、疲れてしまったのかもしれないわね」
「大佐……」
「ごめんなさい、マリー」
 カワセ大佐は謝罪の言葉とともに、会話を打ち切った。

fragment 12

 ソファで眠ってしまったキリスを見て、レオンは肩をすくめて私を見た。
「よっ……と」
 レオンは掛け声と共に、頬に涙の痕の残るキリスを軽々と抱き上げ、そのままベッドまで運んでくれた。私も一緒にキリスのために用意した寝室に移動する。レオンはキリスを寝かせると、その美しい白金の髪プラチナブロンドを撫でながら、低い声で言った。
「私たちはまた……繰り返してしまうのかもしれないね」
「させない。させないよ」
 私は首を振る。
歌姫計画セイレネス・シーケンスが私たちをどう導くのかはわからない。だけど、この子の未来はこの子が決めるの。私はもうなんて言葉じゃ誤魔化されない」
「――仰せのままに、私のお姫様」
 レオンはそう言って私を抱き締めた――強く。

fragment 13

「キリス! あの人を助けて!」
 私は叫んだ。大規模戦闘を経て、私たちの艦隊は少なくない被害を受けている。例外なく疲労の極致にある。それはキリスもまた然りだ――わかってる。だけど。
 私の言葉に、キリスが私の頭の中に直接応答してくる。
『そんなこと言われても! せ、千キロも離れてるんですよ!?』
 張り詰めた声。震えの余地がないほどピンと張った言葉。わかってる。そう、一千キロ。その先に、あの人がいる。たった一人で戦っている。
「できる、あなたになら、できる! お願い!」
 絶対に死なせたくない人だから……! ヴェーラとレベッカ……二人を愛してくれた人だから! 二人が愛した人だから! 今や私にとっても特別で、大切な人だから!
『わ、わかりました、でも――』
「可能性があるなら全てを賭けて。諦めないで、キリス!」
 汚い言葉だなと、私は自嘲する。私もいつしか計画シーケンスの片棒を担いでいたわけか、と。でも、だとしても、私はあの人を失いたくない。この気持もまた、計画の一端であるとしても。
「キリス、アタラクシア、機能制限解除アンチェインド!」
 幸せだよと言わせないうちに、死なせてたまるものか。
『……わかりました、総司令官。なんとしても、必ず』
「お願い、キリス」
 私の祈りは――。

fragment 14

『セイレネス、発動アトラクト
 キリスの囁声しょうせいを合図にして、銀青色グレイシャーブルーの波紋が、夜の空を、くらい海を掻き乱していく。
「お願い……」
 私たちは祈ることしかできない。全てはキリスに──!
『マリー』
 隣に並ぶパトロクロスから、アルマが通信を入れてくる。
『歯がゆいな』
「そうね、でも――」
『エウロス、捉えました!』
 私の言葉を切り裂いて、キリスが叫ぶ。領域制圧艦ドミネイターアタラクシアと、究極の歌姫セイレーン――歌女神ミューズ。この二つの要素の力が解放アンチェインドされた時、何が起きるかは私にもわからない。分かっているのは、今のキリスのは間違いなく千キロの彼方にあるということだ。
「空域の状況は……?」
『……被害、甚大』
 そんな……!
『でも、まだっ! まだ終わってない!』
 キリスは、私とは違った。
『総司令官、論理観測方程式フォーミュラ、全歌姫専用戦闘艦セイレネスドラグニアの出力を本艦に回してください』
「む、無茶よ、そんなの! 処理が飽和する! アタラクシアも、あなたも無事では済まない」
『可能性があるなら全てを賭けろ――総司令官はそうおっしゃいました。今、必要なんです』
 公算も勝算も確率も何もかも無力だ。
『マリー』
 レオンが呼びかけてくる。
『キリスなら、やれる。私は信じている』
「でもっ、キリスが」
『総司令官、躊躇ためらっているのは私じゃない。一刻も早く。さもないと、全員が後悔する』
 キリスの言う通りだ。躊躇ちゅうちょしているのは私だ。私だけだ。
「わかりました。全歌姫専用戦闘艦セイレネスドラグニア論理観測方程式フォーミュラをアタラクシアに転送。キリス、頼みます」
 私がそう言うと同時に、最前方に進み出たアタラクシアから光が吹き上がった。
『アタラクシア、戦闘行動を開始します』

fragment 15

 キリスの領域制圧艦ドミネイターアタラクシアの姿が消えた。銀青色の光と共に、忽然こつぜんと。それが一体何を意味するのか――わからない。
「ダウェル艦長、後はお任せします。アルマ、指揮をお願い」
『了解。不測の事態に備える』
 アルマの返答を背中で聞きながら、私は脇目も振らずにコア連結室へと走る。コア連結室の闇の中に飛び込むなり、私はセイレネスを発動アトラクトさせる。そして中央の椅子に座って目を閉じる。眩暈めまいがするほどのエネルギーの残滓ざんしに翻弄されながらも、私はぼんやりとそれアタラクシアを認識する。
 これは、敵のだ。この圧倒的な質量を伴うノイズのせいで、私の感覚はいちじるしく劣化している。
「キリス! キリス、無事!?」
! 私は大丈夫!』
 その声には震えが混じっている。私の耳は聞き逃さない。
「キリ――」
『心配しないで、大丈夫』
 キリスの表情が意識に浮かぶ。見たこともないほど険しい表情だった。そこにあるのは、怒りだ。
『カティさんは、私が助ける!』
 強い意志が私の意識を揺らしていく。
『セイレネス再起動リブート! 戦闘端末アグレシヴノーズ全機展開! アタラクシア、領域制圧を開始する!』
 私にはキリスを見ていることしかできない。敵はおろか、味方の姿を捉えることすらできない私に、今ここでできることは何一つなかった。
『カティさん、もう少しだからッ!』
 キリスから放たれたが、私の視界を銀青色グレイシャーブルーに染め抜いた。

fragment 16

 ぶすっとした顔でステーキを切り分けているキリス。彼女にどんな言葉をかけたら良いのかと、私は隣のレオンを見る。レオンは難しい表情をして肩をすくめた。私は極力小さく息を吐いてから、視線をキリスに戻す。
「あのね、キリ――」
「おや」
 その声に私は飛び上がった。キリスは肉をフォークに突き刺した状態で、レオンは腰を浮かせた体勢で、私の右肩辺りを見上げていた。私はその声の持ち主を瞬時に把握して、立ち上がろうとする。が、私の両肩にその人の手が乗せられて、立てなくなってしまった。
「家族の団欒中、だろ。気を使わなくていいさ」
「メラルティン大佐、あの」
「だけど、すまないね、マリー。ちょっと会話が聞こえてきててさ」
 無理もない。ここは高級将校御用達のレストランで、そんなに客が多いわけでもない。さっきのキリスの剣幕を考えるに、私たちの会話の内容は筒抜けだったはずだ。私は思わず小さくなる。
「キリス、アタシにももう一回、君の言葉を聞かせてもらっていいかな」
 その声音には確かに威圧感のようなものがあった。だけど、それだけじゃなかった。

fragment 17

「なるほどね」
 流れで相席となったメラルティン大佐は、私の左に座ってブランデーを口にしている。大佐は言う。
「キリスは正しいさ。キリスが戦えば味方は死なないだろう」
「ですよね? だったら──」
「でもそれにはアタシも賛成できないよ」
 大佐は寂しそうに首を振る。キリスはキッと顔を上げる。そこに浮かんだ表情に、私は一瞬だけイザベラを見た。
「どうしてですか、大佐。大佐だって――」
「君は似ているんだ」
 似ている──そうかもしれない。いや、大佐は誰よりもヴェーラのことを知っていた。だから、間違いなくそうなのだろう。大佐は紺色の優しい目でキリスを見る。
「強すぎる正義は、自分をくぞ、キリス」
「でも私は」
「君は未来永劫この国を守れるのかい、一人で。あるいは親しい人だけで」
「それは……」
「君は守ることが当たり前になり、人々は守られることが当たり前になる。人々を守り敵を殺し続けることが、君のになる。そんなことが未来永劫続くだなんて、想像するだけでも恐ろしくないか?」
 メラルティン大佐の低くて優しい声に、私の胸が痛くなる。大佐は囁くような声をキリスに送る。
「マリーもレオンも、君がを恐れている。アタシもだ」
「でも、私が歌っていれば友達も誰も死ななずに済んだんです」
 キリスの顔は赤い。大佐はまたグラスに口を付けた。
「キリスは、ヴェーラとレベッカが作ってくれた今を、マリーたちが守る今を台無しにすると?」
「そんなことは……でも」
 消沈したキリスは、すっかり食欲を失くしてしまった。大佐は真っ赤な髪をかきあげてグラスを置き、私を見た。
「マリー、車?」
「は、はい」
「こういう時は空を見るに限る。な?」
「空、ですか?」
「今日は星空観察にうってつけの夜さ。キリス、いいよな」
 キリスに拒否権などない。キリスは俯いたまま、かすかに頷いた。

fragment 18

 吸い込まれそうなほど深い空。星たちのさざめきが音となって聞こえてくる――そんな気さえする。眩暈めまいがするほどの星灯りに、私たちはしばし無言で立ちすくむ。
「ここはね、アタシの秘密の空だよ」
 大佐は少し寂しげに言いながら、キリスの肩を抱き寄せる。小柄なキリスはなされるがままだ。
「キリス、太陽系に惑星はいくつあるか知っているか?」
「えと、八個……ですよね?」
 キリスは大佐の意図を読みきれずにそう答えた。私の記憶の中でも八個だ。しかし大佐は「そうだねぇ」と一拍置いてから、携帯端末モバイルを確認し、地平線のあたりを指差した。
「あそこにね、いるんだ」
 私にも大佐が何を言わんとしているのかがわからない。私の手を握っているレオンもきっと分かっていない。ふと彼女の顔を見上げてみると、やっぱり「何を言ってるんだろうね?」と言った表情をしていた。大佐に抱かれているキリスはきっと、目が回りそうなくらいに思考回路を加熱させているだろう。
 十数秒の間を置いて、大佐は私を見て、そしてキリスを見た。
「小惑星番号、134340。知ってるかい?」
「13……いえ……」
「うん。そうだろうね」
 メラルティン大佐はキリスをいざない、密やかな虫の鳴き声のさなかに腰をおろした。
「少しだけ宇宙の話でもしようかな。いいかい?」
「あ、はい……」
 キリスの表情は夜の影に隠れていた。心配になる私の肩に、レオンがそっと手を回してくる。
「マリー、私たちは少し離れていよう」
「あ、うん……」
 私はレオンに肩を抱かれながら二人に背中を向ける。
 それを待っていたかのように、大佐は静かに語り始めた。
「これはある人の受け売りなんだけどさ――」

fragment 19

 大佐の言葉が終わり、少し冷たい風が私の頬を撫でていく。小惑星番号134340番――かつてと呼ばれていた小さな星。
 私はレオンと視線を合わせ、小さく首を振った。レオンは「うん」と小さく応える。私も頷いて、レオンと共にキリスたちの方を振り返る。
 キリスは声を殺して泣いていて、そんなキリスの肩をメラルティン大佐は抱いていた。二人の座るよく整備された下生えのどこからか、虫の鳴き声が聞こえていた。
「私はどうしたら良いんですか、メラルティン大佐」
なんて考えないことだよ、キリス」
「それは……」
「君の正しさには、常に力が付き従う。力を背景にした正しさなんて、哀しみしか産まないのさ」
 大佐の言葉は、私の胸にも突き刺さる。そう、私たちは逃げられないのだ。私たちの歌姫セイレーンとしての圧倒的な破壊の力からは。
 キリスは「だったら――」と、声を上ずらせながら、大佐に詰め寄る。
「だったら、私、どうしたら良いって言うんですか。私に何が出来るんですか。友達が大勢死んでいくのを、指を咥えて眺めていればいいって言うんですか!」
「そうだね。その問いかけには、アタシはイエスと答えるよ」
「でも!」
「君だって誰かの大切な人だ。だろ? 君を誰よりも大切に思ってくれている人がいる。違うかい?」
 大佐の視線が一瞬だけ私たちに向けられる。私は一瞬の迷いもなく頷く。キリスは私たちの大切な娘だから。
 大佐はまたキリスを抱き寄せる。
「だからさ、そんな君を生贄にして得られた平和なんて、クソクラエなんだよ、キリス。少なくとも君を大切に思う人にとっては、そんな平和は平和なんかじゃない。悪夢だ。君の献身は多くの人を救うかもしれない。けど、そんなことでは君が一番救いたいと思っている人を救うことはできないんだ」
 私たちはそのダイアログを眺めているだけだ。レオンの手のひらの温度を右肩に感じる。
 大佐は空を見上げて息を吐く。
「これはそう、言ってしまえばアタシの我儘なのかもしれない。でもね、アタシはもう、二度とイザベラを生み出したくないんだ。正直に言えば、君が――キリスがどうのじゃないんだ。アタシはもう、二度とあんな悲しい思いはしたくない。それだけなんだよ」
「大佐……」
 キリスは涙を拭いてから、メラルティン大佐に抱きついた。大佐はその背中を優しく撫でて、言う。
「答えは出ないかもしれない。出ないと思う。けど、一人で考えるのはやめるんだ。一人で考えて悩んで――その結果どうなるかをアタシたちは知っている。二度と、あんなのはゴメンだ。アタシはもう――」
 大佐はキリスを強く抱いた。
「失いたくない」
 血を吐くようなその言葉に、私たちは沈黙を返すことしかできなかった。

fragment 20

『キリスより全艦。上空二万メートルに敵性体を多数検知しました! 警戒態勢!』
 上空二万――思わず息を飲む私だが、その時にはもう督戦席から立ち上がり、艦橋ブリッジの出口へと向かっていた。
「ダウェル艦長、頼みます」
「イエス・マム」
 頼もしい返事を背中に聞きながら、私は艦橋から走り出た。走りながら胸のマイクをONにする。
「艦隊、バトコン最大、アルマは海域警戒、レオンたちはAA対空戦闘用意!」
『アルマ了解。っていうけど、敵の艦隊は多いぞ』
「なんとかして」
『了解。少々派手にやるけど、いいね』
「信じてる」
『……了解さ』
 アルマは本当に頼りになる。どんな状況に陥ろうとも、必ずどうにかしてくれる。そこに、レオンから通信が入る。
『敵通常航空戦力の離艦テイク・オフを確認した』
「もう?!」
 早すぎる……けど、上空のとの連携攻撃というのなら理解できなくはない。通常航空戦力を代わりに使うつもりか。
「キリス、敵性体は!」
『敵性体、ナイトゴーントタイプの新型!』
 新型ッ!?
 まさか――背中を冷たい汗が伝うのを感じる。私はコア連結室に飛び込むと、セイレネスを発動アトラクトさせた。たちまち視界が艦の外に飛び出した。深夜の海域はキリスの放つセイレネス発動色、即ち銀青色グレイシャーブルーによって支配されていた。その分厚い光の層は艦隊を完全に覆い隠し、海域を燦然と塗り潰していた。
『初撃、来ます!』
警戒ビウェア! 全艦、セイレネス全開!」
 刹那、晦冥かいめいの空から雨のように光が降り注ぐ。それは私たちの張り巡らせたセイレネスの防壁の干渉によって威力を減じられる。
「危ない……」
 私は即座に被害レポートを確認する。艦隊の半数が何らかのダメージを受けたが、幸い沈没には至っていないようだ。
「ユニットリーダー、被害確認! 損傷艦はダメコンに注力! 無事な艦はキリスの艦アタラクシアおよび本艦アキレウス制圧領域ドメインへ退避!」
 私は唇を湿らせて、意識を尖らせる。キリスの引きつった声が響く。
『総司令官、二撃目、来ます! すごい凝集! こんなの……』
『これって……』
 アルマの掠れた声が私の頭の中に届く。私のセイレネス・システムが二撃目の攻撃種別として、ある答えを弾き出す。
 雷霆ケラウノス――!
 アレと同じ攻撃だって言うの!?
 私は唾を飲み込むと、叫んだ。
「セイレネス再起動リブート! 盾を掲げよホールド・ジ・イージス!」
 世界が光に満ちる。夜闇を一瞬で完膚なきまでに駆逐するその輝きは、かつて見たあの破壊の光と同じだった。
 イージスの展開が一瞬でも遅れたら、そしてキリスがここにいなかったら。私たちは残らず消し炭と化していたかもしれなかった。
「被害は! レオン!」
『軽微。私たちはこれから通常航空戦力を叩き落とす。あんな奴らに被害を受けるわけにはいけない』
「任せる、レオン。アルマは」
『問題ない。マイノグーラの一ダースとダンス中。それよりうえの連中をどうにかしろ』
「了解」
 私は意識を上空に向ける。キリスの意識と接触する。
 新型のナイトゴーント、か。上空から強烈な歌姫ショゴスの気配を感じる。そしてこの力――間違いない。
D級歌姫ディーヴァ搭載機……』
「そうね」
 私はキリスの答えを肯定する。アーシュオンはついにここまで来たということか。雷霆ケラウノスを使いこなす歌姫ショゴスを量産するところまで――。
 かつて見た、あの忌まわしいを思い出し、私は唇を噛む。
『マリー』
 本土の参謀部にいるカワセ大佐から通信が入る。その声は張り詰めている。
『敵性SSAC成層空母を検知しました』
SSAC成層空母……!?」
 それは私たちには荷が重い。私は迫りくる忌々しい戦闘機ナイトゴーントたちの攻撃を叩き落とす。が、どの攻撃も重たい。張り巡らせた論理防壁すら揺らいでいる。
『お姉ちゃ……じゃなかった、総司令官。大丈夫ですか』
「なんとかね」
 私は答え、カワセ大佐に意識を向ける。カワセ大佐は淡々と事実を伝えてくる。
『成層空母に対して、メラルティン大佐以下、エウロスSAF宇宙航空戦隊が迎撃に出ました。あなたたちはナイトゴーントを海に縛り付けて』
「了解。ナイトゴーントを引き付けます。大佐の所には行かせない。キリス!」
『大丈夫です。逃しません』
「新型だから、絶対油断しないで」
『とにかく数を減らします! 二ダースは多すぎる!』
 艦隊の損害は増えている。かろうじて撃沈されてはいないものの、無傷な艦の方が少なくなっている。
「キリス、お願い。私は艦隊防衛に専念します」
『イエス・マム。アタラクシア、攻撃モジュール・アルトゥルス起動!』
 聞いたことがないモジュールだ。ナイトゴーントからの熾烈な砲撃をセイレネスで弾き返しながら領域制圧艦ドミネイターアタラクシアを見下ろす。流線型の艦体の装甲が展開し、眩暈めまいがするほどの銀青色グレイシャーブルーの波動が吹き出していた。キリスが息を吸う。そして――。
斬獲の聖剣エクスカリバー!』
「!?」
 私を含め、おそらく全員が息を飲んだに違いない。
 一瞬の後、空と海が、赫奕かくえきたる爆炎に彩られた。夜の痕跡など一欠片ひとかけらも残さぬと言わんばかりに。

(続く)

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