02-1-2:歌が繋ぐ世界

歌姫は壮烈に舞う

 

 その日の夜、ヴァルターはなかなか寝付けなかった。日中のクリスティアンとの会話が尾を引いたような感じだった。そして何か、気持ちが焦っていた。渇いていた、と言っても良いかもしれない。

 ヴァルターは取り憑かれたかのように、軍から支給されているノート端末を開き、軍のデータベースにアクセスする。大尉であるヴァルターがアクセスできる情報はさほど多くはない。だが、いわゆる「三種の神器」であるところの、ISMTインスマウス、ナイアーラトテップ、ロイガーについてはある程度の開示がされていた。そしてそれで十分だった。ヴァルターは黙々と階層を降り、ISMTインスマウスの戦闘ログを開く。

 出撃から交戦、ヤーグベルテの大地に大穴を開けるまでの一部始終がそこにあった。だが、今ヴァルターが求めていたのはそれではなく、その戦闘ログから聞こえてくるだった。錯覚だと言われれば納得してしまいそうなほどに曖昧で漠然とした。だがヴァルターは、それを錯覚だとは思えなかった。それどころかむしろ、この生々しいは、いっそのようにすら聞こえると思っていた。

 だが、マーナガルム隊の誰に訊いても「聞こえない」としか返ってこない。おそらく他の誰に訊いても同じ回答だろう。しかし、ヴァルターにはそれは確かに聞こえていたし、現に今もそのをどうしても聴きたくて、こうして深夜も深夜だというのにデータベースに繋げている。

 このを聴くと、心がざらつく。決して愉快な感触ではないのに、何故かどうしても触れていたくなる。まるで中毒症状だ――ヴァルターはコーヒーを口にしながら思う。

 アイスキュロス重工がこれら三種の神器を始めさまざまな兵器をほとんど無償で供与してきている背景もわからない。そしてが聞こえる理由もわからない。

「ヴァラスキャルヴ、かもしれないなぁ」

 陰謀論となれば確実に一番先に名前の挙がる、実態は不明ながらも確実に存在している軍産企業複合体コングロマリットヴァラスキャルヴ。OSとして知られている『ジークフリート』の開発者であるジョルジュ・ベルリオーズによって支配されているとされる集団だ。彼らは世界の経済を強大な軍需産業を使って支配している――らしい。ヤーグベルテのホメロス、アーシュオンのアイスキュロス、それぞれの軍事企業もまた、実はヴァラスキャルヴという共同体に属しているのだというまことしやかな噂もあった。

 、か。

 ヴァルターはそこでしばし思案し、今度はヤーグベルテの情報が集められているデータベースにアクセスする。確か――。

「あった」

 ヴァルターの視線の先に描写されていた文字列は「歌姫特別措置法」という法案だった。何の冗談なのかと当時は気にも留めなかったが、今ふと思い出したのだ。中身については不明だが、というキーワードは気になった。

 アーシュオンとヤーグベルテの戦争状態はもうかれこれ数十年続いている。その間、どちらかが一方的に優れていたという時代はない。戦争の方法論、兵器の質、そういったものではなんだかんだでバランスが取れていた。となれば、今回、アーシュオンが絶対的な超兵器オーパーツである三種の神器を繰り出したが、ヤーグベルテも遠からず対抗策を打ち出してくるだろう、ということになる。

「それがこの歌姫計画セイレネス・シーケンス、か」

 歌姫が何を表すのかは不明だが、ヴァルターは自軍の超兵器オーパーツから発されるを聴いた。この時期、この時節にである。偶然と切って捨てるのはどうにも得策ではないように思える。

「……?」

 ふと違和感を覚えて、ヴァルターは薄暗い室内を見回した。物音とも違う、なにかの感覚があった。

「気のせいか」

 ヴァルターは首を振って立ち上がると、ノート端末を閉じた。そしてそのまま寝室へと戻っていった。

 誰もいなくなり、照明も落とされたリビングの中央に、ふわりとの何かが姿を現した。憂いを秘めた赤茶の瞳、微笑を作る赤い唇、そして長い銀髪。しかしそれ以上の情報はなんぴとにも得られない。はそういう存在だった。

「ツァトゥグァは相変わらず中途半端なまま。よくこんな状況を放置して姿を消せたものね」

 どの巡りでも成長のないやつ、と、彼女は付け足した。しかしその口調に怒りはなく、むしろどこかたのしそうだった。この世界で発生する事象、そのある程度までは彼女にとっては規定事項なのだ。

 の彼女は宙を見上げて目を細める。

「いいのよ、世界の欠損なんて。ツァトゥグァが何を考えているのかもどうでもいいのよ。ピースが足りないなら、足りないなりに世界を切り直せばいいだけなんだし。違うかしら?」

 それに対してのいらえは、彼女にしか聞こえない。は「ふふ」と短く笑うと演技じみた動作で肩をすくめた。

「神は賽を振らない。けど同時に、振ったほうが面白くなることを知っている。神は理性でそれをとめるけど、私たちは感性で賽を転がすのよ。ゆえの、悪魔。知っているでしょう?」

 はそう言うと、ふと思案した。

「でもそうね、セイレネスが何と答えるか。そっちを見てた方が面白そうね?」

 そう言ってククッと笑い、の彼女は姿を消した。

 部屋は再び暗闇に沈んだ。

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