04-1-3:私の想いの在り処

歌姫は壮烈に舞う

 

 今回は、シルビアはさすがにスピードを出さなかった。というより、運転席には座ったものの、ほとんど自動運転オートマで、ミツザキやヴァルターとの会話に加わっていた。日が暮れた頃にミツザキは基地に戻っていった。ヴァルターとシルビアは、なんとなく基地に備え付けられているトレーニングルームへと足を向けている。

「隊長、遅くなっていますが、大丈夫ですか」
「中参司の大佐の接待だ。言い訳も立つさ」
「言い訳、ですか」

 ガランとしたトレーニングルームに足を踏み入れると、自動的に照明がいた。ヴァルターは入り口の自動販売機でスポーツドリンクを二本購入し、一本をシルビアに手渡した。シルビアは小さく礼を言って受け取り、そのまま更衣室へと消えていく。ヴァルターは今から運動する気力はなく、ベンチに座ってシルビアを待った。

「隊長は一汗かかないんですか?」
「今日はなんか頭がいっぱいだ」
「そういう時こそ運動ですよ」

 ヴァルターの前に立つシルビアは、タンクトップにショートパンツという実に露出度の高い出で立ちだった。まるでヴァルターを挑発するかのようなその佇まいに、ヴァルターは苦笑する。シルビアは「いつもの格好ですよ、これ」ととぼけたように言い、ランニングマシンへと歩いていく。

「シルビア」

 背中を向けて軽快に走り始めた部下に声をかける。シルビアは足を止めずに小さく振り返る。

「俺に、倒せると思うか?」

 ヴァルターの問いに、シルビアはしばらく沈黙した。ランニングマシンの駆動音と、足音だけがしばらく空間を支配する。ヴァルターは黙って答えを待つ。シルビアの独特なテンポにももうだいぶ慣れてきた。彼女は思考が複雑なのだ。だから出力までに時間がかかる。

は――」

 シルビアがマシンのスピードを落とす。速歩き程度の速度だ。

「最強にして最悪の敵です。我々アーシュオンにとって最も危険な存在。さきほどミツザキ大佐がおっしゃっていたように」
「ああ」

 ヴァルターはボトルに口を付けてから頷いた。

「しかし、あの男を倒せるのは、我々アーシュオンには、隊長以外にはいません。数の暴力ですり潰そうにも、彼らエウロス飛行隊のキルレシオが48.4:1にもなる。到底現実的ではありません」
「一騎打ちに持ち込めればあるいは、か」
「あの男が容易く一騎打ちに応じるとも思えません。あの男の思考は合理的です」
「だな」

 ならばどうするか。それを考えるのが、あのミツザキ大佐の仕事なのだとはわかる。だが、その作戦案に自分たちが噛めないというのは不満があった。ミツザキ大佐もそれを汲んだ上で、ヴァルターたちとの時間を作ったのだ。

 ミツザキは合理的でシビアな人物ではあったが、道理の通じない人物ではなかった。だが、そのミツザキをして、「絶対確実に遂行すべき任務」として与えられたのが「殺害すること」だった。軍としても、四風飛行隊、そしてそのトップエースたるをこれ以上放置してはおけないという判断に至ったのだろう。そしてそれが可能なのは、目下アーシュオンのトップエースと言われている、このヴァルター以外にはないと、誰かが口添えしたに違いなかった。

 シルビアは歩きながら言った。

「いかなる犠牲を払っても構わぬ。暗黒空域さえ葬れれば」
「それだ」
「マーナガルムを生贄にしてでも。隊長はそう捉えましたか」
「ああ」

 それ以外どう捉えろっていうんだと、ヴァルターは思う。シルビアはマシンを止める。そしてゆっくりとヴァルターの座るベンチの端に腰をおろした。その額や首筋にはうっすらと汗が浮いている。
 
「肉を切らせて骨を断つ」
「切らせたくはない」
「それは、そうでしょうね」

 シルビアはスポーツドリンクのキャップを弄びながら言った。

「しかし、空も海も、あの四風飛行隊によって大被害を受けています。こと、によって。それに隊長、シビアなことを言わせていただきますが、隊長は一騎打ちに持ち込めれば、あのを撃破できるのですか、確実に」

 黒褐色の瞳で見つめられ、ヴァルターは言葉に詰まる。シルビアは目を細める。どのような感情なのか、どうにも判断できない表情だった。

「もう、のっぴきならないフェイズに入っているということです」
「しかし、俺たちには超兵器オーパーツがあるだろ。実際、ISMTインスマウスにもロイガーにも、四風飛行隊は手も足も出なかった」
「しかし、敵方は、かのとやらを送り込んでくるでしょう、そう遠くない未来に」
「その時に圧倒的脅威となる?」
「肯定です」

 シルビアは頷く。そしてドリンクを一口飲んだ。それに合わせて、汗の浮かんだ白い喉が小刻みに動く。ヴァルターは思わずその様子に見とれ、慌てて首を振った。シルビアはまた目を細めて、口角を小さく上げる。

「しかし、隊長。それだけではありませんよ。あのが生きているだけで、我々の被害は毎回甚大になっています。マーナガルムをどうのこうのという話をしている次元では、もういられないと私は考えています」
「確かに、を排除できれば、我々の被害は大きく減るだろうな」
「そうです。ですから、猶予はありません。蹂躙される同僚たちのためにも」
「……言いたいことは理解した。だが、俺にできるかというとまた別の話だ」
「わかっています、隊長。でも、私は信じています」
「信じる気持ちだけでは戦えないさ」
「信じなければ何も掴めない」

 シルビアはペットボトルを掲げてみせた。ヴァルターは苦笑する。

「君がこんなに饒舌だったなんてね」
「好きな人の前では饒舌にもなります。好きな人の前で、だけですよ」
「答えられないよ」
「いいんです」

 シルビアは首を振った。

「私の想いは私のもの。それに隊長の幸せな家庭を壊すのは、私の本意ではありません」
「それでいいのか、シルビア。そんなことのために」
「そんなこと、ですよね」

 溜息をつくその唇が艶めかしく光る。ヴァルターは沈黙するランニングマシンに視線を飛ばす。シルビアはヴァルターの横顔を横目で見て、一つ深呼吸した。

「兵器の実験にはが必要だろう――ミツザキ大佐はそうおっしゃいました」
「ああ」
「我々の超兵器オーパーツの技術の根幹部分は、実はヤーグベルテ系企業から提供されたという情報があります」
「なんだって?」

 ヴァルターは思わずシルビアを見た。シルビアは小さく頷く。

「おそらくミツザキ大佐もそのあたりの情報は、既に把握されていたのだと思います」
「自分たちが提供した技術で、何百万も死傷したっていうことか」
「一部企業、あるいは政治家の振る舞いの結果、ですね」
「そんなことをしたから、ヤーグベルテは……」
「残念ながら、これが政治のレイヤーなんです、隊長」
「わかりたくもないな」
「ええ。わかりたくなんてないです」

 シルビアは視線を床に落とす。つま先がほんのり視界に入っている。

「でも、隊長だって、何もわからないままに使われ続けるなんて、イヤでしょう?」
「それはそうだ」
「ですから、私がいます。これは私の本来の任務からは逸脱したこと。しかし」
「君の身の安全は? 大丈夫なのか? 情報部、なんだろう?」
「ええ、情報部のゲフィオン。その所属を伝えることすら厳罰ものです」

 なんでもないことのようにシルビアは言う。ヴァルターは喉を鳴らす。

「それは……」
「私の身を案じていただけているのですか?」
「当たり前だ。シルビア、君は大事な仲間だ」

 ヴァルターが真剣な声でそう言うと、シルビアは笑い始めた。それは荒んだ哄笑だった。

「シルビア……?」
「わからないんですよ、隊長。私、わからないんです」
「わからない?」
「そう、わからない。私の気持ちがわからないんです。隊長のことを思うだけで胸が張り裂けそうになる、この想いも。隊長には絶対に死んでほしくないと願うこの気持ちも。わからないんです。本当に私の望みなのかどうかが。情報部の、ゲフィオンによってそう操作されている可能性だって常にある。だから」

 シルビアは一度言葉を切って、ヴァルターの肩に手を置いた。

「あなたに抱かれたい」
「それは――」
「無理なのは承知です。でも、こうして口にすることで、隊長への思いが私の思いであるって実感を持てるんです。でも不安で……。常に情報部が私にはつきまとっている。私の中の私が常に私を監視している。それがつらいんです」

 シルビアの吐露に、ヴァルターは戸惑う。

「俺以外の男を好きになるのは難しいのか?」
「それは許されていない……」

 許されて?

 ヴァルターは一瞬考えて、すぐに答えにたどり着く。

「君は洗脳されているのか」
「かもしれません。骨の髄までゲフィオンですから、私はもう。ですから――」

 シルビアの右手がヴァルターの左手の甲に触れる。ヴァルターは手を引くことなく、シルビアの体温を感じ取った。

「少し、肩を抱いていただけますか」

 シルビアの声が少し震えている。ヴァルターは「わかった」と呟くと、左手でシルビアを抱き寄せた。

「私は……私の出自が憎い。そしてそこから抜け出せない私も憎い」
「応えてやれなくて、ごめんな」

 ヴァルターが囁くと、シルビアは突然泣き出した。ぽろぽろと大粒の涙をこぼし、子どものように声を上げて。ヴァルターは戸惑いながらも、シルビアの頭に手をやり、その黒髪を撫でた。

「私、そういう優しいところが、嫌いです」

 シルビアは涙声でそう呟いた。

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