11-1-2:歌姫コンフリクション

歌姫は壮烈に舞う

 第二波のミサイル総数、三十六。弾頭数にして三百六十発。ヴェーラとレベッカはその全てを掌握していた。全てを命中させる必要はない。だが、最低でもナイアーラトテップを一隻撃沈せしめる必要があった。そのためにどれほどのリソースが必要なのかは、不明だ。

 ヴェーラは状況を確認しながら計算する。被撃墜はおそらく八割に到達するだろう。ヴェーラたちのいる統合首都と最前線の間にはあまりにも距離がある。その物理的距離から生じるわずかな情報時間差タイムラグが誘導・防衛・攻撃の精度を低下させる。対する対弾道ミサイルの精度は非常に高い。気付かれれば、乱戦中でもない限り確実に迎撃されてしまう。セイレネスによる防御があればかなり耐えられることはわかっているが、それでも精度の限界はあるし、なによりヴェーラたちの集中力がもつかどうかというソフトウェア的な問題もあった。

 わたしたちが前線にいさえすれば、こんなもの。

 ヴェーラは思う。物理的距離がゼロに近ければ、ヴェーラもレベッカも、おそらくは思いのままにを行うことができるだろう。

「っと、いけない! 集中集中!」

 暗い筐体の随所に配置されたモニタを眺めてから、ゴーグルを装着する。

『視界はどうだい、ヴェーラ』
「良好です、教官」
集中コンセントレーションモードに切り替えるよ』
「はい、ベッキーもいい?」
『オーケー』

 レベッカの声が少し硬い。ヴェーラは頷いて一瞬目を閉じる。

「よし」

 視界の光が落ちる。闇だ。そこにほんのかすかなが響き始める。そのは明確な形を伴い、意識の中でループし始める。無限に繰り返されるで脳が満ちる。

 編み上げられた音が、ヴェーラを上に上に引き上げていく。一種のトランス状態だ。高揚感、そして、万能感。そしてその感覚は不意に色を持つ。

 ヴェーラたちは今、艦隊戦真っ最中の海域に浮かんでいた。

「真下だ、ベッキー」
「そうね」

 姿は見えないがすぐそこにいるレベッカに声をかけると、すぐに反応がある。それはヴェーラの暴走しそうなほどの意識のたかぶりを落ち着かせてくれる。

「見てみよう、ついてきて」
「わかってる」

 二人はともに海面まで降下し、そのまま水中に潜る。水深百、二百……八百のところにはいた。

「こんな深いところでこの速度……」

 時速百キロ近い速度で動いているようだ。まっすぐに友軍――第七艦隊に向って動いている。

「これがナイアーラトテップ……」
 
 ヴェーラはその上部装甲に触れようとしたが、バチンという衝撃とともに弾かれる。

「!?」

 一瞬、意識の中に女の子の姿が見えた気がした。ほのかにわらっていたようにも思う。

『どうした、グリエール。脳波が乱れたぞ』
「だいじょうぶ、エディット」

 ヴェーラは首を振りながら応えた。まだ右手が痺れているような感覚がある。

「今、第七艦隊に近い方のナイアーラトテップに接触したんだけど、これ、わたしたちを認識してる気がする」
『どういうことだ?』
「明らかに無人機なんかじゃないってこと」
『確か以前もそんなことを言っていたな』

 エディットの声が一気に緊張をはらむ。

「ただ、あのときとは状況が違う」
『違う?』
「あのときはまだ理性のようなものがあった。わたしたちに対して何かの意思疎通を試みようという気配もなくはなかった」
「でも今はない」

 レベッカが断定する。

「何かの防御システムに覆われていますが、このクラゲの本体になっている女の子からは、破壊衝動しか感じられません。金切り声みたいなが……」
「悲鳴か絶叫かもね」

 ヴェーラは耳を塞ごうと試みたが無駄だった。そのは強引に意識の中にねじ込まれてきて、今にも頭がおかしくなりそうだった。

 そこでブルクハルトがかすれた声で言う。

『何らかの防御システム……オルペウスか』
『どういうことだ、ブルクハルト少佐』
『こいつ、今までのナイアーラトテップとはわけが違うということです、大佐』

 その会話を聞きながら、ヴェーラとレベッカは一気に成層高度まで駆け上がる。ミサイルを制御下に置かなければならなかったからだ。

『つまり、アーシュオンが先にセイレネスを完成させたということか』
『肯定です、大佐』
『まずいな』

 エディットの声に若干の焦燥が混入している。数秒の後、ブルクハルトが言う。

『ヴェーラ、レベッカ。なんとしても一隻撃破してくれ。解析に必要だ』
「了解って言って簡単に行くとも思えない!」

 ヴェーラは確信していた。今、眼下にいるクラゲののが、ヴェーラたちと同じ歌姫セイレーンであることを。彼女はヴェーラたちをで容赦なく攻撃してきていた。刃のような音が、ヴェーラたちの精神力と集中力を奪っていく。セイレネスにおいては、物理的状況よりもその二つが重要だ。いずれかが切れたら強制的に戦線離脱させられてしまうし、場合によっては実体にダメージがフィードバックされてしまう。

『やれるか、グリエール』
「やる。危険過ぎる。こいつを生かしておいたら第七艦隊がやられる!」
『頼む』

 エディットの声が硬い。

「弾道ミサイル、強引にぶん投げる! 一番から十八番まで上昇キャンセル。軌道変更!」
『無茶をするな!』

 エディットが止めようとするが、それを制止したのはブルクハルトだ。

『信じましょう、大佐。セイレネスは物理法則を歪める力がある、はず』
『はず、で軍事を語られても困る』
『自分、技術屋ですから。少なくとも論理試験では可能でした。βベータテストが実戦というのも、実際のところ、よくある話です』
『恐ろしいことをサラッと言ったな』
『ジョークですよ』
『そうか』
『という、ジョークです』

 ブルクハルトは何でもないことであるかのように言う。エディットは何も言えなかった。

 その間にもヴェーラたちは状況を進めている。三十六もの弾道ミサイルを全て支配し、一気に落下コースをとらせている。もはやその軌道は弾道ではなく巡航ミサイルのそれだった。あらゆるセオリーをかなぐり捨てた機動マニューバである。

「ベッキー、ミサイルの一番から九番までを防御に回す。十九番以降は二の手。時間差で攻めるから、こっちの防衛もお願いする!」
「わかったわ! あなた一人で攻撃は……」
「ほんとはきみと一緒にやりたいけど、弾切れはシャレにならない。こいつ一隻は絶対に撃破しなきゃならないから」
「わかった。防衛は任せて」
「ありがと。終わったらキスしてあげる」
「……楽しみにしておくね?」

 レベッカの控えめな返しに、ヴェーラは笑う。

「大胆になってきたね、嫌いじゃない」
「ご、ごほん。しっかりやってよ、あなたこそ」
「使えるミサイルは十番から十八番。こっちが危険そうなら、十九番以降も防御に使って構わない。私はこの九発で片付けるつもりだから」
「来たわ、対弾道弾。すごい数!」

 レベッカの声の硬度が上がる。アーシュオン第四艦隊及びアーシュオン本土からも無数の迎撃ミサイルが上がってきていた。弾道ミサイルは本土からも迎撃の余地がある。ヴェーラによって変則機動を取らされているから、そう簡単には当たらないだろうが、それでも恐ろしい密度の迎撃ミサイルだ。だけでも全滅してしまうかもしれない。

「方針転換するわ、ヴェーラ。十九番以降全部防御に使う。いい?」
「任せる。わたしはきみを信じてる」

 ヴェーラはそう言うとミサイルのコントロールに意識を集中させた。未だにナイアーラトテップの中にいるからの攻撃は続いている。全く無節操に、無軌道に。激しい弾幕を掻い潜っているような感覚だ。

「行くよ、最終軌道修正! ベッキー、守って!」

 私が守れなければ、味方が大勢死ぬ――レベッカは自分を追い込んで意識を集中する。ヴェーラにバトンを渡すまではなんとしても。

 怒涛どとうのように襲いかかってくる迎撃ミサイルを、防御用ミサイルで弾き返していく。

 分離分割されたミサイルが、さながら誘導弾であるかのように四方八方へ散り、アーシュオンの弾頭を叩き落としていく。レベッカによる正確無比な誘導だ。

「やる! こっちも!」

 ヴェーラの操ってきた九機のミサイルがそれぞれ十の小弾頭に分離する。それは音速の数倍の速度にて、海に突き刺さっていく。セイレネスによって加速された小弾頭はまっすぐにナイアーラトテップへと突き刺さる。が、最初の数発はにより弾き返される。

「計算済みッ!」

 弾頭の数発をナイアーラトテップの真下に潜り込ませ、爆発させる。核弾頭が腹の下で爆発したのだ。さすがに耐えきれず、ナイアーラトテップは上昇を始める。

『効いてる……?』

 エディットの呻きのような声が聞こえてくる。

「セイレネスの力をセイレネスで相殺そうさいしてるんだ。そりゃ効くよ」

 ヴェーラはそう言いながら、さらにナイアーラトテップの腹にミサイルを突き立てた。ナイアーラトテップは空中にはじき上げられた。

「いまだ!」

 残りのミサイルを全て、上面装甲に叩きつけようとする。だが、命中したミサイルは起爆せずに壊れていく。

「ちっ!」
「手伝うわ!」

 防衛の任務を終えたと判断したレベッカが、ヴェーラに寄り添った。ヴェーラは頷いて残りのミサイルをさらに強力に制御下に置いた。そしてレベッカの気配を探り当て、その手を握る。

「あっ……?」
「すごいね」

 、二人の中のが膨れ上がった。それはナイアーラトテップによる金切り声を覆い尽くすほどのものだ。

「あと小弾頭六発か」
「やるしかないわ」
「だね」

 ヴェーラは頷いてミサイルを二発、叩きつける。起爆するが、ダメージは小さい。

 残り四。失敗は許されない。第七艦隊だけじゃない。今後のヤーグベルテのありように関わる。

 次の二発もダメージは小さかった。

 残り二。

「ベッキー!」
「ヴェーラ!」

 二人の呼吸が、音が、完全に揃う。寸分狂わぬ、まさに完全なる調律パーフェクトチューンだった。

 ナイアーラトテップからの金切り声ノイズはもはや聞こえない。二重の螺旋を描く二人のだけが、二人の意識を満たしていた。深く、高く、響く音は、薄緑色オーロラグリーンの中に溶けていく。

 弾頭が突き刺さり、炸裂する。それは瞬く間にナイアーラトテップの艦体を飲み込み、粉砕し、蒸発させた。

 が上がる。ナイアーラトテップに乗せられていたの最後の歌――。

「くっ!?」

 そのあまりの音圧に、ヴェーラたちの意識がすくむ。

「これは、ヴェーラ……」 
、だ」

 ヴェーラは意識の中で、レベッカと強く抱き合った。

 その絶唱は、二人に大きなダメージを与えた末に、ぷつりと途絶えた。

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