13-1-4:現実的な平和

歌姫は壮烈に舞う

 エディットとヴァルターが面談してから一週間が経過した。

 エディットの根城である参謀部第六課の作戦司令室に、ヴェーラとレベッカが揃って呼びされていた。エディットのデスクの隣に用意された椅子に、二人は並んで座っている。

 エディットはやや疲れたような表情で、おびただしい数の紙媒体の請求書と格闘していた。

「エディット、それ、なんで紙なの?」

 ヴェーラが素朴な疑問を口にする。

「紙の請求書なんて初めて見たけど」
「アダムスの嫌がらせだ」

 エディットは棘のある口調で応じる。アダムスはなんだかんだと理由をつけて、わざわざ紙媒体で請求書を回してきた。それをデジタル化することもまたエディットたちの仕事としたのだ。そもそも最初から電子請求書であることが普通である。つまりアダムスはエディットたちに、極めて無駄な作業を強いているということだ。

 ヴェーラはプルースト中尉に用意してもらった紅茶をゆっくりと飲みながら、周囲の喧騒を観察している。レベッカは疲労を色濃くにじませた表情を眼鏡の奥に隠しながら、紅茶を手にして溜息をつく。

 ヴェーラが紅茶を飲み終わるのを待っていたかのように、ハーディがおもむろに立ち上がって、エディットを見た。

「大佐、あとは私の方で処理しておきます」
「ん、そっちはいいのか、ハーディ」
「あらかた私のタスクは完了していますから。それに時間も時間です。歌姫セイレーンの二人もお疲れのようですよ」

 言われて壁掛けの時計に視線を飛ばすと、午後も六時に迫っていた。特に取り立てて急ぐような時間ではなかったが、連日早朝から任務にあたっているヴェーラたちのことを考えれば、そろそろ席を立っても良い頃合いだった。それに本来はもうすでにオフであるヴェーラたちを呼び出したのは自分だ。その用事もまだ片付いていない。

「いつもすまないな、ハーディ。アダムスの野郎に熨斗のしをつけて返してやってくれ」
「了解です」

 ハーディはエディットのデスクから紙束を取り、自分のデスクへと戻っていった。

 エディットはようやくそこで自分のデスクにある紅茶に気付いた。すでに完全に冷めてしまっていたが、プルーストがチョイスしたのは冷たくなっても香りが十分に残る高級に属する紅茶だった。

「あいつめ、相変わらずセンスがいい」

 エディットはそう言って紅茶を呷り、「ふぅ」と一息ついた。

「生き返った」

 エディットは背もたれに身体を預け、そのまま顔だけをヴェーラたちに向けた。

「自宅で仕事の話はしたくなくてね」
「知ってる」
 
 ヴェーラは頷いた。その右手はレベッカの左手にホールドされていた。エディットはそこに一瞬視線を送り、ほんの僅かに目を細める。

「待たせてすまなかったが、まぁ、これを見てくれ」

 エディットはヴェーラにタブレット端末を手渡した。ヴェーラとレベッカは二人でそれを見て「は?」と思わず声を出した。

「これって、修理費なんですか?」

 レベッカが目を丸くしながら尋ねた。エディットは頷く。ヴェーラがその項目を目で置いながら呟く。

「粒子ビーム砲の試作機の修理費だけで百万UCユニオンキャッシュ……! 諸々あって全部で約八百万!? 機銃掃射受けただけでこれ!? 戦闘機が楽々買えちゃうじゃん」
「私のエラトーの分を合わせると一千万を超える……」

 オロオロと顔を見合わせる二人を、エディットは頬杖をつきながら眺めている。

「その半分は艦体全体に及んだダメージのチェックと修繕費だ。システム改修はまた別途請求が来るが、これはお前たちに関係ないから省略している」
「ええっと、つまり、この一千万UCってのは、わたしたちに責任のある金額ってこと?」
「そうだな、グリエール。責任というつもりはないが、お前たちの不慣れな戦いが招いた損害だというのは正しいかもしれん」

 エディットはそう言ってタブレット端末を回収する。

「責めてるわけではないぞ、ふたりとも。お前たちは十分にやってくれた。私は満足している」
「エディットが褒めるなんて珍しいね」
「こら」

 ヴェーラを肘でつつくレベッカである。

「その艦体全体のダメージっていうのは、わたしがセイレネスで戦艦操ったから生じたってことでいい?」
「全部ではないが大半がそうだな。かなり無茶をしてくれたようで、ボルトの一本に至るまで再点検対象だ」
「ご、ごめんなさい」
「謝る必要はない。結果として、修理費以外は全て想定以上の成果を上げた」

 エディットは冗談めかしていったが、レベッカとヴェーラは顔を見合わせる。レベッカが言う。

「でも、セイレネスでの制御と艦体の耐久性、うまく噛み合ってなかったっていうことですよね。このハードウェアの問題は解決できるんでしょうか?」
「さぁな。そこは技術本部の見解待ちだ。だが、ブルクハルト少佐は天才だな、まったく。あんな機動が一人の人間の制御でできるようにしてしまうとは」
「短時間が限界だけどね、あんなの」

 体験者であるヴェーラが唇を尖らせる。そもそも艦橋要員だけで数十名いるのだ。その全員の作業をほとんど一人で実施するというのに、そもそも無理がある。だが、セイレネスを用いれば短時間ながら可能であることが、先の戦いで図らずも実証された。

「まぁ、そのセイレネス制動は艦体への負荷が大きすぎるから、さしあたり原則使用禁止だ。ちょっと動くたびに数百万UCが飛ぶのはちょっと……というのが我々の見解だ」
「わかったよ」

 ヴェーラが頭をぽりぽりと掻きながら応えた。

「そういうわけだから、今後は艦の乗員とのコミュニケーションもしっかりな。いざという時にお前たちを守ってくれるのは彼らだ。あの超巨大戦艦にしても、本来はただのだ。的確な操艦、火器管制、よく訓練されたダメコン、これらがなければな」
「はい」

 ヴェーラとレベッカが同時に返事をした。

 そのとき、エディットの業務用携帯端末モバイルがデスクの上で無愛想な電子音を鳴らした。エディットは発信元を見て「ふむ」と呟いてから端末を耳に当てた。

「ルフェーブル大佐だ。ああ、そうか。わかった、すぐ行く」

 手短に通話を終えると、エディットはヴェーラたちを見た。

「こんな時間からで悪いんだが、一緒に来てもらえるか?」
「ういうい。今日は寄り道して一緒に帰れるってことね?」
「そうなるな。帰り、少し遅くなるかもしれないが、外食でも?」
「ピザ屋さんがいいな!」

 即座に反応するヴェーラである。隣ではレベッカが「またピザぁ?」と素の反応を見せていた。エディットは苦笑しつつ立ち上がり、ふたりの歌姫セイレーンを促した。

「ベッキーは寿司がよかった? ラーメン?」
「それ、あなたの好物でしょ」
「ベッキーは何が食べたいのさ」
「フライドポテトと揚げチキン」

 思わぬ即答に、ヴェーラは吹き出した。

「それ、時々すごく食べたくなるよね、わかるー」

 エディットに先導されながら、ヴェーラたちは笑い合っている。

「塩がどばっとかかったところとかに当たると、儲けたーって気になるもんね」
「疲れてるときの塩分は悪魔的よね」

 そう言いながらもレベッカはヴェーラと手をつなぐ機会を逃さない。ヴェーラもまんざらでもないので、されるがままだ。

「私もポテト食べたくなってきたわ」

 思わず自宅オフ用の口調になってしまうエディットである。三人のお腹がほとんど同時に音を立てる。

「ベッキーも準備オーケーだね」
「用事を片付けてからよ、ヴェーラ」

 お腹を押さえながら、レベッカがたしなめる。ヴェーラは「そうだった」とちょっとだけがっかりした様子で言い、玄関前で待っていたタガート伍長を見つけた。そばにある黒塗りの車の中にはジョンソン軍曹が乗っているはずだ。

「おまたせ~」

 ヴェーラが手を振ると、タガート伍長は軽く敬礼して応じてくる。しかしその目は油断なく周囲を見回している。車両や歩行者はほとんどいなかったが、エディットや歌姫セイレーンともなると、誰がどこから狙っているかわからない。実際今もジョンソン、タガート以外にも複数名の海兵隊員やSPたちが周囲を警戒している。

 エディットは後部座席の運転席側に乗り込むと「士官用の捕虜収容施設」を目的地として告げた。

「捕虜に会いに行くんですか?」

 レベッカの問いに頷くエディット。

「そうだ、マーナガルムの隊長だ」
「ああ、あの白い戦闘機の!」

 ヴェーラが身を乗り出す。

「気になってたんだ! わたしたちの干渉を跳ね除けるわ、防御を抜いてくるわ……」
「だろう?」

 エディットはすっかりまた仕事オン用の口調に戻っている。

「どういう原理かはわからないけど、わたしたちからの干渉が精神的なものだとするなら、その隊長さんはそれを跳ねける力を持っていたってことになるね。わたしにはまだ、その精神的云々って実感ないんだけど」
「ふむ」

 エディットは薄暮の空を眺める。

「これはブルクハルト少佐の受け売りだが。セイレネスは物理層への干渉能力が第一義として見られがちだ。あの砲撃とか鉄壁の防御力とかそのあたりだな」
「うんうん」
「だが実際の所、その物理層への干渉というのは、論理層の書き換えの結果が表出したものにすぎない……ということだが、私にはなんのことやらさっぱりだ」

 頭痛がしてきた、と、エディットはこめかみに手をやった。

「わたしもよくわからないけど、つまり、その隊長さんで研究するんだよね、セイレネスの干渉を受け付けない理由。そしてその受け付けない人に対する対処方法」
「肯定だ」
 
 エディットはニ度、頷いた。

「セイレネスがより完璧に近づければ、新世代の、真の究極的抑止力に昇華されるだろう」
「平和のための兵器研究かぁ。皮肉なもんだねぇ。ね、ベッキー?」
「そうよね」

 二人の歌姫セイレーンは嘆息する。エディットは運転席の方に目をやってから、両手の指を軽く組み合わせた。

「平和というのも、字面はともかく、所詮は力関係の果ての話だ。を目指す、そのこと自体は特に罪だとは思わんよ、私は」
「対等な平和っていうものはないの?」
「ないな。よしんばあったとしても、ほど危うい力関係もないし、そのを維持するために軍拡競争は続くものだし、軍拡が続けばいずれどこかで、ほんの小さな火花が散った瞬間にも暴発する危険性がある」

 エディットの言葉にヴェーラとレベッカは複雑な表情を見せて沈黙する。

「平和というのは巨大な力があって実現するものなんだ、残念ながら。そもそもだ、私たちの小さなコミュニティにあっても、高低上下の関係は存在するし、なければないでコミュニティは成り立たないし、その存在意義もなくなる。明文化もされていない、コンセンサスも得られていないような危ういパワーバランスの下では健全な人間関係は成り立たない。人類皆平等なんていうそんなものは、社会だ世界だに依存する我々にとっては所詮は夢物語だ。そんな危うい妄想に立脚して何かを為そうなんてのは、犯罪級に愚かな行為だよ、グリエール、アーメリング」
「でも、戦争はしたくないよ。終わらせたいよ」
「だからこそだ」

 エディットはゆっくりと頷く。

「恒久の平和なんてものが実現できるかどうかは、私にはわからない。だが、セイレネスを用いれば、少なくとも数年、十数年、あるいはもう少し……戦争のない期間が生まれるのではないか。私はそう考えている。はるか遠い平和の日々を祈るよりも、目先数年の平和を実現するために奔走ほんそうすること。そのほうがよほど世界平和に貢献することになるとは思わないか」
「今日はなんか仕事モードなのに饒舌だね」

 ヴェーラは少し寂しげな表情を見せた。

「わたし、誰も戦わない世界を作りたいよ」
「私もです」
「私もだ」

 エディットは隣のヴェーラの頭に触れる。

「お前たち、誰も戦わないのあとに『自分たち以外は』と続けているだろう」
「傷つくのが私たちだけなら、そのくらいの対価は払ってもいいと思っています」
「バカを言うな」

 そう言いながらも、エディットの表情は優しかった。

「だがそうだな。お前たちが仮にその立場にあったとしても、セイレネスが圧倒的になれば、結果的に敵は来ない。お前たちも戦わずに済む。世界は平和になるかもしれん」

 エディットはまたヴェーラのきれいな白金の髪プラチナブロンドすくう。

「言いたいことは多々あるのはわかる。だが、今日はポテトと揚げチキンで手を打ってもらえるか」
「オーケー。あっ、明日はピザね」

 即答し、更に要求を付け加えるヴェーラ。そしてふと真面目な顔に戻り、呟いた。

「世界平和、か」

 レベッカの右手をギュッと握りしめながら、ヴェーラはレベッカを横目で見る。レベッカはヴェーラの肩に頭を乗せて、小さく溜息をついた。 

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