ヤーグベルテの陸軍と海兵隊は、破竹の勢いで島嶼部のアーシュオン軍を駆逐していった。たった二年弱の期間で、取り戻した島の数は五十にも及び、不沈空母とされていた人工島も七つを破壊ないし占領することに成功していた。その実績の裏には無論、ヴェーラとレベッカがいる。
だが――。
「もう十分だよ! これ、止められないの!?」
ヴェーラの金切り声が上がった。
ヴェーラは見ていた。ヤーグベルテの陸軍兵士たちがアーシュオンの兵士たちを文字通りに一方的に蹂躙していくさまを。参謀部第三課統括、アダムス大佐による指揮は苛烈を極めた。アダムスは捕虜を取ることを想定しておらず、敵の全てを殺害させた。そもそも投降の暇を与えなかった。
アダムスはセイレネスを索敵に用いた。移動中だろうが隠れていようが、その全てがセイレネスによって白日の下に晒される。狙撃手も何もあったものではない。一人単位でヴェーラ達によって発見されているのだ。隠れることも態勢を整えることも、そして逃げることも許されない。
ヤーグベルテの兵士たちは敵の位置や戦力が手にとるようにわかっているのだから、苦戦する要素など何一つなかった。生け捕られた敵兵士もいるにはいたが、そのほとんどは射殺されるか、道に並べられて鹵獲したアーシュオンの戦車によって轢き潰された。情報戦の素材として使うためだ。
その一部始終をヴェーラたちは見せられていた。嫌でも意識にねじ込まれてくるのだ。映像だけではない、被害者と加害者の感情もまた、ダイレクトに襲いかかってくる。
「エディット! どうにかしてよ! もういいでしょ!?」
『管轄外だ。私には……これをどうにかできる権限はない』
ヴェーラの声にエディットの無感情な声が届く。ヴェーラは激しく首を振る。
「でも! 敵はもうまともな抵抗もできないし! 敵の潜伏情報は全部報告した! みんなもう、抵抗なんてできる状態じゃないんだってば! こんなのいつまで見てなきゃならないの! いつまで続くのこんなの!」
『敵方にISMTでも出てくれば一発逆転を許してしまう。だから――』
「それはその時に対応すればいいじゃない! 間に合うよ! 大丈夫だよ! 絶対! だから」
『グリエール。お前の合図で敵が死ぬのは事実だ。だが、それによってお前は味方の死を防いでいるとも言える。今、お前を外すことで、本来死ななくても良かったはずの味方兵士が死ぬかもしれん。それは平気なのか?』
ヴェーラはエディットのその詰問に、言葉をつまらせる。その沈黙の隙間を縫って、ブルクハルトがおっとりとした口調で言った。
『大佐、ヴェーラの脳波が危険域に入ります。一旦休憩させないと』
『そういうことなら仕方ないな。だが、アダムスの野郎が何と言うか……だな』
その一連の流れがブルクハルトの機転であることは、ヴェーラにはすぐに理解できた。ヴェーラは唇を噛みしめる。
『アダムス大佐、六課のルフェーブルだ。こちらの歌姫の一人が危険な状態に入る。走査は一人で良いか』
『おやおやぁ? まだ三時間ですよ? 現地の兵士はもっと消耗していますが。甘やかし過ぎではありませんかねぇ?』
『現地の兵士の負担がグリエールたちによってどれほど軽減されているかもわからんのか、貴様は。私は何も、この先ずっとアーメリング一人にやらせると言っているわけではない。グリエールは休憩させる必要があると言っているのだ』
エディットの有無を言わせぬ口調に、アダムスは沈黙する。
『あの子たちは国家の至宝だぞ。貴様が消耗品扱いして良いものではない』
『なれば兵士は消耗品扱いしても構わないのだと? そうおっしゃったように聞こえましたがね。しかし、これがあの誉れ高い逃がし屋の言葉とは思えませんなぁ!』
『ならば貴様の耳と脳が劣化しているということだ。首から上をタコにでもすげ替えたほうがまだマシではないのか』
『おやおや、負け惜しみもそこまで来ると滑稽ですよ、大佐』
腐ってる、この人!
ヴェーラは拳を握りしめた。エディットは自分のために戦ってくれて、そしてこんな暴言を浴びせられている。それでも我慢して……。
集中が乱れていた。前線の様子があまり見えない。脳内で響きまわる音が不協和音となって、頭痛と吐き気を引き起こす。
「ううっ……」
思わず右手で口元を押さえた。耐え難い眩暈と耳鳴りが、ヴェーラを襲っていた。
『とにかく大至急一人を休ませる。回復次第復帰させる。それで良いな』
『仕方ありませんねぇ。ただ、その間に不測の事態が起きた場合には、あなたに責任を取ってもらいますよ?』
『上等だ』
エディットは吐き捨てる。
『ただその時は、貴様の一連の発言、その全てを公聴会に持っていくからな。覚悟しておけ!』
『おやおや、怖いお人だ』
アダムスはそう言い捨て、通信を切ったようだった。
エディットは張り詰めた声でヴェーラを呼ぶ。
『グリエール、今出してやる』
「ありがとう、大佐。ごめん、ベッキー」
『私は大丈夫だから。ヴェーラ、心配しないで』
レベッカの言葉を聞き届け、ヴェーラはシステムからログアウトした。たちまち、筐体の内側は暗黒に満たされる。そしてその闇によって、ようやくあの地獄の光景が塗りつぶされて見えなくなった。
「わたし、なにやってんだろ……」
闇の中で呟いた途端、筐体の蓋が開いて光が無遠慮に差し込んできた。その時になってようやく、ヴェーラは自分が泣いていたことに気が付いた。光が、景色が、眩しく歪んでいた。
「お前はやるべきことをやっているだけだ、グリエール」
手を差し伸べていたのはエディットだった。ヴェーラはよろよろと筐体から出て、エディットの胸に倒れ込んだ。涙は涸れることなく流れ続け、嗚咽も止められなかった。
「こんなことをするために、わたしは生まれたの?」
「お前はやるべきことをやっているだけなんだ」
「やるべき……。こんなことが……」
ヴェーラの茫洋とした呟きに、エディットは言葉もない。
「だったら、わたしは、もう、いい」
「何を言っている――」
エディットは突然重さを増したヴェーラに驚く。ヴェーラは完全に気を失っていた。
「ヴェーラ……」
エディットは喉元までせり上がってきた謝罪の言葉を、強引に飲み下した。