それから三ヶ月。五月も半ばに差し掛かろうという頃まで、アーシュオンは一切の軍事作戦行動を中止した。アーシュオンの兵士たちにしてみればそれは平和ボケするのに十分な期間でもあった。
「確かに、うちらの超兵器がありゃ、慌てる必要はねぇもんな」
クリスティアンが足を組みながら言った。ブリーフィングルームの演壇に立つヴァルターは頷く。
「その上、ヤーグベルテは海軍も空軍も疲弊しきっている。彼らには打つ手はない。こっちもそれを好機に休んでおこうという算段だ」
「確かにねぇ」
クリスティアンが他の十名の隊員を見回して、首の骨をゴキゴキと鳴らした。
「うちらの艦隊もひどいダメージを負ったままだしな。やっぱ奴らの一部は強ぇし」
「四風飛行隊とかねー」
口を挟んだのは、マーナガルム11「預言者」ことエルフ・オーウェル少尉だ。ぱっと見中学生くらいに見える幼い容姿の持ち主で、金髪のショートボブ、深海のような深い青色の瞳が特徴的だった。コロコロと変わる表情と遠慮会釈のない言動が、ある意味では彼女の魅力である。
「実際、あいつらが出てきた時に対抗できるのってウチらだけじゃないですかー、たいちょー。そこんところどうなってんですかぁ?」
「エウロス、ボレアス、ノトス、ゼピュロス」
ヴァルターは件の四風飛行隊の構成部隊の名前を挙げる。どの部隊も超エース揃いの狂気的戦闘集団だ。
「奴らは俺たちが優先的に引き受ける。戦術に変更はない」
「つったってさぁ、エウロス全機出てきたらやりようがねぇよ、俺らの十二機じゃぁさぁ」
クリスティアンが言う。
「我らがドーソン万年中将の率いる最強の第四艦隊。そして最強のマーナガルム飛行隊。超兵器がなけりゃ、なんとも貧相な話だぜ」
「隊長」
そこで突然挙手したのが、肩口で切り揃えられた色の抜けた黒髪が特徴的な女性将校だ。マーナガルム3「大理石」こと、シルビア・ハーゼス中尉だ。電子戦、格闘戦ともに強力な技量を持つ超エースである。時として隊長であるヴァルターすら倒すほどの実力を有している。しかし他の隊員とのコミュニケーションはほぼゼロであり、隊長であるヴァルターとも義務的な会話を事務的に行うのみで、その性格やプライベートに至ってはまるで謎だった。TACネームの「大理石」は、シルビアを的確に表していた。
「隊長は我らの超兵器をどう考えておられますか」
「どう?」
「非人道的兵器であるという認識は?」
「それを訊いてどうする? 核を超える抑止力にはなるだろうが、それだけだ。何も変わらない」
ヴァルターの返答に、シルビアは頷いた。
「隊長も生真面目ですね」
「俺たちは軍人だ。国家の所有物に過ぎない。私見は不要だ」
ヴァルターの模範解答に、シルビアは目を細める。何かを探るような視線に、ヴァルターは居心地が悪くなる。二人はしばらく見つめ合っていたが、折れたのはシルビアの方だった。
「そうですね、隊長。私もそれは理解しているつもりです。失礼致しました」
「あのっ、たいちょー。白い新型機、あたしも乗りたいです!」
「ばーか、フォアサイト。おめーは旧型機で十分だろ」
クリスティアンの横槍に、フォアサイトは唇を尖らせた。
「えー」
「おめーの操縦に新型機の制御装置は合わねぇよ、このアナログ人間」
「でもでもー、新型機乗りたーい」
駄々をこねているフォアサイトを横目に、ヴァルターはスクリーンの電源を落とした。部屋が一瞬暗くなる。シルビアが立ち上がりつつ、その黒褐色の瞳でヴァルターを射抜く。
「ヤーグベルテでは反撃の機運が高まっていると聞きました」
「反撃? これだけの超兵器を魅せられてか?」
ヴァルターは顎に手をやって考え込む。シルビアはヴァルターのすぐ目の前まで歩いてきて、ヴァルターにだけ聞こえる声で囁いた。
「歌姫計画、ご存知ですね?」
「名前だけ、だが」
「その計画が動き始めているとか」
シルビアは情報の出処を明らかにせぬままにそう述べる。ヴァルターは首を振る。
「正体不明の計画を恐れても仕方がない。その辺を考えるのは参謀部の仕事だ。だが、歌姫計画、か――」
歌、だ。ナイアーラトテップやISMTたちから聞こえてきた歌。そしてヤーグベルテの歌姫計画。もしかすると政治の世界ではこれらに関する策謀がどうにかして進んでいるのかもしれない。
「とにかく油断は禁物だ。三ヶ月の無交戦期間が続いているが、気を引き締めていけ」
ヴァルターはそう言うと足早に部屋を出ていった。ブリーフィングルームにはクリスティアンとシルビアが残る。
「なぁ」
「何か?」
部屋を出ていこうとしたシルビアが足を止め、ほんのわずかに眉根を寄せる。明らかに警戒している表情だった。クリスティアンは肩を竦める。
「そう怖ぇ顔すんなよ、シルビア。それはそれとして忠告しとくけどよ」
「必要ありません」
「他人様の善意は受け取っとくもんだぜ、情報部」
「……あなたも同じ穴の狢。ちがいますか」
直接的には肯定も否定もしなかったシルビアに、クリスティアンは唇を歪める。笑ったのだ。ヴァルターの前ではまず見せることのない荒んだ笑みである。
「それはそうかもしれねぇが、とにかく、堅気に余計な情報流すもんじゃねぇよ」
「歌姫計画のどこが?」
「隊長が歌が聞こえるって言った話は覚えてるだろ」
「ええ」
「情報部、そして参謀部は、隊長の特殊能力に気が付いた。というか、お前さんがそう報告した。俺もフォアサイトもまだ動いていなかったのに、だ」
「私は正規のルートで情報を上げているに過ぎない。やるべきことを――」
「ああ、はいはい」
クリスティアンはやる気のない声で応じる。シルビアの冷たい表情が、より一層硬度を増す。
「お前さんの面白くねぇ気持ちは理解できる。だが――」
「私からお話することは何もありません、シュミット中尉」
「……お前さんさ、ヴァリーのことをどう思っているわけ」
部屋を出ていこうとしたシルビアの動きが一瞬止まる。クリスティアンは唇の右端を吊り上げて鋭く目を細める。
「ま、あんまり感情移入しねぇことだよ」
「あなたに言われたくありません」
シルビアはそう言い捨てると、事務的な歩調で部屋を出ていった。
「やれやれ、だ」
それを見送ったクリスティアンは、天井の角をぼんやりと見上げる。
「まったく、お前らはどこから見ているのやら。いやだねぇ、いやな世の中だねぇ」
クリスティアンもまた、そう言って部屋を出ていった。
ほどなくして部屋は闇に落ちる。