04-1-1:アイスキュロス重工からの訪問者

歌姫は壮烈に舞う

 

 二〇八四年六月――。

 ヴァルターとクリスティアンが向かった先は、要塞都市ジェスターの中央司令部の一室だった。ヴァルターたちは、アーシュオンに多大な軍事技術と戦力をもたらしているアイスキュロス重工の技術本部長の要請で訓練を中断してやってきたというわけだ。

「技術本部長が女だってなぁ知っていたけどさ、ヴァリー君」
「まさか十代とはね」

 呼び出しを受けた際に調べたところ、三ヶ月ばかり前にアーマイア・ローゼンストックという少女に代わっていた。前任者は行方不明だったが、この規模の超大企業においてはは日常茶飯事だった。そのことについては特に疑問に思わなかったヴァルターたちだったが、それ以上にこのアーマイア・ローゼンストックという少女の経歴も何もかもが不明な点が気になった。もちろん、公式の記録はある。だが、そんなものがアテにならないことはヴァルターたちにとっては常識の範疇だった。

 指定された場所――海洋格納庫の展望デッキに辿り着いたヴァルターたちを待ち構えていたかのように、扉がスライドして開く。まず目に飛び込んできたのが青い空だ。

「空?」

 ヴァルターは思わず呟く。ここは屋内設備のはずだから、空なんて見えるはずがない。そんなヴァルターの脇を肘でつつき、クリスティアンが言う。

「映像だよ、ヴァリー君。リアルタイムにこのデッキの外の空が投影されている」
「そ、そうなのか」

 予算の無駄遣い――とは口に出さなかった。

 そして部屋の最奥部の椅子に座り、黙ってヴァルターたちを見つめている少女に気が付く。黒い髪、そして暗黒の瞳。吸い込まれそうなほどに黒いその瞳は、あまりの黒さに違和感を覚えるほどだ。ヴァルターたちが入り口で立ち尽くしていると、少女は嫣然えんぜんと微笑んだ。十代には相応しくない、艶と深みのある微笑に、ヴァルターのみならずクリスティアンも圧倒されてしまう。

「やべぇわ、あいつ」

 クリスティアンが思わず呟いたが、ヴァルターは無視した。しかし気持ちは一緒だった。少女は立ち上がって、「ご足労をおかけいたしました」と悠然と一礼する。極めて整ったその顔は、いっそ精巧な人形のようだった。その瞳に射すくめられたヴァルターは、寒気のようなものすら覚えた。彼女は確かにが違っていた。

「時間通りですね、さすがはアーシュオン軍人です」
「恐縮です」
「どーも」

 ヴァルターとクリスティアンは口々に応え、案内されるままに室内の会議卓についた。

「アーマイア・ローゼンストックです。よろしく、大尉さん」
「自分はヴァルター・フォイエル――」
「アーマイアと呼んでくださいまし」

 少女――アーマイアは小さく頭を下げる。ヴァルターの名乗りになど関心はないようだった。自分の前にだけある紅茶に遠慮なく口を付けている。

「ああ、そろそろ大佐もいらっしゃいますね」
「大佐?」

 ヴァルターとクリスティアンの声が揃う。アーマイアは手元の携帯端末モバイルを操作して、部屋の鍵を開ける。そこには軍のベレー帽をかぶった長身の女性将校だった。銀髪に赤みの強い茶色の瞳、そして何より目を引くのはその新雪のように白い肌だった。ヴァルターよりもさらに白い。女性将校は軍靴の音も高らかに、しかし滑るようにして入ってきた。その顔には感情のようなものは殆どない。ヴァルターは隣のクリスティアンをつついて立ち上がる。正体が誰であるかはともかく、大佐は大佐だ。下の階級であるヴァルターたちが座ったまま迎えるわけにはいかない。

 大佐はヴァルターたちと会議卓を挟む位置関係で腰を下ろす。

「ヴァルター・フォイエルバッハ大尉、クリスティアン・ハインリヒ・シュミット中尉、だな?」
「はっ。ドーソン中将経由で召喚されました」
「彼女が諸君らに興味を持ってね。相談を受けた私がドーソン中将を使って君たちを呼び出した。名乗るのが遅れた、申し訳ない。私はヒトエ・ミツザキ。昨日付で第四艦隊陸上参謀として着任した」
「参謀、ですか」
「そうだ。まぁ、そうだな、参謀の仕事をするかどうかは今のところ不明だ」

 ミツザキはそう言うとベレー帽を脱いで会議卓の上に置いた。そしてアーマイアの方を伺う。アーマイアはティーカップを置くと、澄ました表情を浮かべて言った。

「対面では
「ふん」

 ミツザキはつまらなさそうに鼻を鳴らし、アーマイアに鋭い視線を送る。アーマイアは「あらあら」ととぼけ、小さく咳払いをした。

「なぜお二人にいらしていただいたのかについては、追々ご説明致しますね」

 アーマイアはそう言うと会議卓の中央に、三種類の超兵器オーパーツの映像を投影した。

「ご存知のように、弊社アイスキュロス重工は、あなたたちにはと呼ばれている兵器群を開発致しました。超小型無人戦闘機、大型可変式無人攻撃機、および、制海掃討戦略機動艦ですね。お名前はご存知とは思いますが」
「ロイガー、ISMTインスマウス、ナイアーラトテップ、ですね」
「イエス」

 アーマイアは満足げに首肯する。

「これらはいずれも試作機ですが、多大な戦果を挙げました。当初の想定を遥かに上回る働きを見せることが出来たことについて、我々は満足しています」
「満足ってよ、あのさ、特にISMTインスマウス。ありゃやりすぎなんじゃねぇの?」

 珍しく黙っていたクリスティアンが、感情を殺した声で言った。しかしアーマイアは微笑み、言い放つ。

「我々は兵器を提供するだけ。使い方はあなたたちの自由です」
「自分たちに責任はねぇよって?」
「責任、ですか? 私たちは殺戮の道具を求められているから作っているだけです。求める者、使う者を責めるのが筋ではないかと思いますが」
「作って提供するやつがいるから、使おうっていうバカが出てくるんじゃねぇのって話だ」
「逆ですよ。使いたいからニーズが生まれる。私たちはそれに応える。諸悪というのなら、アーシュオンという国と、その下部組織である軍。いえ、もっと言うなら戦争を求め、常に勝利を希求する国民すべてではないでしょうか」

 淀みなく紡ぎ出される言葉に、ヴァルターは沈黙で応える。これは不毛な言い争いにしかならないとわかっていたからだ。代わりに止めに入ったのはミツザキだった。

「その辺にしておこうか、ローゼンストックさん」
「ええ、そうですね。それではそろそろ。三種の神器の話ですが」

 アーマイアは一つ息を吐いてヴァルターたちをぐるりと見回した。

「三種の神器はいずれも無人制御だと、弊社は軍にお伝えしております。ですよね、ミツザキ大佐」
「肯定」 
「では、実態は?」
「私は知っている」
「さすがは大佐。まぁ、この話題は今はいいですわね。お二人に聞いて頂きたい本題は、クラゲ、ことナイアーラトテップの話です」

 アーマイアの暗黒の瞳がヴァルターを穿うがつ。

「ナイアーラトテップは、ジークフリートの派生モジュールによる自律思考型の兵器です」
「自律思考……AIか何か?」
「まぁ、その話はいいでしょう。要は核となる意識を中心にして、自分で考える事ができる兵器というです」
「触れ込み、ね」

 ミツザキが冷たく笑う。

「システムとは違う、しかし人間とは言いがたい。そんなものが艦体制御のコアユニットとして使われているそうだ」

 よくわからないが……何か不穏な予感がする。ヴァルターはそんなことを考える。

「よくわかんねぇけど、それは人間とは違うってことでいいのか?」

 クリスティアンが腕組みをしながら呻く。ミツザキは無表情に、アーマイアは艷やかに微笑んでいる。しかし二人の表情からは何一つ答えを引き出せない。クリスティアンは不満そうに鼻を鳴らす。ヴァルターはやや慌てて口を挟む。

「ところで、自分たちは一介の飛行士アビエイターに過ぎません。なぜ、我々に艦船の制御システムについての講釈を?」
「一介の? そうでしょうか?」

 アーマイアは小さく首を傾げる。その意味がわからず、ヴァルターは沈黙する。そこでミツザキがベレー帽を取り上げて、片手で器用にくるりと回した。

「脱線は後にしては如何かな、ローゼンストックさん」
「そうですわね。端的に言えば、あなたたちのとして、あのナイアーラトテップと同様のシステムを搭載した兵器が登場する可能性が極めて高いのです」
「なんだって?」

 クリスティアンが声を上げ、ヴァルターがそれを制する。

「ヤーグベルテも同種の兵器を開発している、と?」
「それを否定する道理はないと思いましてよ」
「確かに」

 ヴァルターはすぐに頷いた。アーシュオンとヤーグベルテの軍事力は常に拮抗きっこうしている。一瞬どちらかが抜きん出たとしても次の年には並ぶか追い越されている。そんな不毛な競争がここ何十年もの間続けられてきたのだ。いまさらその構図が変わるとは思えなかった。

「それで、本題なのですが」

 アーマイアは一呼吸置いた。ヴァルターたちの表情に緊張が走る。ミツザキは退屈そうにベレー帽を弄んでいる。

「実はISMTインスマウス投下作戦およびナイアーラトテップ試作型実戦試験の折、あなたたちの脳波を調べさせていただきました」
「そんな機器付けられた覚えはねぇぞ?」
「そうですね、シュミット中尉。しかし――」

 アーマイアは視線をミツザキに飛ばした。ミツザキは「少しは考えろ」と自分の右のこめかみを指でつついた。

「両作戦の時、お前たちは一体どこにいた?」
「どこって戦闘待機中だから戦闘機の中に……」

 クリスティアンはそこまで言って「なるほどね」と顎に手をやった。

「バイタルチェッカーに細工したな?」
「アップデートだ」

 ミツザキはそう言って、目を細めた。何を意図しているのかはわからなかったが、ヴァルターはそれ以上の追及は無意味だと判断する。クリスティアンも同様だった。

「物は言いようっすね、大佐」
「お前は物の言いようを考えろ、中尉」

 ミツザキはそう言うと、アーマイアに向けてナイフのような視線を送った。アーマイアは泰然自若とした様子で頷き、空中投影されている映像を切り替えた。脳波の波形のようだ。

「アーシュオンの戦闘待機中だった飛行士アビエイターの一パーセント。その一パーセントの方のみにがあることが判明しました」
「ある能力?」

 ヴァルターは少し食い気味に言った。ミツザキは腕を組んで三人を順に見回している。

「言うならば、対セイレネス能力アンチ・セイレネス
「セイレネス?」

 訊き返すヴァルターに、アーマイアは暗黒の目を向ける。

「セイレネスこそ、ヤーグベルテの新兵器群の総称。セイレネス・システムと歌姫セイレーン。これらが組み合わさった時、彼らは私たちを凌駕する」
超兵器オーパーツをもってしても?」
「イエス。彼らは加速度的に強くなるでしょうね」
「加速度的に? どういう意味ですか?」
歌姫セイレーンの歌は、人々の意識の種子を開花させる。選ばれし者が歌うレクイエム。それは新たなセイレーンを生み出す」
「そんな魔法みたいなことがあるもんかい」

 クリスティアンが拒絶する。アーマイアはクスクスと笑う。

「魔法というよりは、呪いかもしれませんわね」
「人の進化、か」

 ミツザキが呟いた。アーマイアは「そうとも言えるかも知れませんわね」と相槌を打つ。ミツザキはヴァルターに向き直り、ベレー帽をかぶった。

「ヤーグベルテの言う歌姫計画セイレネス・シーケンス。これは別にヤーグベルテ国内のみの実験ではないのだ、フォイエルバッハ大尉。兵器の実験にはが必要だろう?」
「まさか、それは」
「必然だよ、大尉。誰が仕組んだとかそういう高尚な陰謀論の話ではない。人間が人間である限り、こんなことは必ず起きる。戦争によって経済が大きく動くものである以上、必ずそれに加担する勢力は現れる。ましてヤーグベルテと我が国は数十年も戦い続けている。こんなに美味しい商売はないだろう」
「我々の超兵器オーパーツに対抗するセイレネス。セイレネスに対抗する一パーセントの人材。我々はヤーグベルテの次の一手に対抗するための人材だと」
「理解が早くて助かる」

 ミツザキはそう言ってアーマイアに視線を向ける。アーマイアはことさらにゆっくりと頷いた。その深淵に過ぎる視線を受けて、ヴァルターは唾を飲む。そして言う。

「セイレーンが歌う前に殺せと?」
「いいえ」

 その言葉を、アーマイアはゆっくりとした口調で否定する。

から、のです」

 兵器のさらなる発展のために、ね――アーマイアは小さく付け足した。

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