05-1-1:相乗効果

歌姫は壮烈に舞う

 

 九月ともなると、ヤーグベルテ統合首都近郊からは夏の香りは消え失せてしまう。気の早い一部の樹木が緑から赤や黄色へと色を変える。時々交じる北風に、人々は秋用のコートを引っ張り出す。海も空も寒々しい色の日が増えてきて、人々は誰もが憂鬱な気持ちになる、そんな季節だ。

「もう半年、になるのか」

 エディットは参謀本部内に新設されたセイレネス・シミュレータの巨大な筐体きょうたいを眺めながら、知らず口に出していた。そう、もう半年なのだ。あの忌まわしい襲撃事件から。時間は飛ぶように過ぎ、しかしアンディの記憶は一層に鮮明に蘇るようになっていた。アンディが命がけで守ってくれた二人の歌姫セイレーン。そして、カティ。三人の顔を見るたびに、アンディとの何気ない記憶が呼び起こされてしまう。それまで、そこまで気にしたこともないような些細な記憶さえ。

 そんなエディットの隣に立つのは、と呼ばれる超エースパイロット、エイドゥル・イスランシオ大佐だ。そして二人の前のコンソール卓に取り付いているのが、歌姫計画セイレネス・シーケンスの技術責任者であるブルクハルト大尉だ。三人は今、シミュレータルームに隣接するモニタルームにいた。超強化ガラスで仕切られた向こう側には、各辺三メートルはある黒い箱が二つ並べられている。その奥にはその半分以下のボリュームの筐体が二十並んでいる。巨大な方はヴェーラとレベッカの専用筐体であり、小さな方は戦闘機用のシミュレータだった。

「半年前といえば、士官学校襲撃事件か」
「ああ、そうだ、イスランシオ大佐」

 義務的に応じたエディットは、その言葉の余韻も消えぬ内にブルクハルトに声をかける。

「それで、やはり違うか?」
「桁違い、ですね」

 ブルクハルトは即答する。エディットは腕を組んで「ふむ?」と宙を見、またブルクハルトの後頭部に視線を飛ばす。

「桁違い、か。君がそう言うのならそうなんだろうが、具体的に頼めるか」
「上のモニタに出ている数値を見て下さい。こちらが通常時で、赤いラインのほうが今回です」
「……振り切っているように見えるが」

 エディットが言うと、イスランシオも頷く。

「ヴェーラのほうが顕著だな。レベッカの方も誤差という次元ではないが」
「つまりこれは、ブルクハルト大尉の仮説が的中したということで良いのだな」
「カティ・メラルティンは、二人の歌姫セイレーンにとっての強力な増幅器アンプリファイアの役割を果たしているというわけです」
「十分すぎる成果だ。だな、イスランシオ大佐」
「君のところにとどめ置くように横車を押した甲斐もあったというものだ」

 イスランシオは何気なくそう言う。エディットは右の眉をわずかに上げる。

「あなたの仕業だったのか」
「楽しいだろう?」
「戸惑っていることのほうが多い」

 突然三人と同居する事になったエディットにとっては、楽しいことばかりでもない。ただ、カティやレベッカが時々料理をしてくれるし、ヴェーラは几帳面に掃除してくれる。その点は純粋にありがたいと思ってはいた。しかし――。

「俺の見立てでは、この扱いがベストだったと思うがね。カティ・メラルティンの空軍への配備も、軍のお歴々は急ぎたかったようだが、俺とレヴィはまだ時期尚早と判断した」
「それゆえの辞令取り消しか」

 九月付で空軍への入隊となるはずだったが、先日突然それが取り消されたのだ。当のカティはといえば、それにさほど失望した様子もなく、淡々と日々を送っている。心身ともに回復しきっていないのは明白だったから、エディットもそのことについてはむしろホッとしたというのが正直なところだった。

「すさまじいな」

 シミュレータの中で未だに続いている戦闘の様子を眺めながら、イスランシオは唸る。ヴェーラとレベッカが操る二隻に、カティ率いる飛行隊二十四機。対する敵性勢力は航空機二百四十。常軌を逸した数的戦力差だった。

 常識的に考えれば、一瞬でカティたちはすり潰されているはずだった。だが、実際のところはカティたちが押しに押していた。こと、二隻の威力が異常だった。カティの戦闘能力も、超エースであるイスランシオからみてもやはり異常だった。

「イスランシオ大佐をして、すごいと言わしめるか」
「実戦経験はただの一度。それもあの羽つき棺桶イクシオンで。それは事実か?」
「事実だ」
「そうか……」

 イスランシオは腕を組み、また戦闘状況を注視する。わかりやすく真紅に塗られたF108パエトーンがアーシュオンの攻撃機を次々と粉砕していく。

「イスランシオ大佐。単刀直入に訊くが、あの子は通用するか?」
「四風飛行隊でという意味か、ルフェーブル大佐?」
「肯定だ」
「結論から言えば、今でも末端に加わることは可能だ」
「今でも?」
「実戦経験を積み、そして生き残ることができれば、彼女は俺やレヴィを凌ぐところに行くだろう」
「それほどまでの評価を貴官がするとは。今回のこの実験結果も踏まえれば、我々は海と空の強大な戦力を得たということになるか」
「皮算用にはならんだろうな」

 イスランシオは断定する。

「それは心強いな。よし、ブルクハルト大尉。次のフェイズへ移行してくれ」
「了解。ヴェーラ、ベッキー、フェイズ移行」
『はーい』
『了解しました』

 巨大な黒い筐体の中にいるヴェーラとレベッカが、それぞれに応答してくる。ブルクハルトがエディットたちを振り返る。

「初めてのフェイズ2です」
「うむ。が出るか」
「ええ」

 ブルクハルトは確信を持って頷くと、コンソールから手を離して、椅子の背もたれに身体を預けた。三人の視線は中央にある一番大きなモニタに注がれている。真上から二隻の戦艦を見ているという構図だ。

『行くよ、ベッキー』
『タイミング合わせるわ』
『オーケー。それじゃ』

 二人が息を吸ったのが伝わってくる。

『セイレネス発動アトラクト!』

 その声が完璧に揃う。その瞬間、モニタが薄緑色オーロラグリーンに輝いた。あまりの眩しさに、エディットとイスランシオは思わず顔をそむけたほどだ。イスランシオは眉根を寄せてエディットに訊く。

「戦艦が、光っているというのか?」
「この光、私は二度目だが。間違いなくセイレネス・システムによるエネルギーの現れだ。だな、ブルクハルト大尉」
「肯定です。そしてこの光が一種の絶対防衛圏ですね。今はカティ・メラルティンによる増幅がありますが、推定半径二百五十キロに渡る海空防衛領域……いわゆるバリアが張られています」
「バリア?」

 イスランシオが意外そうな声を発する。未だバリアシステムは実用化されていない。

「ああ、既存のバリア理論とは違います。もっと次元の違う話です、イスランシオ大佐」
「アーシュオンの超兵器オーパーツのおかげで、説明不能な事象があることは理解できているつもりだが、それにしても半径二百五十キロの絶対防衛圏をこうも容易く生成できるというのは、いやしかし、信じられん」

 そうこうしているうちに残っていた敵機は全滅していた。というより、戦艦に近付いて自滅していったというのが正しいのかもしれない。手も足も出ない、まさに蹂躙だった。

「なるほど、攻撃的アクションを無効化するバリアか」
「攻撃的アクションの無効化?」

 イスランシオの呟きに、エディットが反応する。

「防衛圏に侵入するのは問題なくても、ロックオンなり機関砲掃射なりの行動をした瞬間、セイレネス・システムによって撃破される。だな、大尉」
「データが少ないのでまだ断定しかねますが、その可能性は極めて高いですね。少なくとも、カティとの同時運用による相乗効果シナジーを得ている状況に於いては」

 なるほど――エディットは少し考えてから、イスランシオの何を考えているのかよくわからない顔を見た。

「イスランシオ大佐。この後まだ時間はあるか?」
「休日出勤中だ。給料は出ないがな」
「掛け合おうか」
「こんなことで恩を着せられても困る」

 イスランシオは鼻を鳴らしてエディットを見る。エディットは瞬きすらせずに機械の瞳でイスランシオを見る。二人は別に不快感を持っているわけではない。これはお互いのプロとしての信頼関係があるからこその軽口である。そしてイスランシオがプロの軍人として認めている数少ない人物が、このエディットでもあった。参謀に於いては唯一と言っても良い。

「ブルクハルト大尉。ヴェーラたち三人、準備でき次第六課の司令室へ来るようにと」
「了解です、ルフェーブル大佐。三人ともバイタルは良好ですが、精神的にかなり疲労している可能性があります」
「留意する」

 エディットはそう言うと、イスランシオと並んで部屋を出る。イスランシオはエディットを見てほんのわずかに口角を上げる。

「貴官もずいぶん丸くなったものだな」
「体型の話か?」
「俺にはその手のジョークの才能はない」
「知っている」

 エディットはそう言うと足を止めた。

「私は毒気を抜かれたに過ぎん。生きることに張り合いがなくてね」
「その張り合いになるのではないのか、あの子たちが」
「いや……」

 エディットはまた歩き出す。

「あの子たちに生かされているというのが正しいかもしれないな」
「そうか」

 イスランシオは頷く。

「参謀が全滅したとしても、貴官には生きていてもらいたい。まだいなくなられては困る」
「愛情深いコメントをありがとう」
「愛情はないな」
「知っている」

 エディットはニヤリと凄絶な笑みを見せる。イスランシオは苦笑する。

「俺の知る限り、貴官は一番強い女性で、そして一番油断ならん人間だ」
「それは光栄の極み」
「あの子たちも貴官にはなつくだろう」
「家ではただの酒飲みだがね、私は」
「それでいいだろうさ」

 イスランシオはゆっくりと首を振る。

「大方あの子たちを教育しつつ、セイレネス・システムを最大限に使えるようにするためのメンタル管理も押し付けられているんだろう?」
「……貴官の予測は確信だろう? 訊くまでもない」
「まぁな。俺はそっちの協力はするつもりもないが、必要な情報はいくらでも提供するし、要請に応じるのもやぶさかではない。参謀は嫌いだがな」
「感謝するよ、イスランシオ大佐」

 エディットは前を見たままそう応えた。

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