05-1-2:宣伝材料

歌姫は壮烈に舞う

 

 シミュレータの筐体から出てきたヴェーラたちはクタクタだった。モニタしていたブルクハルトにもその疲労度合いは数値となって読み取れていた。

「お疲れのところ申し訳ないんだけど、ルフェーブル大佐が司令室に来るようにってさ」

 ブルクハルトが告げると、ヴェーラが唇を尖らせる。

「その前に甘いもの食べたーい」
「チョコレートならあるけど、いるかい?」
「いる!」
「ちょっとヴェーラってば」

 遠慮ないヴェーラにツッコミを入れるレベッカ。いつもの構図である。ブルクハルトも慣れたもので、手にしたファイルの中から板チョコを一枚取り出した。ヴェーラはこれまた全く遠慮なくそれを受け取ると、迷いなく三分割してレベッカとカティに手渡した。有無を言わさぬ勢いに呑まれ、二人はそれを受け取ってしまう。

「まぁ、それを食べるくらいの時間なら待っててくれるさ。コーヒーでも?」
「お水持ってきてるから大丈夫」
「そこは遠慮するんだ……?」

 レベッカの至極当然の疑問を受けて、ヴェーラは心外だと顔をしかめてみせる。

「わたしだって遠慮っていう語彙を持っているんだよ」
「使いこなせてないだけね」

 レベッカは肩を竦めつつ、チョコレートの一欠片かけらを口に入れた。カティは少し躊躇ったが、同調圧力に屈して板状のまま一口齧った。

「それであの、ブルクハルト教官。フェイズ2の威力はどうだった?」
「見ての通りさ。やっぱりカティがいると基本出力が全然違う。当然、発動アトラクトしてからはそこに乗算で威力が乗るようなものだから、従来兵器とは桁が違うね、威力の」
「そうなんだ……」

 ヴェーラはレベッカと顔を見合わせる。二人とも複雑な表情をしていて、ブルクハルトはそれに気付いた。しかし彼は何も言わなかった。

「ルフェーブル大佐とはうまくやれているのかい?」
「うん。でもちょっと怖い」

 ヴェーラは唇を尖らせる。

「この前、ピザ三日間禁止令出された」
「まだ言ってる。三日くらい我慢しなさいよ」

 すかさず切り込むレベッカに、カティは苦笑しながら頭を掻いた。燃えるような赤毛が揺れる。

「ピザを三日我慢するくらいなら、お風呂に一週間入らないほうがマシ!」
「入ってよ。臭い美少女とかイヤよ、私」
「じゃぁ、ピザ三日禁止は理不尽ってことで」
「どうしてそうなるのよ?」
「なんでならないのさ?」

 不毛なやり取りが始まったのを見て、カティは手にしたチョコレートに視線を送る。

「二人とも、そろそろ行かないと」
「あ、そうだね。エディット怒らせたらピザ一生禁止されるかもしれないし」

 ヴェーラはひょこひょことカティの周りを歩き回り、そしてレベッカの手を握った。

「司令室って怖いんだよね。ピリピリしてて」
「そりゃそうだよ」

 ブルクハルトがモニタルームへと足を向けながら応じる。

「参謀部の采配一つで死ぬ人も生きる人も出てくるんだ。確かに弾は飛んでこないだろうけど、それだけにルフェーブル大佐たちは大変なプレッシャーと戦ってるんだよ」
「うん、わかってるつもり」

 ヴェーラは頷くと、ぺこりと一礼して部屋を出た。

 程なくして司令室に到着した三人は、プルースト少尉に司令室最上層にある円卓を案内された。各々腰を下ろし、プルースト少尉が持ってきてくれた紅茶で時間を潰そうかと思った矢先に、エディットとイスランシオが姿を現した。

「イッ、イスランシオ大佐……!」

 弾かれたように立ち上がったカティに、イスランシオは「そういうのは要らん」と右手を振った。カティはその眼力に気圧けおされて、椅子に逆戻りする。

「三人とも初対面、だな? 紹介する。エイドゥル・イスランシオ大佐。知っての通り、四風飛行隊ボレアス飛行隊隊長にして、我が国の守護神の一人だ」
「仰々しいな」

 イスランシオは苦笑して、エディットの隣に着席する。円卓の真向かいにいるのがカティである。カティはと言うと、英雄にして憧れの一人でもある人物を前にして、傍目にもわかるほどに緊張していた。シベリウスはともかく、このイスランシオはとにかくとっつきにくい印象の男である。カティは緊張で唾も飲めなかった。

 その様子を敏感に感じ取ったイスランシオはエディットと顔を見合わせて肩を竦めてみせた。普段はやらないような行動だったが、それもイスランシオなりの気遣いだと言える。

「そう固くなるな、カティ・メラルティン。シミュレータに乗っていた時はもっといきいきしていたようだったがな?」
「見、見ておられたのですか」
「最初からな。あまり天狗になられると困るが、お前には才能がある。シベリウスが言っていた通りにな。実戦とシミュレーションは違うが、それを差し引いてもお前は優秀な戦闘機乗りパイロットになるだろう」
「あ、ありがとうございます」
「緊張はしていても、その目。いい目だ」

 イスランシオは頷くと、携帯端末モバイルを取り出した。カティも促されて自分の携帯端末モバイルを取り出す。するとすぐにそこにファイルが一つ届く。

「公式の書類だ、カティ・メラルティン。四風飛行隊の入隊訓練に参加してもらう」
「えっ……!?」

 カティは目を見開き、口を二度開閉した。カティの隣に座るヴェーラとその向こうにいるレベッカが「わぁ!」と声を上げている。

「訓練自体は十月からだが、それまではシベリウス預かりで準備運動だ。明日からな」
「あ、明日ですか?」
「拒否権はない。問題ないな、ルフェーブル大佐」
「問題ない。メラルティン、質問はないのか?」

 エディットはオンタイムではカティたちをファミリーネームで呼ぶ。彼女なりの線引きである。

「じ、自分はまだ上級高等部の訓練も終わっていません」
「お前にはあんなものは必要ない」

 イスランシオの確信を持った言葉に、カティは押し黙らざるをえない。

「まぁ、そうだな」

 イスランシオは一拍置いた。

「軍としてのスタンスをあえて表現するとなれば、宣伝のため、だろう」
「宣伝、ですか」
「そうだ」

 イスランシオは明瞭に頷いた。

「先の攻撃を受けて、ヤーグベルテは全土に於いて厭戦機運が高まっている。いや、敗戦ムードか。とにかく、奴らの超兵器オーパーツには絶対に勝てないに違いない、そういう絶望感が、国土を支配しつつある。切り札たる歌姫計画セイレネス・シーケンスにしても、正直いえば思った通りに進んではいない」

 イスランシオの視線がヴェーラとレベッカを薙ぐ。二人は小さく首をすくめた。イスランシオの隣に座るエディットは無表情だ。

「アイギス村襲撃事件の唯一の生き残り。士官学校襲撃事件に於いてはF102イクシオンを操り、初陣ながらも果敢なる反撃をもたらし、。勇敢なる悲劇の天才飛行士パイロット。それが正規の訓練過程を経ずに四風飛行隊へ配備される。その上戦果も上げてもらえれば言うことなしだが、さしあたりこれだけで十分な宣伝材料になる。マスコミどもが喜びそうなネタだろう?」

 確かにそうかもしれない――カティは複雑な面持ちで頷いた。

 その時、トム・レーマン大尉がやってきて、エディットにタブレット端末を手渡した。

「ご苦労、大尉。そうだ、後でブルクハルト大尉のところからデータを取り寄せてくれ。明日の昼までに分析を」
「明日の昼、ですか」

 レーマン大尉が若干ひきつった声を上げた。

「阿鼻叫喚ですよ。今回、新フェイズも試行されたんですよね」
「だからといって敵は待ってはくれないぞ、大尉。それに、何より、上層部おえらがたが計画のこれ以上の遅延は許さんと息巻いている」
「しかし、物理的に」
「レーマン大尉。君の諫言かんげんは貴重だし尊重してやりたいのは山々だが、このままだと第三課に歌姫計画セイレネス・シーケンスられるぞ」

 エディットは無感情な声で言う。それを聞いてイスランシオが立ち上がる。

「アダムスの野郎は空軍のボスでもある。カティ・メラルティンというカードを握られているのは仕方がないにしても、それ以上の権力を与えるのは得策ではないな」
「同意だ」

 エディットはそう言って、再びレーマン大尉の巨躯を見上げた。レーマンは小さく肩を竦めてみせると「了解しました」と言い残して去っていった。それを見届けて、イスランシオも右手を上げつつ背を向けて去っていった。

「さて、ハーディ少佐」

 レーマン大尉と入れ替わりでやってきたのはアレキサンドラ・ハーディ少佐だ。眼鏡の奥の鋭く尖った視線で、カティとヴェーラ、レベッカを見回す。そして先程までイスランシオ大佐が座っていた椅子に腰をおろした。ここは本来、ハーディの定位置である。

 それを見届けてから、エディットはケロイド状になっている両手の甲に視線を移しつつ言った。

「始めてくれ、少佐」
「承知致しました、大佐」

 ハーディはほんのわずかに頷くと、手にしたタブレット端末を操作し始めた。

→NEXT