ヤーグベルテ最強の艦隊といえば、最新鋭航空母艦ヘスティアを旗艦とした第七艦隊である。潜水艦キラーこと、リチャード・クロフォード准将を事実上の司令官とし、神出鬼没のアーシュオン潜水艦艦隊を撃滅して回っている。アーシュオンの艦隊の半数以上が潜水艦艦隊であり、彼らにしてみればこの第七艦隊は恐るべき敵であった。
「会敵予測時刻は十時間後、といったところか」
クロフォードは司令官席から黄昏の空を眺めている。所々に浮かぶ雲が輝いて見える。実に美しい空だ。海面は小競り合いで穢すには惜しいほどの輝きに包まれている。戦闘の前はたいていがこうだ。まるで最後の景色を見せてくれでもするかのように、空も海もあまりにも美しく感じられる。もっとも、戦闘中は艦橋下にあるCICに缶詰にされるから、そんなものを感じられる余裕などないのだが。
しかし、この戦いのフェイズももう終わる。フェーンが守ったあの子たちが実用レベルになった暁には、既存の全艦隊戦力は一気に陳腐化する。そして世界はますます混沌とするだろう。
「フェーン、新兵器による平和など来ないんだぞ」
呟いてみるが、その声は広い艦橋の中に溶けていく。忙しく動き回る艦橋要員たちの耳にも入らなかっただろう。
訪れるのはおそらく目を覆いたくなるような凄惨な未来。それはもう約束されているようなものだ。S計画とT計画。参謀部第六課が主導を取るセイレネス・シーケンスと、第三課が推し進めるテラブレイク・プロジェクト。その二つの計画は全く別のものに見えるが、実はその先ではつながっている。一つのより大きな戦略の一部だった。
「もっとも、ルフェーブルもアダムスもそんなことは知らんだろうが」
対立する二つの課にそれぞれを任せている中央政府。まったくもって狸の集まりである。
もっとも、彼らにそこまで計画する能力はない。となれば、神や悪魔のような存在がシナリオを書いたのではないのかとさえ思えてしまう。しかしわからないのは、誰のためにこんな未来が描かれているのか、だ。万事うまく回ったとしても、その先にあるのは混沌だ。我々が自ら混沌へと這い寄っていく――クロフォードはそんなことを考える。
しかし、何のためなのかはうっすらと理解できる。世界を完璧に滅ぼそうという大きな力を感じている。世界は幾度となくこの少し先の未来で滅んでいるのではないか。そしてその度にまたやり直し、少しずつ少しずつ形を変えているのではないか。生命が代を重ねながら少しずつ進化していくかのように、だ。もしこの証明不能な仮説が正しいのだとすれば、それはクロフォードの願望とも手を取り合えるものだった。完全なる滅びは、完璧なる救済なのだ。そして繰り返す未来の中で、人は少しずつ、超人へと近付いていく。それがこのシナリオが招く未来であるとするならば、クロフォードは喜んで手を貸してやろうとすら考える。
いや、妄想だな。
クロフォードは首を振りつつ、席を立つ。戦闘前に少し寝ておこうという算段だ。執務室へと向かおうとして立ち止まり、再び窓の外を見た。
しかし、妄想であろうと何であろうと、計画は動き始めている。ここからの未来は、現在の延長上にはない。必ず大きく歪められる。セイレネス・システムにはそれだけの力がある。アーシュオンの持ち出した三種の神器など前座に過ぎない。ヤーグベルテから技術供与されたのだという噂さえある、アイスキュロス重工社製の恐るべき新兵器たち。彼ら超兵器のおぞましい活躍ぶりもまた、歌姫たちの舞台のための演出に過ぎないとすら言える。
「俺たちはある程度苦戦してみせなければならないということか」
面白くなどない。だがしかし、ヴェーラとレベッカのデビューに向けた舞台演出のためには、ある程度の犠牲もやむを得ないのだろう。実際に、政府のお歴々はそのような方向で動いている――無論、表には出さないが。
どこまでも他人事だ。あいつらは。
あいつらには、どこかで見物料を支払ってもらわねばならない。滞納分の利子も合わせて。彼らは自分だけは安全だ、自分には何も起きない、そういう愚かなことを本気で信じている。彼らには中途半端な敵しか見えていないからだ。
たとえば俺は? やつらにとって俺という存在は?
クロフォードはじっと立ち尽くし、暗くなり始めた空を見る。空と海の境界線は、もはや判然としない。
彼らにとっては都合の良い駒だろう。そう見えることだろう。だが。
「歌姫たちの舞台を、無料で見せてやるつもりもない」
利用させてもらうぞ、歌姫計画。神やら悪魔やらの目論見がどうあれど、俺は俺の演出方法で舞台を作らせてもらう。
クロフォードは夜になったばかりの海を背にして、昏い笑みを浮かべた。