06-1-2:虚数へと向かう

歌姫は壮烈に舞う

 

 参謀部より出撃命令が出た時、イスランシオ率いるボレアス飛行隊は、強襲航空母艦・ベロスにて、既に出撃準備を終えていた。イスランシオは参謀部がこの島嶼作戦に時間をかけるつもりがないことを知っていた。事前に警戒地域として割り当てられていた海域から、北西にわずか五十キロ。参謀部はアーシュオンが当該地点に攻撃を仕掛けてくることを予め知っていたということになる。

「対潜哨戒はいつも以上に慎重にやれ。がいる可能性もある」

 もっとも、遭遇したら逃げる以外にないが。

 イスランシオは自身の専用機F108+ISパエトーンプラス・インターセプタ・シュライバーのシステムを起動させて、軽く首を回した。

 いや、クラゲでこの母艦を沈めようとは思わないだろう。この俺をるなら空でと考えるだろう。暗殺という手段では、アーシュオンの喧伝工作の足しにならない。新兵器の性能を示すのにも、俺かレヴィをそのターゲットにするはずだ。母艦ごと沈めるなどという芸のないことをするとは思えなかった。そもそも、アーシュオンの暗殺者などよりも自国ヤーグベルテの政治屋たちのコロコロ変わるポリシーのほうがよほど怖かった。

 アーシュオンが大規模に動いたのは半年ぶりだ。当該の島嶼は、常日頃アーシュオンの市民活動の延長で、不法占拠されては取り返すという小競り合いの続いている状態だった。だが今回は違った。完全にアーシュオンの軍事活動の一貫としての侵略が行われていた。軍事的にはほとんど意味のない島嶼の本格的な占領に向けて、アーシュオンが大規模な作戦を実施したというのは不可解だった。

「罠……か?」

 イスランシオは嫌な予感を拭い去れず、ヘルメットを軽く叩いた。

『大丈夫ですか、大佐。いけますか』
「……問題ない」
『では順次射出します。ご武運を』
「ああ」

 イスランシオの機体が空へと弾きあげられる。くるくると回転した後に、翼が展開しエンジンノズルが輝いた。

「全機続け。警戒を怠るな!」

 イスランシオたち総勢二十四機の戦闘機は、一路戦闘空域へと向かう。

 前哨戦はあっけないほどにあっさりとしたものだった。敵の航空戦力は物の数分と持たずに壊滅状態に陥った。それもそのはずだ。イスランシオが自ら率いるボレアス飛行隊と、真正面から渡り合える部隊など、アーシュオンにはほとんどいない。率いるマーナガルム飛行隊でも出てこなければ、ボレアス飛行隊は苦戦などしない。アウズ教導飛行大隊、ナグルファリ飛行連隊といったトップエース集団も存在するが、彼らはどういうわけか、まずめったに最前線に出てこない。

「このまま潜水艦どもを駆逐する。各機、油断するな」

 超大型の潜水艦が全部で五隻。しかし、退避行動をしようという様子が見えない。

 刹那、強烈な対空砲火が撃ち上げられてきた。およそ潜水艦とは思えないほどの対空防衛網を構築され、イスランシオたちはたまらず散開して上空に避難する。完全に同期された対空攻撃に、さしものイスランシオも虚を突かれた。だが、未だボレアス飛行隊は無傷だ。

『隊長! 敵機、新手が四! 海中より出現!』
「そいつらが真打ちか!」

 道理で先程までの敵にあまりにも手応えがなかったわけだ。彼らはデコイだ。寄せ集めの新人飛行士たちを動員したのだろう。

 現れたのは小型の戦闘機だ。イスランシオは冷静にその機体を観察して、叫ぶ。

「間違いない、新種の超兵器オーパーツ! 警戒しろ!」

 その四機が一糸乱れぬ連携でイスランシオを襲う。他のボレアス隊員には目もくれない。

 そういうことなら!

 イスランシオはペダルを思い切り踏み込んでオーグメンタを点火した。しかし敵機は同じ速度で詰めてくる。距離が開かない。ボレアスの隊員たちが矢継ぎ早に新型機に攻撃を仕掛けるが、いったいぜんたいどういう手品なのか、何一つ通用していなかった。30ミリのHVAP高速徹甲弾の連打に耐えられる航空機など存在しないはずだ。それどころか対空ミサイルが命中してもまるで平然として飛び続けている。その機体に傷がつかない。

「化け物め」

 八都市空襲の前哨戦でノトス飛行隊が半壊した時と状況は同じだった。まったく歯が立たないままに撃墜されてしまう。イスランシオがやられれば、次は隊員たちだ。撃墜されるわけにはいかなかった。しかし、イスランシオの真骨頂でもある敵機システムへの侵入破壊攻撃クラッキングすら通用しない今、打つ手はなかった。

 イスランシオは頭を切り替えて、ひたすら被弾を回避する機動を取る。それにより命中弾こそ回避できてはいたが、状況が好転する見込みはない。イスランシオの額に汗が浮かぶ。冷や汗だ。全身の筋肉が、関節が強張っている。前後左右上下から襲いかかるG加速度に滅多打ちにされながら、それでもイスランシオは飛ぶ。

「緊急事態だ。さっさと第六課に引き継げ! クソッたれども!」

 イスランシオの怒号がコックピットに響く。なにやら参謀たちの声が聞こえているが、それはイスランシオの望むものではない。この状況をほんのわずかでも好転させられる者がいるとしたら、ただ一人、エディット・ルフェーブルだけだ。彼女なら或いは活路を見いだせるかもしれない。

「俺ももう持たんぞ!」

 イスランシオは吐き捨てるなり、機体を天頂へと向けた。急激にブレーキが掛かり翼がきしんだ。四機の敵機は脇を掠めるようにしてイスランシオを追い越していく。イスランシオは瞬間的に機体を天地逆転させて、敵機の後ろへつけた。その瞬間に世界が赤く染まる――レッドアウトだ。血流はもうめちゃくちゃだった。たとえ生還できたとしても、もう二度と飛べないかもしれない。肺も少なくないダメージを受けているに違いない。

 トリガーを引く。引き絞る。タングステン合金の弾頭が最後尾の機体に直撃する。数十、いや、百を超える直撃が出た。だが、敵機はそれをあざ笑うかのように、回避すらしなかった。

「舐めやがって!」

 執拗に直撃を浴びせるイスランシオだったが、ミサイルの直撃さえ通用しない敵にはもはやお手上げだった。その時、けたたましいロックオンアラートが鳴り響く。敵機は全機前を飛んでいるのに、だ。

 ――侵入された!?

 レーダーに無数のミサイルが映っている。しかし実際には空は静かなものだった。レーダーに侵入されたということだ。これで武器も目も失った。おまけに身体もボロボロだ。パイロットスーツのサポートがなければ全身の骨が砕けて内臓も潰れていただろう。それ以前に失神していたに違いない。

 海面に激突するほどの勢いで機首を下げ、反転してきた敵機をやり過ごす。風圧が海面を打ち、激烈な水柱を打ち立てる。敵機がそれに突っ込めば少なからず失速する――という計算だったが、敵の新型機はそれをものともせずに突き破ってきた。

「ちっ!」

 正面に敵の潜水艦が見えた。まるで高みの見物でも決め込もうとするかのようにその艦体を水面に出していた。

「見世物じゃないぞ!」

 イスランシオはすっかり油断している潜水艦の直前で急上昇を仕掛け、今度はまっすぐに落下した。機関砲が猛火を吹き出し、潜水艦の甲板に大穴を穿うがっていく。が、潜水艦の対空砲火もまた熾烈しれつだった。だがイスランシオはそれらを神がかった機動で避け、トリガーを引き絞った。

「沈めッ!」

 だが、弾が切れていた。

「!?」

 一瞬集中が途切れたその瞬間、機体が殴り飛ばされたような衝撃を受けた。敵機によって尾翼をまとめて消し飛ばされていた。

「くそっ!」

 左の翼がちぎれる。エンジン出力が下がる。後部装甲の殆どがダメになる。衝撃吸収材を展開するも焼け石に水だ。電気系統もやられている。もはやベイルアウトもできない。

「……!?」

 潜水艦の傷だらけの甲板の上に、が立っていた。女はイスランシオを見上げて微笑んでいた。イスランシオは機首を起こそうとする。だが、無駄だった。もはや潜水艦への自由落下以外の選択肢がなかった。

「提案があるのだけれど」

 女の声がイスランシオの頭の中に響いた。

 時間が止まっていた。無数の弾丸がキャノピーを突き破ったその瞬間に、時間が止まっていた。ひしゃげた弾頭が無数にコックピットを埋め尽くしていた。

「ふふ」

 女がコックピットの前にいた。どういう力学かは不明だが、とにかく女は空中にあった。そしてうるさげに弾頭を払いけ、イスランシオの頬に触れた。そして蠱惑こわく的に微笑む。悪魔の微笑だ――イスランシオは直感する。

「私と一緒に来ない? エイドゥル・イスランシオ。選択権はあなたにある」
「一緒に行って何がある?」

 イスランシオは左腕がちぎれていることに気が付いた。女は嫣然えんぜんと微笑んで囁いた。

「虚数の世界」
「虚数だと?」
「そう、虚数。世界の全てが格納されている場所。あなたのもそこにある」
「記憶?」

 イスランシオは少し考えて「ああ」と頷いた。あの違和感だ。誰が俺にコーヒーを入れていたのか、という不気味な感覚だ。

「たとえ神でも、たとえ悪魔でも、虚数の世界から逃げることはできない。私はそこに揺蕩たゆたう魂を、こうして拾い集めているのよ」
「魂を拾い集め……そうか」

 イスランシオは目を細める。凄絶な微笑が浮かんでいる。

「ゴーストナイトの総元締めというわけか、戦乙女ヴァルキリー
「ふふ、そうと言うのなら、そうでしょうね」

 女はそう言うと、ふわりとイスランシオに口付けした。その舌がイスランシオの内側を這い回る。激痛に苛まれているはずの意識が、ぼんやりと境界線を失い始める。今まさに死にゆく者であると認識しているイスランシオにとって、の世界があるというのは救いだった。生きることにはさほど執着はなかったが、それでも終わりは怖かった。それはひとえに、だったからだ。だが今それは払拭され、イスランシオの中にわずかにあった恐怖の芽も完全に摘まれていた。

 イスランシオの前に、黒髪に藍色の瞳の女性がいた。その切なげな表情を見た瞬間に、イスランシオは思い出す。を。

「ヘレン!」

 そう、ヘレーネ・アルゼンライヒだった。ヘレーネは微笑みイスランシオを抱きしめた。

「証明にはなった?」

 ヘレーネの姿が消えると、再び銀の髪の女が目の前に現れた。

 イスランシオは頷いた。

「十分だ」
「そう。よかったわ」

 女は赤い目を細め、イスランシオの右腕を引いた。

 瞬間、時間が戻る。イスランシオのF108P+ISパエトーンプラス・インターセプタ・シュライバーが潜水艦に激突した。潜水艦は猛烈な黒煙を上げて、二度、三度と爆発した。

「ああ、死んだんだな、俺は」
「ようこそ、イスランシオ」

 空中に浮かぶイスランシオと銀の女が見つめ合う。

「私は女。されど産み手には、には、なれない。だから私はこうして魂を集めているの」
「ならば今はさしずめ神々の黄昏ラグナロクの真っ最中ということか」
「そうね、あなたがそう言うのなら」
「これで俺も亡霊か」
「新しい生命の形に生まれ変わったと考えてみてはどうかしら?」
「くだらんな」

 イスランシオはそう言って、我が物顔で飛び回る敵の新型機を睨んだ。

「……!」

 そして気付く。あれはということに。それらから確かにを感じたのだ。

「馬鹿な、そんなことが」

 あんな機動、人間にできるはずが。

「それがをしているならば、そうでしょうね」
「どういうことだ?」
「いずれわかるわ、イスランシオ」

 そう、か――。

 イスランシオは虚空へと消えていく己の意識を感じながら、この上ない高揚感に包まれていた。

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