06-2-1:二人の距離感

歌姫は壮烈に舞う

 

 こと、エイドゥル・イスランシオ大佐が戦死したちょうどその頃、ヴェーラとレベッカはシミュレータにてセイレネス・システムの調整訓練を実施していた。暗い筐体の内にて、二人は細かな訓練プログラムを遂行している。

 二ヶ月前の平手打ち事件以後、ヴェーラとエディットの関係性はまったく噛み合わなくなってしまった。完全にすれ違ってしまっているとレベッカは感じている。カティがいてくれれば話はまた違ったかもしれない。

 しかしそのカティは今、エウロスの訓練に忙しく、この二ヶ月で顔を見せたのはわずかに四日間だけだった。それも疲れ切っていて、ほとんど泥のように眠っていた。そんなカティに相談事なんてできるレベッカではなく、ヴェーラとエディットは表面上は平静を取り繕っていたから、カティがその事態に気付ける余地などなかった。

 ため息しか出ない。レベッカは暗い筐体の中で努めて大きく深呼吸をする。ふわふわしたの波間を揺蕩たゆたっているような不思議な感覚。快不快の話ではなく、とても慣れることのできそうにない不安定な感覚だ。しかし、この空間ではヴェーラの吐息をほんのすぐそばに感じられる。体温さえ感じられる気がする。その点についてのみ、レベッカはこのシステムが好きだった。彼女にとってヴェーラは何よりも大切な存在だったからだ。

 しかし、そのヴェーラは……どこか遠い。二ヶ月前の、セイレネス・システムによるが明かされてから、ヴェーラは誰からも――レベッカからさえ――距離を取ってしまったように思う。太陽みたいだったヴェーラが、今はその心の中心に冷たく黒い棘を抱えている。レベッカはそれが恐ろしかった。いつかその毒の棘がヴェーラを殺してしまうのではないか。あるいはヴェーラを変えてしまうのではないか。そんな不安がレベッカをさいなむのだ。

 たとえるなら、深淵の奈落の底に、たったひとりで立ち尽くしているかのような。

 

 空色の瞳がギラリと輝き、レベッカをまっすぐに見上げていた。

 怖気おぞけを感じて肩を抱いたその瞬間に、ヴェーラの鋭い声が響き渡る。

『ベッキー! 随伴艦を守って! 攻撃機来てる! 何してんの!』
「ご、ごめんなさい」

 レベッカは一つ謝りながら、状況を確認する。夜闇に紛れて攻撃機が数十機、まるで雲霞のごとく艦隊に向かってきている。

「艦隊、全対空火器にて迎撃! 順次、本艦に――」
『ベッキー、遅い! 弾幕展開ぜんっぜん遅い!』

 どうしたんだろう、私。意識がついてこない。私以外の何かが私を動かしているんじゃないかってくらい、思考と行動に時差ラグがある。

『ベッキーは援護に回って。わたしがやる。メルポメネ、弾幕展開バラージ!』
「ご、ごめんなさい!」
『そういうのいいから』

 その刹那、レベッカの意識の目は空が燃え上がったのを捉えていた。闇空が薄緑色オーロラグリーンに輝いたかと思った直後に、だ。空間自体が爆発したかのようだ。その猛烈なエネルギーが海面を揺らし、巨大な戦艦、ヴェーラのメルポメネと、レベッカのエラトーをも激震させる。

 そのあまりのエネルギーの根底にあるのは、だ。レベッカは確信を持ってそう考える。ヴェーラの内に燃え盛る行き場のない怒りが放出されているのだ。

『ベッキー、訓練計画、頭に入ってる? 次のミッションに移って』
「あ、ええ、そうね。モ、モジュール・ゲイボルグ! 放てトリガー!」

 レベッカの持つ最大の攻撃手段がこのゲイボルグだった。戦闘ではヴェーラが防御、レベッカが攻撃を担当することが多い。レベッカの狙いは新たに押し寄せてきている敵機の第二波だった。放たれた光の矢が敵機に突き刺さり、核兵器もくやと言わんばかりの爆炎を生じさせる。しかしそれはいつものレベッカの威力ではなかった。

『上の空』
「ごめんなさい……」
『どうしたの?』

 レベッカの頬が一瞬温かくなる。ヴェーラが触れた――レベッカはそう感じた。

『今は訓練に集中。次は……』
「核ミサイル」
『分かってるならさっさと片付けよう』

 核。レベッカは唾を飲む。シミュレーションだからまだいいものの。

『わたしたちのセイレネスを止められなければ、撃ち込まれる側は何もできない。ベッキー、はなって!』
「わ、わかったわ。戦術核ミサイル、一番から八番、放て! ゲイボルグ、発動!」

 核ミサイルたちが海面を這うようにして飛んでいく。水平線の彼方、通常ならば見ることのできない距離にいる敵艦隊が核の炎に包まれたのが。そのエネルギーは無駄なく敵艦隊を包み込む。無造作に放出されるはずの力が完璧に制御されて、敵艦隊を焼いていた。

 しかし――。

「ヴェーラ! なにこれ!」
『戦闘機が一機、抜けてきてる……!? そんなばかな』
「全機ゲイボルグで捉えていたはず!」
『それは間違いない。でも、何だこの一機……!』

 エラトーと並走していた駆逐艦が、機関砲で沈められた。正確無比な攻撃を前に、対応の遅れたレベッカたちには為す術もない。

『速すぎる。それに、セイレネスの干渉を受け付けない!』
「どういうことなの、ヴェーラ」
『わからないよ。バグかも』

 ヴェーラがそう言った直後に、モニタルームで状況を見ていたブルクハルトの声が入ってくる。

『これはバグじゃない。だけど、僕の作ったデータでもない。何かが紛れ込んだ可能性がある』
「侵入されたということですか?」
『断定はできないけどね。でもこのシステムに攻撃を仕掛けるとなれば、相当な技術と設備が必要だ。それはそうと、その謎のオブジェクト、君たちの力で叩き落としてほしい。どうも嫌な感じがする』
「了解しました」

 レベッカは頷き、ヴェーラのメルポメネとともにそのたった一機生き残っている戦闘機に攻撃を集中する。他の艦船からの対空砲火も上がっており、その弾幕はもはや濁流のようだった。しかし、それでも捕えきれず、それどころか二隻の戦艦はそれぞれにかなりのダメージを負った。
 
「ヴェーラ、トリガーちょうだい!」
『オーケー、同期射撃だね。なら私はセイレネスに集中する』
「そうして」

 レベッカの正確無比な攻撃が、さらなる火力を持って戦闘機を追いかける。ヴェーラの放つ薄緑色オーロラグリーンの輝きが密度を増す。戦闘機を絡め取ろうとするかのように光が伸びる。

「捕まえた!」

 レベッカが勝利を確信する。もはや敵機は逃げられない――!

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