07-1-2:カティはわたしのために――

歌姫は壮烈に舞う

 

 ヴェーラの名前を見た途端、カティの中に溜まっていた倦怠感が消し飛んだ。少しドキドキしながら画面をなぞり、通話を開始する。

『カティ! 生きてるよね!』
「多分、まだ手足はちゃんとある」
『今すぐ抱きしめて確かめたい!』

 ヴェーラの熱のこもった言葉に苦笑しながら、カティは窓の外に目をやった。午後八時とは思えないほど明るく照らしあげられた基地内では、未だに整備や補給の部隊が忙しく動き回っている。四風飛行隊の基地に限らず、今はどこの拠点も同じようなものだろう。

 今カティが座っている休憩スペースはこの時間になると薄暗くなり、利用者もほとんど誰もいない。十一月ともなると室内はかなり冷えるが、暖房は控え目だ。結果として、吐き出す息が時々白くなる。しかし、疲れで火照ったカティの身体には、この寒さはちょうどよかった。

『ほんっとうに毎日心配してるんだから! カティだけは絶対に死んじゃだめなんだから!』
「気をつける」
『そーいうところがカティだよね! 普通なら、アタシは大丈夫だ、とか、アタシは死なないよ、とか言うところじゃない? わたしだってカティがそんなこと言ったって、絶対の約束にならないことはわかってるんだよ。でも、そう言ってほしいんだよ』
「ご、ごめん……」
『まぁいいよ。カティは嘘つけない人だもん。そういうところが大好き、なんだよ』

 つまりアタシはどうするのが正解だったんだ? と、カティは考え込む。

『ありのまま。カティはカティだからいいの。取り繕うのもカティ。正解を探しながら迷うのもカティ。カティを好きな人たちはみんな、そんなことお見通しだよ。だからカティは変なこと考えなくて良い。みんなの欲しがる答えを探す必要なんてない。ね?』
「う、うん、そう、かな?」

 カティは曖昧に応える。他人が自分をどう思っているか、他人が自分に何を求めているのか――そういったことにはカティはひどく臆病だった。だから目立たないようにひっそり生きていきたいと思っているのに、社会はそうはさせてくれない。そして今やカティは、ヤーグベルテの中でもトップクラスの有名人の一人だ。もはや日陰で生きる道はなかったが、それがまたカティを疲れさせていた。メディアのインタビューにしても、聴衆の反応が気になってしまってまともに本音を語ることができなかった。後からその様子が報道で流れることになるが、放送前はそのことが気になって上の空であり、放送後は放送内容を悔やんでしまって落ち込むということが続いていた。

『それでね、カティ。あまり良くない話なんだけど』
「良くない?」
『うん。ベッキーがね、また倒れたの。セイレネスの訓練中に。もう何度目だろ、六回目かな』
「原因は不明なままなのか?」
『進展なし。ブルクハルト教官ですらわからないんだからお手上げ。なのにエディットたちは
訓練を止めないんだ。いや、このご時世だからわからなくはないよ。セイレネスが動かなかったら、アーシュオンには全く対抗策がなくなっちゃう。急ぐのはわかる。わかるんだけど!』

 ヴェーラの早口に苦笑しつつ、カティは「でもさ」と口を挟む。

「ベッキーは心配だな。今はもう回復したのか?」
『うん。さっきご飯食べてもう寝た。あー、そうそう。ベッキー、倒れた後は絶対わたしと一緒に寝るって言い張るんだ。じゃないと寝られないって』
「そうなんだ」
『わたしのこと好きすぎるよね、ベッキー』
「良いじゃないか。ヴェーラだって好きだろ」
『好きだけどそういう好きじゃないよ、わたしの。求められればあげてもいいけど、でもそうじゃないんだよなぁ』
「なるほど」
『カティは誰か気になる人はいないの?』
「いないなぁ。アタシがヨーンの声を忘れてしまったら、その時に考える」
『そうかぁ。わたしね、カティのことなら愛してもいいなーって思ってるよ』
「どうしてアタシ?」
『好きなんだもん』
「よくわからないぞ?」
『わたしも』

 ヴェーラはそう応えてケラケラと笑った。その様子を聞くに、レベッカの容態は深刻なものではないらしいとカティは判断する。

『でも嫌じゃないでしょ、カティ』
「うん。嫌じゃないな」
『よかった。カティも誰か好きになれるといいね。わたしのことでもいいんだよ』
「ヴェーラとベッキーのことは好きだよ」
『抱いても良い?』
「うっ……それは」
『ジョーク! 冗談だよ。どっちかというとわたしが抱かれる側だもんね』
「いや、そうじゃない」
『律儀にツッコミ入れるよね。ベッキーに似てるね、そゆとこ』

 そうかな――カティは若干の異議を覚えたが口には出さなかった。

『ベッキーは心配だけど、でもセイレネスがちゃんと使えるようになったら、きっとカティたちを助けられるよね。国家がどうのなんて正直どうでもいいけど、カティのためになら頑張れるよ、わたし。ベッキーもいっつもそう言ってる』
「あ、ありがとう」
『だからカティは絶対死んじゃだめ。カティが国家を背負ってる!』
「そんな」
『頑張る動機なんてそんなもんだよ、わたしにとって。たかだか国家国民のためになんて、カティは死なせない。カティはわたしのために生きるの。そうじゃないとわたし、この国や世界を恨むことになるもん。そんなのは嫌だ。だからカティは絶対にわたしのために生きて』
「がんばる」

 カティは努めて声を張って応えた。その様子がおかしかったのか、ヴェーラはまたケラケラと笑う。

『そういうところ、ホント好き。今すぐ抱きしめてキスしたいよ、カティ』
「キスは届かないだろ」
『しゃがんでよ』
「やだ」

 カティは二杯目のコーヒーを購入して、またソファに戻る。

『ちぇ。まぁいいや。シャワーの時侵入しちゃるで』
「やめてくれよ」
『お背中お流ししますねー』
「間に合ってる」
『つれない』
「つられない」

 カティは疲労感からか、どこかテンションがおかしくなっているのを自覚する。

『あ、そうそう! エディットのことなんだけど! ちょっとカティから言ってやって! 顔を叩くのは良くないって!』
「叩かれたのか?」
『しょっちゅうだよ! わたしがガーっていうといきなりバシーン! その後めっちゃお酒飲んでるのを見ると反省はしてるっぽいんだけど、叩かれたわたしにはゴメンもないの!』
「それはよくないな。じゃぁ、アタシが」
『ん、なに? アタシが何を言うの?』
「ね、姉さん!?」

 突然聞こえてきたエディットの声に、カティは思い切り動転した。

『あはは! なーんてね。ヴェーラが聞えよがしに私の話題を出すから代わってもらったの』
「えっと、いや、あの」
『手が出ちゃうのは申し訳ないと思ってるの。でも、ヴェーラの言葉が正しすぎて、私にはそれに対抗できない。でも、私の立場としてはヴェーラの言葉を受け入れるわけにはいかない。だから、こう、暴発しちゃうの』
「でも叩くのはダメだよ、姉さん。シベリウス大佐だって暴力は振るわないよ」
『言葉の暴力よりいいじゃない』
「いいとか比較の話じゃないよ、姉さん。ヴェーラだって分かってて言ってるんだ。ヴェーラにだって曲げられない正義があるんだよ」
『私の立場だって大事なのよ。私のエゴの話じゃなくて、私が間違えばセイレネスの計画自体がおかしくなって、その結果ヤーグベルテはますます危ない状態になっていくの』
「わかってる」

 カティはコーヒーを一口飲んだ。苦いが、喉に心地よい。

「アタシさ、姉さんのことすごく好きだよ。尊敬してる。それにヴェーラやベッキーのことをかけがえのない親友だと思ってる。大切なんだ。だから、そんな人たちに暴力で場を収めて欲しくなんてないんだ。言葉をてたらダメだよ、姉さん」
『……あなた、本当に成長したわね』
「みんなにしごかれてるから、かな」

 カティは苦笑する。

『わかった。叩かないように善処するわ。でもヴェーラって本当に生意気なの! その辺もあなたからちゃんと言っておいてくれる?』
「姉さん、目の前にヴェーラいるんでしょ。両手縛ってから本音ぶつけあってごらんよ。お酒抜きで」
『それは無理。いつだってお酒飲みたいもん』
「あのね……」

 カティは額に手をやって、ふと窓を見る。窓に映るカティの顔は、笑っていた。もう何ヶ月もしていなかった表情だと思う。

「姉さん」
『うん?』
「ありがと」
『ふふ、どういたしまして。ところで次はいつ戻ってこられるの?』
「作戦が続いてるから。それにアタシ、早く強くなりたいから」
『うん。わかった。わかってるわ。シベリウス大佐ならその辺ちゃんと考えてくれるだろうし。でも、つらい時はいつでも逃げてきていいのよ。少なくとも私はビンタ一発で手を打ってあげる。立場としてね、ノーペナルティってわけにはいかないからね』
『エディット、そういうとこだぞ!』

 ヴェーラの声が聞こえる。エディットは「はは」とわざとらしく笑い、またカティに声を掛ける。

『ま、それはともかく、逃げるのは大事なこと。たる私が言うんだから間違いないわ』
「せ、説得力がすごいね」
『でしょ。だから大丈夫よ、あなたには逃げて来られる場所がある。あなたを抱きしめたいと思ってる人がたくさんいる。でも逃げ場を守るためには、対価が必要』
「対価?」
『そ。死なないこと』

 エディットは軽い口調でそう言い、小さく息を吐いた。

『わかったわね?』
「わ、わかった。死なない……ためにもっと強くなるから」
『よろしい。それじゃ、ヴェーラに返すわ』

 カティはそれからしばらくの間、ヴェーラと他愛もない会話を交わし、帰路につく。

 屋外に出ると、そこはもはや冬だった。雪こそないが、体感気温は氷点下だ。その代償なのか、空は澄みきっていた。月のない空が、星でまぶしい。

「寂しくなんてないぞ」

 カティは強く言い切り、天頂を見上げた。吸い込まれそうなほど高い空。空を見れば、いつでもヨーンを思い出せる。そして少し切なくなる。

「寂しくなんてないんだからな」

 カティはそう言って、駐車場へと足を進めた。

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