07-2-4:カウンターアタック

歌姫は壮烈に舞う

 それから数分が経った。メインモニタ上では、AX-799テラブレイカーによる一方的な殺戮劇が変わらず繰り広げられていた。ヴェーラとレベッカは無表情に紅茶を胃に流し込む作業を続け、エディットは自席にてハーディと何事か打ち合わせていた。

「あっ!?」

 腰を浮かせるレベッカ。ヴェーラもほとんど同時に紅茶のカップをソーサーに置いた。カチャンと大きめの音が鳴る。

「どうした?」

 エディットがレベッカの方を怪訝な表情で見る。そしてつられてメインモニタの方に視線を送った。

「なにかあったか?」

 画面は爆炎で彩られるのみで、ほとんど状況がわからない。砲撃の頻度は明らかに下がっていることから、アーシュオンの艦隊はほとんど掃滅されたと見て良いだろう……ということくらいしかわからない。

「ハーディ、ログは?」
「特に異常はなさそうですが……」

 とは言うものの、そもそも電磁波の干渉がひどくてまともなログは取れていない。

 レベッカはちらりとヴェーラを伺った。その瞬間、二人の視線が交錯する。レベッカは頷いた。

「来る……!」

 その直後、海域に広がっていた煙が、嘘のように晴れた。黒煙が完全に消え、いだ海だけが残っていた。海面には艦艇も人もない。それどころか戦いの痕跡すらなかった。

「どういう、ことだ?」

 さしものエディットも動揺を隠せない。おそらくAX-799テラブレイカーの搭乗員たちも同じ気持ちだっただろう。

 そこでヴェーラが勢いよく椅子を蹴って立ち上がる。

「いた! あそこ! 拡大して! 左上!」

 AX-799テラブレイカーからの映像がぐんぐんと拡大されていく。そこで司令室内の誰かが声を上げる。

「クラゲだ!」

 紛れもないナイアーラトテップの、能面のようにも見える上部装甲が海面に現れていた。

「ほう。あのデカブツがナイアーラトテップを駆除できると言うのなら、アダムスの野郎を少しは見直してやるところだが」

 エディットが腕組みをして背もたれに完全に身体を預けたまさにそのタイミングで、AX-799テラブレイカーが一点集中、熾烈な空爆を開始する。非常識な熱量がわずか数百平方メートルの範囲に発生するが、少なくともヴェーラとレベッカは、ナイアーラトテップがこの程度でどうにかなるとは考えてはいなかった。

「お手並み拝見。使える兵器ならば良し」

 エディットもハーディもすっかり観戦モードに入っていた。ログをチラチラと確認してはいるが、本気で読み込んではいない。ヴェーラとレベッカは顔をしかめながら、息を止めて映像を見ていた。

「あっ……!?」

 二人の歌姫セイレーンが同時に声を上げる。ハーディはすぐさま自分の端末に視線を送り、ログを読み上げる。

「クラゲより艦載機が二、いえ、三。先程のロイガーたちとは形状に差異あり」
「新型か、ハーディ」
「おそらく。レーマン大尉、技術本部に問い合わせを」

 階下から「承知しました」と応答がある。

 メインモニタに映るその新型機を見ながら、エディットが唸る。

「すごい機動性だな」
「大佐。機動性は七割増し、と、技術本部より。装甲形状もある程度の流用は認められるが、まったくの別物であると思われる、とのことです」
「七割増し……!?」

 ハーディの報告にどよめく司令室。

「さっきのインターセプタはめくらましで、こっちが真打ちか」

 エディットは技術本部から送られてきたデータを睨んで呻く。その横顔に、ヴェーラが緊迫した声で言う。

「あれはさっきまで飛んでたロイガーたちとは比べ物にならない!」
「性能ではそうだろうが」
「いえ、それだけじゃなくて」

 レベッカが首を振る。

の圧力が全然違うんです。今までの漠然としたとは全然違うんです」

 レベッカの言葉通り、AX-799テラブレイカーからのうんざりするほどの砲撃を、その三機はものともしない。直撃弾ですらダメージに至っているように見えない。

 三機のは絡まり合っている。これまでの超兵器オーパーツたちのは独立していた。しかし、今は違う。その空域にが完成しつつあった。この三つの音源によるの威力向上連携攻撃は、後に「コーラス」と呼ばれることになる。

 三機の剣のような戦闘機は瞬く間に四万メートル近くまで上昇する。AX-799テラブレイカーはもはや目と鼻の先だ。AX-799テラブレイカーから多数のUCAV無人戦闘機が放出されるが、それらは鎧袖一触の如き容易さで全滅させられてしまう。

「勝てるわけがない」

 ヴェーラは椅子に戻ると息を吐いた。レベッカも頷き、残り少なくなった冷めた紅茶の水面を見つめる。エディットはため息をついて立ち上がると、メインモニタの前に移動した。

「莫大な予算がこのザマか」

 送られてくる映像はもはや正視に耐えない。たった三機の戦闘機によって、一方的に打ち砕かれていく空の戦艦。為す術もなく炎を吹き、大きく傾斜していく。脱出は無意味だった。今外に出れば、一瞬で放射線にやられる。そもそも高度四万メートルからの脱出自体が至難の業だ。

「アレの搭乗員たちとて、厳しい訓練を突破した精鋭たちだっただろうに」

 エディットは奥歯を噛みしめる。しかし、そうと知っていても、エディットにできることは今は何もない。ただ祈るだけだ。

「大佐、第三課より通信が」
「繋いでくれ」
「どうぞ」

 その瞬間、メインモニタいっぱいにアダムス中佐の顔が現れた。撫で付けられていた髪は乱れ、目は血走っていた。

『ルフェーブル大佐! 我々はあの新型機の存在を知らなかった! 我々は情報が隠蔽されていたと考えている! AX-799テラブレイカーであれば、ロイガーなど恐れる必要もなかった!』
「ふん、ここに来て泣き言か?」
『私に恨みを持っていたのはあなただ、エディット・ルフェーブル大佐!』
「それは心外」

 エディットの声の温度が明らかに下がる。

「私を妬み蔑んでいたのは貴様の方ではないか、アダムス中佐。そもそも貴様など、私にしてみれば執るに足りぬ存在だ」
『なるほど自供ですね。それゆえにあなたは我々に情報を秘匿したと』
「なぜこれが自供になるのか理解に苦しむ。貴様のその短絡思考でよくもまぁ、三課の統括になどなれたものだといっそ感心するが」
『我々が情報を持ってさえいれば、こんなていたらくは晒さなかった! ロイガーの新型が出てくるなど、我々にしてみればまったくの想定外だ!』
「私が個人的感情の発露として、貴様に情報を渡さぬなどということがあるはずがなかろう。私は兵士を見ている。貴様や私のメンツなどどうだって良い。最前線が少しでも戦えるようにするため、生き残る確率を高めるためならば、私は貴様だって利用する。その逆はありえん」

 エディットの鋭い声がアダムスを怯ませる。

「それになぁ、アダムス中佐。私が本当に私怨で動くような人間であるなら、貴様の額にはとっくに特大の風穴が開いていただろう」

 エディットの言葉を受けて、ハーディが小さく頭を下げる。「お任せください」と言わんばかりに。エディットは頼れる腹心に目を細め、またアダムスに視線を戻した。

「アダムス中佐。私に対する誹謗中傷を吐きまわるのは別に構わない。貴様自身は私にとっては取るに足りぬ人間。それが何をほざいたとでどうでもいい。だがな!」

 エディットの声がますます冷たくなっていく。

「参謀の仮面を被って発される言葉には責任が伴う! 命の責任だ! その中でも絶対に言ってはならん言葉がある。それはな、想、定、外、だ! 真に聞き捨てならない。想定外という言葉で犠牲者が納得するか。想定外という言葉で遺族が癒やされるか。そんなものは己の無能さの言い訳に過ぎん。仮に想定外が起きたとしても、それを想定外だと喚いてしまった時点でおしまいだ!」
『しかし!』
「黙れ、アダムス!」

 エディットの怒号が響く。その凄まじい声量に司令室が静まり返ったほどだ。

「我々は何をしている。計算問題を解いているのか。受験勉強の延長か? 違うだろう。我々にとってのというのは、前線の兵士にとっては何だ? わからないこと、予測できないこと、それはすなわちだ。それ以外のなにものでもない。彼らは目の前の死と戦っている。文字通り必死にな。ならば安全地帯にいる我々は何をすべきか。それは彼らの代わりに考えることだ。どんなものからでも、どんな手段でも、手がかりを集めろ。探せ。考えろ! だなどというふざけたことを抜かす前にやれることはまだまだある。だなどと思考停止して、現場を捨てるな! 見捨てるな! ふざけるなよ、中佐!」
『しかし、それは――』
「黙れ、無能!」

 エディットは不動の姿勢のまま吐き捨てた。無表情で身振りの一つもせずにそんな暴言を吐くものだから、オーバーアクションに騒ぎ立てているアダムスの滑稽さがより一層際立ってしまう。ヴェーラとレベッカは首をすくめてその嵐が行き過ぎるのを待った。

「最後に一つ助言してやるから傾聴しろ、アダムス。いいか、我々が引き算をする時というのは、誰かに死ねと言っている時だ。そして足し算をする時というのはな、誰かにこれから死んでこいと言っている時だ。それが我々参謀の言葉であり、覚悟の発露だ。? それはな、最悪の言い訳だ。タクトを振る者が口にしてはならん言葉だ。わかったか、アダムス。参謀の本分をわきまえろ!」

 それはハーディでさえ初めて見るほどの剣幕だった。そもそもが穏やかな性分ではないエディットだったが、ここまで他人に対して攻撃的な発言をしたことはなかった。それほどまでにこの一連の作戦行動とアダムスの弁明が、エディットの逆鱗に触れたのだ。

「大佐、ちます」

 ハーディが言うのと同時に、メインモニタの片隅が赤く輝いた。AX-799テラブレイカーが大爆発を起こしたのだ。

『あれには脱出装置がある』
「当たり前だ。だが脱出など不可能だ。この放射線の嵐と敵新型機の前でどう脱出しようというのだ」

 実際のところ脱出装置は使われなかった。その前に機体が爆発四散してしまったからだ。

「見世物は終わりか、アダムス。祝辞は送ってやる。搭乗員数十名の命と、莫大な予算を注ぎ込んだ試作機一機と引き換えに、敵三個艦隊の殲滅を成し遂げた偉大な業績に対してな!」

 AX-799テラブレイカーは撃墜されてしまったが、それに対する戦果の大きさはもはや異常値だった。アーシュオン本国の三個艦隊を事実上たった一機の航空機が殲滅したのだ。また、敵新型機の性能もデータとしてしっかり取得されていた。そのことも戦果にカウントしなければならない。ナイアーラトテップが航空戦力の運用能力を有している点についても。

『ふん、当然です。Tテラブレイク計画はまだ始まったばかりですからな!』

 アダムスはそう言って、一方的に通信を切った。あれだけ言われてもなお尊大不遜な態度をある程度維持することが出来たアダムスに対し、ヴェーラは「なにあいつ、嫌い」などと感想を漏らした。レベッカもそれには同意しているのか、無言でヴェーラの方に視線を送った。エディットは二人の歌姫セイレーンを振り返るが、その顔にはほとんど感情がなかった。」

「これが現実というやつだ、グリエール、アーメリング。まもなくこのについて、各種メディアで華々しく報道されることだろう」
「……大戦果?」
「そうだ、グリエール。感情論はともかく、現実として圧倒的コストパフォーマンスで敵を殲滅した。酷な言い方をすれば、たったの数十名の犠牲で数千以上の敵を殺した。新たな超兵器オーパーツの性能も入手できた。どう転んでも大戦果と言わざるを得ないだろうよ」

 顎に手をやって考え込む仕草を見せていたレベッカが、ややげんなりした口調で言った。

「この大戦果を口実にして、AX-799テラブレイカーは量産を開始。それによってヤーグベルテは、アーシュオン本土への機動兵器での攻撃手段を手に入れることができるようになる」
「でもさ、ベッキー。そんなことしてもまたあの新型機にやられるんじゃ」
「さっきアダムス中佐が言っていたでしょう? ロイガーなら何とかなったって」

 レベッカは眼鏡のフレームを押し上げつつ、眉間に力を入れる。

「ヴェーラ、兵器というのは必ず次の兵器によって超克ちょうこくされるの。核兵器がそうであったようにね」

 そして視線をエディットの機械の瞳に移す。エディットは瞬きもせず、乾いた目で見つめ返してくる。

「私たちもあの攻撃機と同じなんですよね、AX-799テラブレイカーと」
「……切り札だ」

 エディットは肯定も否定もせず、そうとだけ応じた。レベッカは「はい」と短く応え、ヴェーラに向き直り、その両手を握る。

「ヤーグベルテは専守防衛の姿勢をこの百年以上の間貫いてきた。でも、たぶん、もうそれは終わる。だって、ここまで酷い目にあわされてきたんだもの。そこにきて、ヤーグベルテはたったの一機で三個艦隊をにできるような、圧倒的に見える力を手に入れた。手に入れてしまった。今までに溜まった不安、鬱憤、不満、復讐心……け口を求めたそれらの感情は、あっという間に世論を作るの」
「でも、ベッキー、それじゃ――」
「ヤーグベルテは民主主義国家よ。選挙が国を動かす以上、国は世論にはあらがえない」
「軍は政治の方向性を決めるための道具?」
「そうとも言えると思っているわ、私は」

 レベッカの肯定に、ヴェーラも「そっか」と頷く。

「税金徴収の目的もできる。伴って国防費はうなぎのぼり。戦争で国土は荒廃してもそれ以上のリターンが得られる。世論はわかりやすく読みやすくなる。政治もその簡単な世論に波乗りするだけでいい。その結果として、歌姫計画セイレネス・シーケンスTテラブレイク計画も、軍に関するなにもかもが加速していくっていうわけだ」
「ええ、そうだと思う」

 レベッカはヴェーラの手を取ったまま、ゆっくりと立ち上がって、エディットを見た。エディットは無表情に頷く。

「帰って休んでくれ、ふたりとも。もうここでは何も起こらない」
「はい。行くわよ、ヴェーラ」
「うん」

 二人が荷物を持ち上げるのと同時に、ハーディがプルースト少尉を呼び出している。

「二人を自宅まで」
「了解です」

 息を切らせて上がってきたプルーストは、すぐに仰々しく敬礼すると、二人の少女に微笑ほほえみかけた。ヴェーラはエディットに振り返る。

「エディ……じゃない、大佐」
「何だ、グリエール」
「……何でもない」
「そうか」

 エディットはそう応じて自席に戻る。そして腕を組んで目を閉じる。それを見届けて、ヴェーラたちは司令室を出ていった。

「まったく」

 エディットは呼気とともに呟いた。

「平和主義の民主主義国家、か」

 その言葉の響きは、今となっては白々しくさえある。

 私たちはどこへ向かおうとしているのだろうか。

 エディットは沈鬱な表情で高い天井を見上げた。

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