AX-799の出現により、アーシュオンは三個もの正規艦隊を喪失した。一度の戦闘での被害としてはまさに前代未聞ともいうべきものであり、その痛打の結果としてアーシュオンは九ヶ月もの間沈黙することになった。超兵器を動員したにも関わらず、まさかの全滅という被害を被った結果、アーシュオンの世論は一気に反政府に傾いてしまったからだ。反政府分子の多くを排除するのに半年以上を要したのだ。だが結果として、国家の戦時体制モチベーションは地に落ちた。
そこでアーシュオンが国威発揚のためということで目をつけたのが暗黒空域こと、シベリウス大佐の殺害である。異次元の手こと、イスランシオ大佐を殺害した際には国民は大いに湧き、戦意は向上した。今回はヤーグベルテの双璧のもう一方、暗黒空域を殺害することで戦意は向上し、また、ヤーグベルテの防空能力も喪失させられるという狙いもあった。
「それで、クレタ島嶼群をそのための戦場に選んだ、というわけだ」
ヴァルターはメンバー十一名を前に、スクリーンにポインタを投影しながら説明する。彼らがいるのは旗艦に備え付けられているブリーフィングルームの一室だ。
「もっとも、このクレタ島嶼群は、我々が過去十年間に渡って攻め続けたものの、一度とて陥落させられたことのない難攻不落の大要塞だ。海からは攻めにくく、航空戦力で叩こうにもあの密度の防空網を抜けるのは至難の業だ。体よく抜けられたとしても生半可な攻撃では要塞に直接打撃を与えられない」
「資源の重要拠点だしな。で、隊長、そういうのはいいから次行って、次」
「黙って聞いておけ、クリス」
ヴェルターは尖った声でそう命じたが、クリスティアンはサラリと無視を決め込み、立ち上がって前に出てくる。
「そんでだよ、奥さん。我らがアーシュオン首脳部は、あのヤーグベルテのAX-799なんつーおしゃれな新兵器に肝を冷やしたわけでございますよ。で、ヤーグベルテにこれ以上の武器を持たせちゃならねーよってんで、今回のこのバカみたいな作戦を立てたっつーわけ」
「席にもどれ、クリス」
「へいへい」
クリスティアンは大げさに肩を竦めて見せ、飄々とした足取りで自席に戻った。入れ替わりに今度はフォアサイトが手を上げる。
「たいちょー! しっつもん、いいでっすかー!」
「……なんだ」
「あのデカブツ、テラ何とか! 確かに脅威的な戦力だと思います! でも、あっさり新型ロイガーに撃墜されたじゃないですか。まったく歯が立ちませんでしたよね? だったら、今後も――」
「ばーかばーか」
クリスティアンが茶々を入れる。
「超兵器が完全制御下にあって、ちゃんと働いてくれるならいいよ? けどよ、あいつらみてーな気まぐれ兵器。あんなもんを作戦でアテにしちゃいけねぇだろ、フォアサイト。組織立った運用のできねー兵器なんて、信用しちゃいけねーの」
「そういうことだ、クリス、フォアサイト。そして」
ヴァルターはスクリーンにISMTを表示させる。それに声を上げたのがシルビアだ。
「まさか、隊長……これを? こんなもの投入したら――」
「言いたいことはわかる」
「こんなものを使ったら、何のための制圧作戦かわかりません。暗黒空域はたしかに脅威。始末できるならできた方が良い。しかし、そのためにこのクレタ地方の莫大な資源を消失させるというのは……」
「残念ながら、中参司二課、グスマン准将発の作戦だ。覆らないさ」
「あー、ヤダヤダ! 殲滅の二課かよぉ」
クリスティアンが大げさに声を上げる。
「何を犠牲にしても暗黒空域をぶっ殺すっていう気概を感じるぜぇ」
「そういうことだ、クリス。まもなく敵の警戒範囲だ。後戻りはできんさ」
ヴァルターは厳しい表情で続ける。
「今回はクリスの第二飛行隊が先陣を切る。俺の第一飛行隊はエウロスが出てきたところで出撃し、撃破殲滅する。そういう作戦指示だ」
「第二りょーかい。エウロス来たらとんずらぶっかましてオーケーってことですな!」
「艦隊防空に回れということだ、クリス」
「へぇへぇ」
「真面目にやれ、クリス」
「精一杯真面目であります!」
クリスティアンの態度にイライラとした表情を見せながらも、ヴァルターは何とか堪える。
「エウロス全機など相手にしていられん。相手は五十は動員してくる。こっちは第一飛行隊で当たることになる。となれば五十対六。土台無茶な数値だ。だから俺は暗黒空域と一騎打ちをするしかない。シルビアたちにはそのお膳立てを頼みたい」
「……了解です」
シルビアは返答しつつ立ち上がる。やや色の抜けた黒髪を後ろに撫で付けながら、ヴァルターを鋭く見た。
「そして、アーシュオンはISMTを投入し、島嶼ごと吹き飛ばす。その被害についてはヤーグベルテによる焦土作戦の結果という発表を」
「そういうことだ、シルビア」
ヴァルターは頷き、早口で解散を宣言した。一同はクリスティアンを除いて流れるように姿を消した。
「で、ヴァリー君よ」
二人きりになったのを見計らって、クリスティアンがあくび混じりに声をかける。
「エウロスとガチ勝負ってことになると、俺たちだってタダじゃ済まされねぇ。あちらさんは五十は見とかなきゃならねぇ。クレタは要衝だからな。雑魚相手なら俺の部隊だけでも五十くらいなんてこたねぇ。だが、相手はバケモン集団のエウロスだ。今回の作戦、アウズもナグルファリも動員されちゃいねぇ。つまり、これ、俺たちは捨て石にされるんじゃねぇのって」
「中参司二課は、俺たちが刺し違えることを望んでいると?」
「そうとしか思えねぇよ。あわよくばってところかもしれねぇけど」
クリスティアンは腕組みをして立ち上がる。
「そうそう。今思い出したんだけどよ。ヤーグベルテのあの空中戦艦が出てくる前の前座。あの戦いは違和感ありまくりだっただろ? ロイガーが組織立って動いていた。まるで指揮官がいたかのようにな」
「それは、そうだったな」
空を一瞬で制圧した三機の新型ロイガー。機体性能もさることながら、あの連携攻撃は今まで見られなかった類の戦闘形態だった。それまでのロイガーたちの戦いは、いわば行き当たりばったりだった。
「しかしそれは」
「特殊なプログラムの線はねぇよ。俺もこの九ヶ月遊んでたわけじゃねぇ。奴らの動きを解析していたもんだ。だがな、どうにもおかしいんだよ。あの戦場で飛んでいた新型ロイガーは三機だ。だが、映像解析をするとそれじゃ辻褄が合わねぇ箇所がいくつもある」
「まさか」
「俺達の手元にある正規品の映像は三機でいいんだ。それでよく見える。だが、裏で手に入れた映像は、明らかに不自然だ。三機は三機だ。だが、どう考えても手は四本ある」
「どういうことだ。透明な機体でもいたと?」
「どういう意味かはわからねぇ。だが、俺たちに観測不可能な機体がいた可能性がある」
「まさかそんな非科学的な」
「はは」
クリスティアンは乾いた声で笑う。
「ま、いいさ。違和感の正体はともかく、俺たちは共通の違和感を持った。今はそれでいいさ。くれぐれも気ぃつけようぜ」
クリスティアンはそう言い残して部屋を出ていった。それと入れ替わりに入ってきたのがシルビアだ。シルビアは後ろ手に素早く閉扉ボタンを押すと、じっとヴァルターを見つめた。ヴァルターは思わぬ視線に居心地の悪さを覚えながら、シルビアが何を言うのかと待つ。
ジリジリした時間が三十秒近く流れた後、シルビアは意を決したように口を開いた。
「エウロス相手に実質六機で当たれという指示には納得できません、隊長」
「とは言ってもな、逆らう権限などない」
「私たちは噛ませ犬にされています。エウロスをおびき出すためのエサにされている」
「わかっている。だが、エウロスを撃破できるのもまた、俺たちしかいない。まして空戦で暗黒空域を倒せる可能性があるのは、おそらく俺しかいない」
ヴァルターは淡々とそう言って、スクリーンの電源を落とす。気を利かせた天井灯が少し明るくなる。
「隊長、私は――」
「誤解するな、シルビア」
ヴァルターはシルビアとほぼきっちり三メートルの距離を持って向かい合う。
「君が情報部の人間だからというわけじゃない。俺は俺の仕事を、任務をまっとうすると言っている」
「しかし、隊長、死ぬかもしれないんですよ」
「言うな、シルビア。その可能性は低くはないさ。だが、信じるしかない」
「信じる? 何を? 参謀司令部? 艦隊ですか」
「仲間だ。マーナガルムを信じている」
「そんなこと」
シルビアは首を振る。
「私だって情報部です。となれば、中参司の息がかかっている可能性がある。だから、隊長を謀殺する可能性だって」
「ないな」
ヴァルターは一言のもとに切って捨てる。シルビアは意外そうに目を見開く。
「俺は二番機の君を信じる。というより、信じなければ飛べない」
「私はあなたを殺すかもしれない」
「であるとしても、暗黒空域を撃破した後の話だ。今はその先はどうだっていい」
ヴァルターは腰に手を当てて、ふっと息を吐いた。
「君がどこの所属だろうが、どんな役割を与えられて、どんな仮面を被っていたって構わない」
「甘いですね」
シルビアは短く言い切る。ヴァルターは「だな」と同意し、シルビアに近付いた。
「この戦いで、俺が生きるか死ぬか。それは君に大きく依存する。命は預ける。頼む」
「死なせませんよ」
シルビアはヴァルターを正視する。ヴァルターはゆっくりと頷いた。
「暗黒空域との一騎打ちのお膳立て。簡単じゃないぞ」
「分かっています。必ず」
「うん」
ヴァルターはまた頷くと、今度はすれ違いざまにシルビアの右肩に手を置いた。
「君は俺を撃たない」
「わかりませんよ」
シルビアはヴァルターのその手を捕まえる。
「逃げないでください」
「逃げないさ」
「なぜ?」
「信念さ」
ヴァルターはそう言うと、シルビアの手をトントンと叩く。
「コーヒーでも? 奢るぞ」
「お付き合いします。自腹で」
「請求書は情報部か?」
「ジョークが下手です、隊長」
シルビアはようやく、ほんのりとした微笑を見せた。