あんなもの、戦闘でもなんでもない。
第四艦隊旗艦、ニック・エステベスに着艦したシルビアは、コックピットの中でヘルメットを投げ捨てた。汗に湿った灰色の髪を掻き毟り、そのまま頭を抱える。ヤーグベルテが持ち出してきたAX-799による虐殺でも感じたが、こんな戦闘が今後のスタンダードになるんだとしたら、いったいこの気持をどのように処理すれば良いのかと、シルビアは苦悩する。
そう、ただの一方的な殺戮。虐殺なのだ。
ヤーグベルテの第二艦隊が存在していた海域は、完全に消滅していた。海に大穴が空いていたことを衛星画像で確認した。艦隊も航空機も、まるで最初から存在していなかったかのようだった。炸裂したエネルギーのあまりの大きさに、味方であるはずの第四艦隊もいくらか巻き込まれたという報告も帰り道で聞いた。
ISMT、悪魔の兵器だ。人の命の残滓すら遺させない。反撃も、逃げることも許さない必殺の兵器。ヤーグベルテの無辜の民、数百万を殺しただけでは飽き足らず、今なお貪欲に新たな犠牲者を求めているというのか。
「確かに暗黒空域は死んだ」
シルビアは確認するように声に出す。脱出した暗黒空域が回収された艦は、ISMTの直撃を受けていた。万に一つも助からない。
確かに大戦果だ。しかし、あまりにも虚しすぎた。生かしてはおけない敵であったことは事実であるにしても、こんなアンフェアな手段で殺害するなど恥ずかしい話だ。ましてその片棒を担がされたことに対して、シルビアは頭が沸騰しそうなほどの怒りを覚えていた。
「おぉぃ、石頭~!」
機外から呼びかけてくる声に気がついて、シルビアはゆっくりと立ち上がる。戦闘の緊張感の余波がいまだ続いていて、関節が固くなっている。下を見ると、機首の近くにフォアサイトが立っていた。露天駐機だから、甲板を吹き抜けていく風が立ち上がったシルビアに轟音を押し付けていく。
シルビアが機体を降りると、フォアサイトが駆け寄ってくる。
「やったね、シルビア。大金星だ!」
「嬉しくはない」
シルビアは尖った声でそう応える。
「そぉ? あたしは少し嬉しいんだけど」
「あんなの、勝った気がしない。あんなの――」
「生粋の飛行士だねぇ、シルビアは」
フォアサイトはシルビアと並んで歩く。目指すは艦内の飛行士待機所だ。
「暗黒空域の方が死んでくれて良かった」
「え?」
シルビアは表情を険しくして、フォアサイトを見た。フォアサイトは「お察しの通り」と前置きしてから説明する。
「暗黒空域の殺害に失敗した場合は、事故を装ってマーナガルム1を撃破せよ」
「ッ!」
シルビアは思わず足を止める。が、フォアサイトの蒼い瞳で見据えられ、仕方なくまた歩き始める。
「なぜ情報部はそんな……」
「さぁねぇ?」
目的地に着くなり、フォアサイトは自動販売機の前に鼻歌交じりに移動した。シルビアも喉が乾いていたので、その隣に並ぶ。二人はそれぞれにコーヒーを購入して、各々のリサイクルカップに注がれるのを待った。
室内には他の飛行士の姿はない。おそらく皆、もうすでに休憩所の方に移動したのだろう。
コーヒーを持って、シルビアは手近な椅子に腰掛ける。フォアサイトはその目の前のテーブルにお尻を乗せて、シルビアを見下ろした。
「さっきの質問だけど。多分、情報部としてはどっちでもよかったんだよ、死ぬのは。おそらく中参司二課としても、ね」
「何のために隊長ほどの人材を」
「アジテーションってやつのためじゃない?」
「アジテーション……?」
「そ。国民世論を煽るための燃料、みたいなもんとして。暗黒空域を倒せれば士気高揚の材料になる。仮に倒せなくても御存知の通り、ISMTによって死ぬのは確定していた。でも、壮絶な戦いの末に撃墜したという情報を作りたいから、そのための人身御供として、白皙の猟犬がちょうどよかったってところじゃない?」
あっさりと言ってのけるフォアサイトに、シルビアは剣呑な視線を向ける。
「そんなことのために――」
「結果としては良かったじゃない。暗黒空域だけが死んだんだし」
「まぁ、それは……」
シルビアは沈鬱な声を出して、コーヒーを喉に流し込む。
「シルビア」
「……うん?」
「あたしが、もし、あんたくらい純粋でいられたら或いは、とは思うよ」
「そう、か」
シルビアはリサイクルカップを回収ボックスに片付けると、足を引きずるようにして部屋から出ていった。
フォアサイトは残ったコーヒーを飲みながらそれを見送る。そしてテーブルから降りるとゆっくりと部屋の反対側に身体を向けた。
「あんたは本当にニンジャか何かか」
「気付かれてる時点で失格だぁな」
並んでいる自販機の前に、いつの間にかクリスティアンが立っていた。フォアサイトは驚きこそしなかったものの、少しばかり不快感を示している。
「この預言者様を出し抜こうったってそうはいかないよ」
「無駄なことはしねぇよ」
クリスティアンは両手を上げてみせる。そして自分のコーヒーを購入してフォアサイトの隣に並んだ。
「しっかしシルビアは、純粋なお姫様だこと」
「だねぇ。あの性格で情報部ってのは、ちょっと酷だと思うけどねぇ」
「ま、それも運命か」
「運命ね」
フォアサイトは小さく笑う。荒んだ笑みが吐き出す呼気が、コーヒーの湯気を不安定に流していく。
「未来は可能性の集合体。運命というのは全てが決まりきった世界の話。あたしはそんなものは支持しない」
「へぇ、可能性の集合体ねぇ」
「変えられるってこと。良い方にも悪い方にも、ね」
「運命というものを信じたほうがまだ救いがあるんじゃね?」
「不幸な人にはね、運命という理由付けができる方が確かに良いかもしれない」
フォアサイトはそこまで言って、少し考える。
「でもだったら、不幸から這い上がれる可能性のある未来のほうが、あたしはまだ救いがあると思うよ。もっとも、自分が不幸であることを運命とか他人のせいにして、それで満足できるんだって言う人間にはオススメできない考え方だけどさぁ」
「幸も不幸も神様任せにゃできねぇってか」
「そういうこと」
「運命論の方が俺は後味いいんだけどなぁ」
「自分勝手っていうの、それ」
「そうかぁ?」
不満げなクリスティアンに、フォアサイトはニヤリと微笑む。
「もがく、あがく。だからこそ美しいんだよ。運命みたいな物が本当はあるのかもしれない。何をしても自分の未来には救いがないのかもしれない。そんな不安に必死に抗う姿は、多分とっても美しいんだ。だからこそ、あたし、シルビアが気になるんだよ。彼女があれほど苦悩していなかったとしたら、あたしはここまであいつに関与してない」
「へぇ」
クリスティアンはコーヒーを飲みながら気のない返事をする。
「可能性とやらにしがみつくのは、蜘蛛の糸みてぇなもんだと思うんだがね」
「ネロの釣り糸みたいなもんという方が良いかもしれないよ、クリス」
「リア王かよ。この世は地獄ってことかねぇ」
「少なくとも、天国じゃあないよね」
フォアサイトはそう言うと、カップを片付けて部屋を出ていった。
一人取り残されたクリスティアンは、コーヒーの黒い水面を眺めながら息を吐く。
「どいつもこいつも、考えすぎなんだよなぁ」
やれやれだぜ――クリスティアンは首を振ると、まだ熱いコーヒーを一気に飲み干した。