10-1-3:この戦いが終わったら――

歌姫は壮烈に舞う

 シルビアがヴァルターを送り届けた先は、ヴァルターとエルザの新居だった。エルザはヴァルターが車から降りる前に家から出てきていた。到着を待ち構えていた、といった様子だった。

「シルビアさん、いつもありがとうございます」
「いえ……」

 いつになくにこやかなエルザに、シルビアは胸の痛みを覚える。何かは分からない。不快感とも違う。しかし、何か胸が痛かった。

「コーヒーでもいかがですか」
「いえ、結構です。ありがとうございます、奥様」

 シルビアはまっすぐにエルザを見つめる。エルザはニコリと微笑んで見つめ返してくる。

「きれいな目をしていらっしゃるのね、シルビアさん」
「は、初めて言われました」
「うちの主人には言われたことないの?」
「ありません」

 シルビアは首を振る。ヴァルターも「ないない」と笑っている。そういうところだぞ、と、シルビアは思い、エルザと肩をすくめ合う。

「それでは隊長、明朝〇八〇〇マルハチマルマル時にお迎えに上がります」

 シルビアは早足で愛車に乗り込むと、そのまま走り去った。エルザは手を振って見送ると、今度はヴァルターの手を取って家の中へと導いていく。

「今日はねぇ、ちょっとしたパーティだよ!」
「えっ? 何の?」

 ヴァルターは冷や汗を覚える。何かの記念日だったかと大慌てで脳内の情報を整理する。しかし、何一つ思い当たることはなかった。食卓には二人分というにはやや過剰なほどの豪華料理が並んでいた。

「ご、ごめん、エルザ。今日って何の日だったっけ」
「サプライズよ、サプライズ」

 エルザは鼻歌交じりに椅子に腰を下ろした。ヴァルターも上着だけを脱ぎ、いつもの場所に腰を落ち着けた。

「サプライズって――?」
「今日もさ」

 エルザはヴァルターの言葉を遮った。釈然としない様子のヴァルターに、エルザは畳み掛けるように訊いた。

「今日もヤーグベルテと一戦あったって?」
「ああ、北部方面の話だな」

 ヴァルターはとりあえず飲み物をと、卓上ワインクーラーを見た。

「あれ。ジンジャーエール?」
「そ。今日はあなたもアルコール抜き」
「そういえばエルザ、最近セーブしてたよな?」
「あは。ワインもビールもしばらくお預け!」
「え?」

 さすがのヴァルターも、エルザが何を言わんとしているかを悟る。

「エルザ、まさか」
「じゃーん、母子手帳!」

 エルザが携帯端末モバイルの画面を見せる。そこには紛れもない「母子手帳」の文字が踊っていた。予想していたのよりはだいぶファンキーな画面で、ヴァルターは少々面食らった。

「今年から改訂になったらしいよ、このアプリ。ほら見て、今日の検査の内容とかエコーとかも見られるんだよ」
「おお」

 ヴァルターは高精細のエコー画像なるものを見たが、正直良くわからなかった。

「まぁ、まだ二ヶ月だしね。解説なしじゃよくわかんないと思う」
「どんどん大きくなるんだろ」
「そうよぉ。あっという間にヴァリー、あなた、パパになるよ」
「楽しみだな。性別はいつわかるんだ?」
「早くてもあと三、四ヶ月。場合よっては半年経ってもわかんないって」

 エルザはそう言ったが、ヴァルターはどこか上の空だった。というより、発表内容が衝撃的過ぎて、感覚が麻痺してしまっていたと言ってもいい。

「あははー、ショック受けてる?」
「ショックじゃないけど、ものすごく驚いてる、のかな、これ」
「嬉しい?」
「そりゃ嬉しいに決まってるだろ」

 ヴァルターは何度も頷き、ジンジャーエールのボトルを開けてエルザのグラスに注いだ。

「ありがと。ところでさ、ヴァリー。最近の戦況ってどうなの」
「戦況?」
「大本営さまの発表では連日連夜の大勝利らしいけど」
「うーん……」

 ヴァルターは自分のグラスにジンジャーエールを注ぎながら、答えを保留する。それを見てエルザは「そうよね」と頷いた。

「ま、あなたの立場では言えないこともたくさんあるのはわかってるわ。国家を背負う超エースの妻だもの、私」
「何にしても」

 ヴァルターはステーキを切り分けながら言う。

「俺たちができるのは、ヤーグベルテを撃退することだけだ」
「それなんだけど、ね、ヴァリー。ちょっと有給取ってほしいの」
「え?」
「無理?」
「すまん、すぐは無理だ。明日出撃なんだ」
「ええ? 一年も暇してたのに、このタイミングで出撃?」
「詳しくは言えないが、今回は大規模戦になる可能性がある」
「大規模戦……」

 エルザの表情が曇る。

が悪化しそうだわ」
「つわり、酷いのか?」
「食べつわり。常に何か食べていたくて仕方がないの。吐き気がないのは助かってるけど」
「そうか……」

 ヴァルターはなんというのが正解なのかを考える。が、エルザは右手をひらひら振って笑った。

「太るなってお医者さんにも言われたから善処するわ。ていうか私、国家最強の戦闘機乗りの妻だもの。メディアに出る機会もこれからたくさんあるでしょ、きっと」
「か、かもな」
「その時に黒歴史にはなりたくないのよ、私だって。美しい奥様って言われたいから」

 エルザは胸を張る。ヴァルターは真面目な表情で頷いてみせる。

「君はどうやったって美しいと思うよ」
「あら、口も上手くなったわね。シルビアさんの教育のおかげ?」
「なんでシルビアが出てくるんだよ」

 ヴァルターは苦笑する。エルザは唇を尖らせる。

「だってさ、初めてシルビアさんの車に乗って帰ってきた時くらいから、あなた絶妙に口が上手くなってるんだもの」
「そんなことあるか? シルビアだって相当口下手なんだぞ」
「だからよ、きっと。あなたは他人のことをすごく考えるじゃない。シルビアさんはあんまり喋る人じゃないから、多分あなたはクリスなんかのときよりずっとたくさん考える。だからその結果として、あなたは相手を思いやる発言が増えたっていうわけ」
「そうか? でも、それなら良いことじゃないか」
「イラッとするわよ?」
「ごめん」

 ヴァルターはどうしようも無くなって素直に謝った。エルザは声を立てて笑う。

「そういう素直なところは昔から変わらないわねぇ。肉体関係がないうちは許すわよ。私だってシルビアさんには感謝してるんだから」
「心配する必要はない。シルビアは信頼おける仲間だ」
「でも、シルビアさんはあなたのことを愛してるわよ?」
「……仮にそうだとしても、俺たちの関係に変化なんてない」

 ヴァルターはややムキになって応えた。エルザはグラスを小さく掲げて微笑む。

「ヴァリー君に宿題。帰ってくるまでに赤ちゃんの名前を考えておくこと。男、女、どっちもよ」
「名前……」

 これは一生でもっとも重たい任務かもしれない――ヴァルターは鍔を飲む。

「という重大任務があるので、あなたは絶対に生きて帰ってくること! 生まれた途端母子家庭とか、本当にカンベンして欲しいもの」
「大丈夫だ」

 ヴァルターは根拠なく言った。今回の相手は、率いるエウロス飛行隊だ。生半可な相手ではない。しかし。

「俺はいつも通りに帰ってくる」
「信じてる。いつも通りに」

 エルザは頷き、ジンジャーエールを一息で飲んだ。

「ふぅ。ヴァリー君もパパになるための勉強しないとだよ、しっかりね」
「今回の戦闘の後からでいいかな」
「もちろん。浮かれてて撃墜されましたぁ、なんてなったら、格好悪すぎるわよ」
「違いない」

 ヴァルターは苦笑する。エルザは唇を意地悪く曲げる。

「クリスとかシルビアさんに守ってもらって。命に代えても守れって命じるの」
「そりゃ無茶だ」
「知ってる。それにあの人たち、言わなくてもあなたを守るわ」

 エルザは確信に満ちた声でそう言った。

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