11-1-1:黒い棺

歌姫は壮烈に舞う

 遡ること一時間、七月二十八日、十五時を過ぎた頃――。

 ヴェーラとレベッカは統合首都にある研究施設に新設された「巨大な黒い棺桶」こと、新型のセイレネスシミュレータに乗り込んでいた。従来のシミュレータに比べて大きさは三割増し、接続されている機器数に至っては一見した程度では全容の把握は不可能だった。

 このシミュレータを収容、稼働させるためだけに発電所が一つ新設され、地上五階、地下十五階にも及ぶビルが建設された。発電所は超高重力発電と呼ばれる新技術を投入された試作品である。そしてこの巨大すぎるユニットがまるごと、新型に搭載される予定となっている。前例を見ないほどの巨大な艦船建造計画である。

 十人も入れば手狭になってしまう程度の大きさの制御室コントロールルームの中にいるのは、エディットとブルクハルトだけだった。その部屋からは、ヴェーラたちが乗り込んでいる黒い巨大な筐体きょうたいを見下ろすことができる。高さ五メートルにも及ぶその筐体の上からは、吹き抜けのはるか上層にある天井に向けて無数のケーブルが伸びていた。床は一面が冷却構造となっており、シミュレータルーム内の室温は十五度もなかった。

「いつも思うが、寒すぎだな」

 エディットがコートを羽織りながら言った。制御室はシミュレータルームに比べればいくらか気温が高いとはいえ、それでも十分に肌寒い。

「このくらいの室温の方が頭が冴えますよ。コーヒーでも?」

 ブルクハルトが部屋の隅に鎮座しているコーヒーメーカーを指差す。エディットは「いや」と断り、腕を組んで、改めて筐体を見下ろした。

「作戦開始時刻だ。頼む、少佐」
「了解」 

 ブルクハルトは頷くと幾つかのモニタの状況を一通り確認する。

「オペレーションルームとの論理回路のデータリンクを確認、正常。セイレネスシミュレータ再起動開始、同時にコアシステム連結シーケンス開始。全イコライザ、シーケンサ、正常動作、確認。アンプリファイア、出力八十パーセントで固定フィックス、確認。セイレネスシミュレータ再起動中、状況正常。搭乗者、ヴェーラ・グリエールおよびレベッカ・アーメリングとの神経モニタリング接続、正常値であることを確認。搭乗者フィジカル、モニタリング開始、現時点問題なし」

 ブルクハルトが読み上げる状況に、エディットは頷く。この状況は別フロアにいる技術班と分析班にも届いている。今のところ「待った」はかかっていない。

「ふたりとも、聞こえてるね?」
『はい、教官』

 レベッカが先に応じてくる。ついでヴェーラが大きく息を吐いてから応答する。

『感度良好。緊張はしてる』
「無理もない」

 エディットが呟く。それはヴェーラにも聞こえたようだ。

『エディット、大丈夫だよ。わたし、ちゃんとやる』
「期待している、グリエール」

 黒い筐体から薄緑色オーロラグリーンの輝きが放たれ始める。セイレネスが発動アトラクトしたのだ。

『大佐』

 そこに参謀部第六課司令室から通信が入る。ハーディからだ。

『弾道ミサイルが発射シーケンスに入りました。発射タイミングは大統領次第ですが、遅くても一時間後でしょう』
「わかった。ハーディ、引き続き状況監視を任せる」
『承知しました』 

 ハーディからの音声が途絶える。筐体から放たれる輝きはますます強くなる。ブルクハルトは無言で遮光ブラインドを展開してそれを遮った。

「大佐、全システム起動を確認しました。準備完了オールグリーン
「わかった」

 エディットは小さく咳払いして、腕を組んだ。

「作戦の変更はなし。第一に、弾道ミサイルをセイレネスにて誘導および防衛し、敵の艦隊を殲滅すること。ただし、ナイアーラトテップが攻撃可能範囲内にある場合は、最優先目標をナイアーラトテップに変更し、確実に殲滅すること。第二に、ヤーグベルテ戦力をミサイルの影響から防衛すること。以上だ」
『あの、大佐』
「どうした、アーメリング」
『私とヴェーラの役割を交代することはできませんか?』

 レベッカの進言に、エディットは躊躇なく首を振る。豪奢な金髪が揺れる。

「却下だ。この役割分担のまま進める」
『でも、その……』
『良いんだよ、ベッキー。これがわたしの役割だって言うのなら、わたしはそれをする。きみはきみにできることをする。そもそもわたしはきみに、このわたしの役割がこなせるとは思っていない』
『ヴェーラ……』

 レベッカは沈黙する。暗い筐体の中で、レベッカは自分を責める。

 ヴェーラがノーということを知った上で、自分はこんなことを言ったのではないかと。ヴェーラの言う通り、レベッカがヴェーラの役割に取って代われるはずなんかないだろうと。ただの動機付けのためだけの提案だったのではないかと。

『ベッキーは卑怯でもなんでもないよ』

 そんなレベッカの心を、ヴェーラは見透かしていた。しかし、そのことすらレベッカは知っていた。そうであることを期待して、献身を装おうとしたに過ぎないんだとレベッカは理解し、愕然とする。

 私たちはこれから。

 をする――。

 この作戦ではミサイルの誘導と着弾を行うのはヴェーラだ。レベッカはそのミサイルを防衛する役割があるが、直接的にのはヴェーラの仕事だった。ヴェーラに人を殺させるのは耐え難い。しかし、自分が代われるかというと、それもまた難しかった。

 状況に流されるだけなんだ、私――レベッカはほぞを噛む。卑怯者、臆病者、そんな言葉が頭の中で跳ね回る。

『ベッキー、落ち着いて。きみが乱れたら作戦は失敗する』
『ご、ごめんなさい』

 黙って二人のやりとりを聞いていたエディットが息を吸ったが、エディットより先にブルクハルトが声を出した。

「君たちの葛藤は理解できる。できるが、ここで失敗したら何もかもが終わるんだ。ぶつけ本番で悪いとは思う。だけど、ここで失敗したら僕らはアーシュオンに対抗する策を失いかねない」
「ブルクハルト少佐、それは技術屋の視点ではないか」

 エディットが鋭く抗議したが、ブルクハルトはどこ吹く風だ。エディットの方に向き直って、その壮絶な顔を見上げる。

「大佐、自分は技術屋です。技術屋には技術屋の戦い方があります。そして技術屋には技術屋のプライドがある。自分はこのセイレネス・システムが多くのヤーグベルテ国民を救うことになると知っています」
「しかし、あの子たちに必要なのは――」
「敵に対する人権意識じゃないのは確かです。あの子たちに対する同情ではないのも確かです。ヴェーラとベッキーに必要なのは、苦悩への報いです」
「苦悩への報いだと?」
「そのために大佐がいらっしゃるのではないですか」
「わ、私は……」

 エディットは顎に手をやって考え込む。ブルクハルトの言葉はエディットには難しかった。

「簡単な話ですよ」

 ブルクハルトはモニタに向き直りながら、椅子の背もたれに身体を預けた。エディットは仁王立ちのまま、厳しい表情でモニタの一つをにらんでいる。

「安心して帰ってこられる場所さえあれば、あの子たちは大丈夫です」
「なぜそう言える」
「自分は技術屋ですから」

 ブルクハルトはそう言って笑う。エディットはその言葉を理解できなかったが、「そんなものなのか」と無理矢理納得することにする。そこに通信が入る。

『ハーディです。思ったより早かったです。弾道ミサイル群第一波が発射されました』
「始まったか」

 第一波は甚大な国防費を費やした囮ミサイル群である。作戦の万全を期すための大掛かりな目眩めくらましだ。

「第二波が本番だ。ふたりとも、頼むぞ」
『了解』

 ヴェーラとレベッカの声が重なる。

 と言われているナイアーラトテップの撃沈こそが真の目的だ。セイレネス・システムを用いてそれを成し遂げれば、歌姫計画セイレネス・シーケンスに於ける予算確保の体制は盤石となる。第四艦隊の殲滅など、それに比べればでしかない。ナイアーラトテップに効果的な攻撃が繰り出せない限り、ヤーグベルテは今まで以上に敗走に敗走を重ねるしかなくなるのだ。

 それだけは避けたい。

 ――にも関わらず、そんな重責をたった二人の人間に背負わせている。大人の論理、社会の都合、そんな言葉で巻き込んでいる。

『ハーディより、制御室コントロールルーム。弾道ミサイル第二波、上がります。成層圏を抜けたところからセイレネスへ制動移譲する旨、第三課より通達あり。ブルクハルト少佐、準備状況は』
「完了している」
『了解しました、ブルクハルト少佐。攻撃のタイミング等々、制動移譲後のアクションは全て第六課に任せるとのことですが、大佐』
「任せる、だと?」

 エディットの義眼が鋭く光る。

「なんだその無責任な指示は!」
『アダムスの言うことです。作戦立案の功は自分に、そしてミスは全て他人に。そんなところでしょう、彼のことです』
「もうすでにやつは仕事を終えたというわけだ。成功裏のうちに」
『そういうことです。そして私たちが任務を完遂すれば、彼の成功はますます彩られるわけです』

 ハーディの苦々しげな声を聞き、エディットは奥歯を噛みしめる。この作戦は、最初から第三課、もといアダムス中佐に出し抜かれていたのだ。エディットは自分の手腕の未熟さを呪う。

「大佐、こっちにはセイレネスがありますよ」

 ブルクハルトは軽い口調でそう言い、マイクに軽く触れる。

「聞いていたね、ふたりとも。そうという事情でも、僕らは君たちにお願いしなきゃいけない」
『問題なし』

 ヴェーラが少し緊張を孕んだ声で応じてくる。

『わたしたちは戦争を終わらせるために戦う。その第一歩で、こんなところで転んで泣いてるわけにはいかないんだ。ベッキーもしゃっきりして!』
『わ、わかってる。大丈夫。やることはしっかりやる』
「……頼む」

 エディットの絞り出すような声に、二人の歌姫セイレーンは端的に「了解」とだけ応じた。

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