12-1-1:撤退と被害レポート

歌姫は壮烈に舞う

 七月二十八日、十八時になろうかという頃に、アーシュオン第四艦隊司令官ドーソン中将は撤退を宣言する。当初は残ったナイアーラトテップを用いてヤーグベルテ第七艦隊を急襲することも考えたのだが、それは中央参謀司令部第二課、ミツザキ大佐によってあっさりと却下された。絶対無敵の兵器がそうではなくなった以上、これ以上の運用はリスクのほうが大きいという判断だった。何にせよアーシュオンとしては、ナイアーラトテップが一隻、ああも容易く殲滅されてしまったことに対する衝撃が大きかった。

「そんなことより、情報は!」

 ヴァルターはマーナガルム飛行隊に割り当てられた一室で、携帯端末モバイルを手にして動き回っている。彼にしては珍しく、明らかに苛立っていた。その原因は言うまでもない、エルザのいるトゥブルクに「核が落ちた」という情報があったからだ。だが、当局による情報規制が入ってしまっていて、今は有用な情報を全く探し出せない。

 眉間にしわを寄せて室内をさまよい歩いているヴァルターに、クリスティアンやフォアサイトですら言葉を掛けられない。二人は顔を見合わせて、首を振る。一方、シルビアは彫像のように固まっていた。

 その時、ドアが小さな擦過音と共に開いた。

「マーナガルムの部屋はここですね」

 銀髪に赤茶の瞳の女性将校――少佐――が、そう言いながら入ってきた。ヴァルターたちは一瞬ミツザキ大佐を連想したが、その纏っている気配はミツザキ大佐とは真逆だった。ミツザキが鋭利な刃物のような人物だというのなら、この少佐はシルクのような艶やかさとしなやかさを感じさせられた。その表情も軍人というよりは、科学者を思わせる、どこか飄々ひょうひょうとした、あるいは超然としたものだった。

 四人の不躾な視線を受けても、彼女の表情は変わらず、柔和な微笑を見せている。

「失礼しました。私はユイ・ナラサキ。艦隊司令官ドーソン中将の副官として、中参司二課、ミツザキ大佐により派遣されました。聞いておりませんでしたか?」
「ちらっと聞いた気はするけど。で、その副官殿が、何の御用です?」

 クリスティアンが臆することなく尋ねた。その声には不信感がはっきりと現れている。ナラサキはその長い前髪の奥からマーナガルムの四人をじっくりと見回す。

「ミツザキ大佐より情報を受け取っています。無論非公開情報ですが、これがアーシュオン本土の被害状況です」

 携帯端末モバイルを操作して、ナラサキは部屋のメインスクリーンに地図を表示した。随所に赤い円形が描かれている。

「未だ被害の全体像は見えておりませんが、ジェスター近郊トゥブルクについてはおよそ情報が出揃ったとのこと」
「!」 

 ヴァルターが一歩踏み出したが、ナラサキが左手を上げてそれを止める。ヴァルターはシルビアの隣に腰を下ろし、肘掛けを握りしめた。

「結論から申し上げます」

 スクリーンの映像が切り替わる。瓦礫、火災、煙。それしか見当たらない映像だ。もはやどこを写したものかなどわからない。随所に写り込んでいるのは人間が変わり果てた姿だろう。

「トゥブルクは潰滅しました。三発もの核弾頭が直撃したため、住民の生存率は三パーセントを切ると予測されています」
「三、パーセント……!?」

 ヴァルターの掠れた声が部屋に虚しく響く。ナラサキは無慈悲に頷く。

「最大でも、三パーセントです。何故か放射線の類はほとんど確認されていないのですが、それでもトゥブルクを襲ったのは間違いなくメガトン級の威力の弾頭。それが三発、居住地域を囲むようにして炸裂したため、住民のほとんどは即死したと見られています」
「ほとんどが、即死……」

 呆然と繰り返すヴァルターに、ナラサキは「肯定です」と丁寧に応じた。ナラサキの言葉には悪意も善意もない。それが今のヴァルターにはありがたかった。ヴァルターの思考や感情の処理能力は、いまやすっかりなくなってしまっていたからだ。

「アーシュオン本土の民間人の死者は少なく見て二百万、関連死を含めれば三百万を超えるでしょう」

 ナラサキはそう言って携帯端末モバイルをポケットにしまう。スクリーンの映像が消える。

「ヤーグベルテはこれら一連の攻撃をであると公式に発表しました。以後、の原則を凍結し、アーシュオンを武力で以て制裁する、と。彼らの大統領によってそのように」
「武力制裁ってわけか」

 クリスティアンが呟いた。フォアサイトはつまらなさそうに頭の後ろで手を組んでのけぞり、シルビアは探るような目でナラサキを見ている。ヴァルターはうつむいたまま微動だにしない。

「それでは、私は敗戦処理があるので。トゥブルクに関する情報が回ってきた際には、また連絡します」

 ナラサキはそう言うと、何の質問も許さずに部屋を出て行った。残されたマーナガルムの四人は、しばらく誰も身じろぎ一つしなかった。

 そうしている内にやがてヴァルターが立ち上がり、ただでさえ白い顔をさらに青白くさせ、ふらふらと部屋を出て行った。それを見てシルビアが立ち上がる。

「待ちな、シルビア」

 止めたのはクリスティアンだ。シルビアはドアの手前で動きを止める。

「男にゃさ、どうしても独りにならなきゃならねぇ時間ってもんがある。わかってやってくれよ」

 クリスティアンらしからぬ表情と声音に、シルビアは目を見開く。この男でも傷つくことがあるのかと、驚いたのだ。

「俺だってトゥブルクには大勢知り合いがいたんだ。エルザもそうだしな。エルザが生きてる可能性は低い。しかし死んだと決まったわけでもねぇ。この曖昧な状態で、今すぐ駆けつけることもできない。そのつらさをわかってやってくれよ」
「……わかり、ました」

 シルビアはそっと溜息をついた。そして椅子に戻り、手を組んでがっくりと項垂うなだれた。そんなシルビアを斜め後ろから見ていたフォアサイトが、無感情な声で尋ねる。

「シルビアはどう思っているの? 意中の人がフリーになったこと」
「それはいったい、どういう意図の質問ですか、オーウェル中尉」

 シルビアは顔も上げずに、しかし鋭い声でフォアサイトの本名を呼んだ。その一触即発の空気を感じ取り、クリスティアンが「まぁまぁ」と割って入る。

「しかしフォアサイト。言って良いことと悪いことがあるだろ」
「建前とかどうでもいいじゃん」

 フォアサイトはギロリとクリスティアンを睨む。クリスティアンはフォアサイトの胸ぐらに手をのばす。

「あのな、フォアサイト!」
「やめて」

 シルビアは立ち上がって二人の方を向く。その声も表情も、まるで大理石マーブルのように冷たく硬い。

「確かに私は、隊長に好意を持っている。愛してしまったのかもしれない」
「儚いねぇ」

 フォアサイトは変わらず揶揄するように言った。しかしシルビアは黙って首を振る。

「でも、だからこそ、今は本当につらい。どうにかなってしまいそうなくらいに、私は今、いきどおっている」
「何に対して怒ってるの? ヤーグベルテ?」
「違う」

 フォアサイトの皮肉交じりの問いかけを、シルビアは毅然と切って捨てる。

「ヤーグベルテの言う通り、これは報復措置だ。彼らは、やられたからやり返したに過ぎない。私たちが調子に乗り過ぎたんだ。これは……殴られる覚悟もないくせに殴り続けた者が受ける、当然のむくいだ」
「国家反逆罪」

 フォアサイトは指で鉄砲の形を作って、シルビアを撃った。だがシルビアはその挑発を完全に無視した。

「誰が殴った殴られた、そんなことは私にはどうでもいい。ただ、今のこの状況は、痛くて、苦しくて、哀しい。今は本当にそれだけ。今は私は、隊長には何も求めない。求められない。卑怯者にはなりたくない。そう思われたくもない」
「あんた、そんなに喋れるんだね。感情的に。人間ぽいあんたなんて、初めて見た気がするね」
「いっそ――」

 シルビアはドアの前へと移動する。

「いっそ、機械になれたならばと、いつも思うよ、フォアサイト」

 そう言って、シルビアはドアの向こうへと姿を消した。

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