13-1-2:ネゴシエーション

歌姫は壮烈に舞う

 待遇は悪くはない。いや、むしろ良すぎる。

 ヴァルターはソファに座って、ヤーグベルテの国兵放送を眺めている。テレビから矢継ぎ早に流れてくるヤーグベルテ公用語にはやや戸惑ったものの、ニ時間もする頃には完全に思い出すことが出来ていた。アーシュオンにせよヤーグベルテにせよ、飛行士たちは皆、敵国語を完璧に叩き込まれるからだ。

「アーシュオンを駆逐、か」

 収容所生活は早くも一ヶ月を過ぎていた。収容所といっても、外出ができない他は、何一つ不自由のない生活を送ることが出来ていた。足りない物資もない。食事も医療体制も整っていたし、思想矯正や強制労働のようなものもない。他のアーシュオン兵との会話は厳しく規制されていたが、捕虜たちは皆顔色もよかった。

 か何かか、ここは。

 ヴァルターは正直にそう思う。言ってしまえば、アーシュオンでの生活よりも遥かに快適な日常が保証されているのだ。厳しい軍規すらない。あまりの自由さに、ヴァルターも戸惑い、不信感を覚えたほどだった。

 また、驚くべきことにテレビのチャンネルにはアーシュオンの国営放送さえあった。本国の情報に触れられると言うのはかなりの驚きだった。

 それによれば、第四艦隊は文字通りに全滅したらしい。たったのニ隻の戦艦によって、百隻を超える艦艇が沈められたということだ。その後の戦闘でも戦艦は出ていないにも関わらず、アーシュオンの士気は総崩れとなり、数多くの人工島や北部方面の陸軍拠点がいくつも陥落させられていた。

 その時、インターフォンが鳴った。

「こんな時間に?」

 テレビの表示を確認すると、午後八時半を回ったところだった。こんな時間に誰かが尋ねてきたことはない。ヴァルターは少し緊張しつつ立ち上がってドアの方へと向かった。ヤーグベルテの看守たちは黙って鍵を開ける権限を持っていたが、いつもこうしてインターフォンを鳴らす。ヴァルターは佐官であったから、そういう対応になっているのかもしれないが、それでもヴァルターには信じがたい話だった。アーシュオンの捕虜収容所にはプライベートなど一つもないからだ。

 ヴァルターが内側からロックを解除すると、今度は外側で認証が働いた。そしてドアが小さな擦過音と共にスライドして開いた。

 そこに立っていたのは、顔に大きな火傷の痕のある女性将校が立っていた。その背後にはライフルを持った憲兵が二人いた。女性将校以外はすでにヴァルターの顔なじみでもある。

「ヴァルター・フォイエルバッハ少佐」 

 大佐の階級章をつけた女性将校が、青銀色の目を細めてヴァルターを凝視した。その眼力にされて、ヴァルターは思わず唾を飲む。女性将校が豪奢な金髪を後ろに払いけ、そして右手を差し出して言った。

「思ったよりも若いな」

 強引にヴァルターの手を握って、女性将校は腰に手を当てた。

「こんな時間にすまないが、少し話をしたい」
「話……?」

 怪訝な顔をするヴァルターに、女性将校は凄味のある笑みを見せる。

「私はエディット・ルフェーブル大佐だ。好きに呼べ」

 女性将校――エディットは、ふと表情を緩めた。

「まさかこの時間に寝ようとしていたわけではあるまい? どうせ暇だろう、付き合え」
「それは、構わないが……?」

 ヴァルターは不信感を溢れさせ、エディットはそれを感じて苦笑した。

「では移動しよう。一応、面会にはルールというものがあってな。そこの面会室だ」
「そうか」

 ヴァルターはそのまま促されるままに外に出る。外と言っても屋内だが。

「貴官があのか」
「ほう?」

 先頭を歩きながら、エディットは横目で斜め後ろについてきているヴァルターを見る。

「私が貴国でもそのように呼ばれているとは知らなかった。いかにも、私がそのだ」
「名参謀直々のご指名とは、恐れ入る。それで――」
「存外せっかちだな、貴官は。どうせ暇を持て余しているのだろう?」

 エディットはニヤリと笑って立ち止まる。そこの扉には「面会室」の表示がある。ヴァルターの部屋から歩いて数分という近さだった。

「二人で話をしようとすると、何かと手続きが煩雑でな。諸々通すのに思い立ってからニ週間もかかってしまった」

 エディットは掌紋認証で扉を開けると、ヴァルターを招き入れる。二人の憲兵はそのまま外で待つようだ。

 部屋は四メートル四方で、中央に簡素な机が一つ、パイプ椅子がニ脚あるだけの、さながら取調室のような光景だった。出入り口は今の一つしかなく、反対側に小さな窓はあったが、どうやっても出られる大きさではなかった。そもそも出られたところで脱走できるような施設でもないのだが。

「空調が微妙な調子なのだが、まぁ、我慢してくれ。今年度でリースアップだから、来年には新しくなる」
「来年まではいたくないな」

 エディットのジョークに真面目に答え、ヴァルターは促されるままに窓側の椅子に座った。エディットは苦笑して、自分も着席する。

「こんな傷顔の女と二人では楽しくもないだろうが、付き合ってくれ」
「嫌ではないが、思わず見てしまうのは事実だな」
「正直者は嫌いじゃない」

 エディットは口元を歪めてそう言った。

「予め言っておくが、これは尋問の類ではない。私自身の興味から、私はここに来た。一応公式の面会ということにはなるが、記録に残すつもりはない」

 エディットは目を細める。ヴァルターは違和感を覚えてその目を凝視する。

「その目、義眼か?」
「さすが戦闘機乗りの目だな。ああ、両目ともまぎれもなく機械の眼球だ。ついでに言えば、この髪も半分は人工物だ。若い頃に焼夷弾でやられてな」
「そうか。逃がし屋は元海兵隊という噂があったが」
「ああ、肯定だ。私は思いのほか、貴国では有名人らしいな?」

 エディットは口角を上げる。凄まじい火傷の痕で覆われた顔面だったが、その表情はどこか蠱惑的だとヴァルターは感じた。生命力の強さの現れだろうか。

「俺は他の指揮官のことはよく知らない。だが、のことは誰でも知っている。アーシュオンでは最も嫌われている軍人の一人だからな」
「それはまことに光栄」

 エディットは背もたれに身体を預け、腕を組んだ。ヴァルターは逆に前に身を乗り出して、エディットの目を見つめる。

「で、そんな貴官が、一介の戦闘機乗りに過ぎない俺に、何の用だ?」
「謙遜しすぎだな、その言いようは。貴官は我が軍に最も嫌われている戦闘機乗りだ。それと同時に、我が軍にとって、最も恐るべき能力の持ち主である可能性がある」
「能力?」

 ヴァルターは片眉を上げる。エディットもまた身を乗り出してヴァルターに顔を近付ける。

「貴官は、唯一の人間なんだ」
「唯一の……? 何のだ」
「戦艦を傷付けることができた、唯一の人間だ」
「唯一?」

 ヴァルターは顔をしかめる。エディットは頷く。

「貴官は我が軍の最大最強の戦力、あの戦艦たちとやりあい、あまつさえある程度の損害さえ与えた」
「いや、それなら俺の僚機も機銃掃射を叩き込めたはずだが」
「確かに、機銃掃射は行われ、命中弾も出たことは観測している。しかし、傷はつかなかった」
「ばかな。あの距離で30mmのHVAP高速徹甲弾だぞ。傷がつかないなんてありえない」
「それがあり得る。貴国にも同じような兵器があるではないか」

 エディットはその乾いた機械の目でヴァルターを凝視する。ヴァルターは目をそらすまいと努力しながら、乾いた声で尋ねた。

「ナイアーラトテップか。あの戦艦は、アレと似たようなものだと?」
「私の口からそれをそうだと断定することはできない。立場があるからな」
「それも、そうか」 

 ヴァルターは納得しつつ、腕を組んだ。あの戦艦がナイアーラトテップと同じような防御力を有しているのだとすれば、事実をも認めざるを得ない。

「……待てよ? だとしたら、どうして俺は戦艦にダメージを与えられたんだ? 俺は間違いなく砲台のいくつかは吹き飛ばしたぞ」
「そうだ。貴官は我が戦艦の一隻に対し、少なくない損害を与えることに成功した。ご丁寧に試作兵器まで壊してくれて」

 エディットの声には恨み節が多分に含まれている。技術本部から上がってきた試作PPC粒子ビーム砲の補修請求書の額面は実に五百万UCユニオンキャッシュ。下手すれば最新鋭の戦車が一輌調達できる金額だった。

「それはよしとして、とにかく本題だ」

 エディットは目を細める。瞳孔が明確に大きくなる。

「あの戦艦を攻撃するときに、貴官はおかしな力を感じたり、なにか干渉を受けたりはしなかっただろうか」
「おかしな力?」

 ヴァルターは天井を見上げる。柔らかな寒色系の明かりが室内を十分に照らしている。

「システムへの攻撃クラック、干渉はすごいものがあった。人間業じゃねぇよって、うちの電子戦担当が悲鳴を上げていたのを覚えている」
「ほかには?」
「そういえば、他の隊の連中が、トリガーが引けないとか、ミサイルが撃てないとか言っていた。俺もそこまでではないが、違和感のようなものはずっと覚えていた。タイミングや照準がほんのわずかにズレているような、そんな感じだ」
「ふむ」

 エディットは腕を組んで、また背もたれに体重を移動する。

「技術本部の分析では、貴官の最後の機銃掃射によるダメージが一番大きかったことになっている。その直前にはマーナガルムの三番機、確かと呼ばれている者の機体が被弾している。無関係ではないだろうと私は考えているが、そのへんは?」
「……わからない」

 ヴァルターは答えを保留した。そもそもあの時は夢中だったからだ。エルザもそのお腹の中の子も失い、あまつさえシルビアまでも失うのかと、そんなことを考えたのかもしれない。なんとしても守る――そう思ったのはあのときに始まったことではないが、その思いが強くなった可能性はなくはない。しかし、それが実際の力になるという話には、ヴァルターにはとても懐疑的だった。

 ヴァルターは沈黙を選ぶ。エディットは目を閉じる。

 一分少々の時間を置いて、目を開けたエディットは確認するようにゆっくりとした口調で言った。

「貴官は戦艦からの何らかの干渉は受けた。だが、ね除けることに成功した。その点について、私たちは大いに関心がある。戦艦の防御力を事実上貫通したことにもな。そしてそれは貴官の戦闘機によるものではなく、貴官自身の能力である――技術本部はそのような仮説を立てている」
「つまり」

 ヴァルターは腕を組み、また天井を見て、エディットの目を見た。機械の瞳はヴァルターを離さない。

「俺に何らかの協力をしろ、と?」
「ふふ。察しが良くて助かる、フォイエルバッハ少佐。私は鈍い男は嫌いでね」

 エディットはこれみよがしに口角を上げ、鋭い笑みを見せつけた。

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