アタシと白皙の猟犬で戦艦二隻を相手にしろってか。
カティは不思議な高揚感に包まれながら、シミュレータの感触を確かめる。この筐体に乗るのも久しぶりだ。筐体はコックピットの座席がほとんどそっくりそのまま収められていて、コンソールの多くは実機同様に疑似認識機構を使って意識下に投影されている。投影と言ってももちろん触れる感覚はあるし、操作もできる。前後左右上限、全天周囲モニターの感度も良好だ。まるで空中にコックピットだけで浮かんでいるかのような感触だ。今投影されている映像も極めてリアルで、ともすれば実際に戦場に出ているのではないかと思ってしまうほどのものだった。
かなりの部分がAIによって制御されているシミュレータだが、その統御プログラムを作ったのは、やはり筆頭はブルクハルト少佐である。それはシミュレータだけにとどまらず、実機の制御系にも反映されているほどだ。彼の活動範囲はセイレネスだけにはとどまらないのだ。
「マーナガルム」
カティは隣を飛ぶ白いF108を見ながら声をかける。
『今はエンプレス2だ。戦艦を視認した』
「レーダーには映ってないな」
『いつものことだ』
なるほど。カティははるか水平線上にいる二隻の巨大な海上構造物を見る。ヴェーラのメルポメネも、レベッカのエラトーも、全長六百メートルを超える馬鹿げた大きさの艦だ。艦全体が火力の塊で、カタログスペックを見るだけで眩暈がするほどのものだ。
「アタシはメルポメネ、そっちはエラトーを一撃する。撃墜されるなよ」
『誰に言っている、女帝』
ヴァルターからの無愛想な声が届く。カティはフッと笑って対艦ミサイルを放つ。が、それは挨拶だ。こんなものが当たるはずもない。案の定、正確無比な対空迎撃射撃によって、あっさりと叩き落されてしまう。
カティは戦艦の主砲付近の熱量が上がっているのを察知する。
「レールガン、来るぞ」
『わかっている』
二機が左右に散ったその瞬間、その空域を超高速の弾丸が貫いていく。振りまかれた衝撃波によって、カティたちの機体が揺れる。回避が一瞬でも遅れていたらおしまいだった。
『次はPPCが来るぞ!』
「一撃必殺武器が多すぎだな!」
超高エネルギーを孕んだ巨大な光条が、空域を斜めに切り裂いた。カティはギリギリのところで回避に成功したが、翼に若干のダメージを負った。
「当たってなくてこれか」
ダメージコントロールを発動させて翼の補修を行いつつ、カティは呻く。ヴァルターの方は食らい慣れているのか、やや余裕を持って回避できたようだ。
「遠距離だとこれで、距離を詰めたら弾幕か」
『そういうことだ』
カティとヴァルターはほとんど同時に機種を下げ、まるでシンクロしているかのように海面すれすれを滑る。さすがにこの高さは戦艦には不利かもしれない――と思ったが、それはカティの勘違いだった。喫水線ギリギリに至るまで対空機銃どころかパルスレーザーまでが配置されており、下に逃げられない分、海面近くは逆に不利だった。
ヴァルターはいち早く急上昇を行ってエラトーの目を眩ましている。カティもそれに倣って舷側を斜めに切り上げるように上昇する。
「とんでもない!」
追いかけてくる弾頭に辟易しながらも、カティは機体を反転させる。弾幕は熾烈だったが、恐らくはAI制御による攻撃だ。ヴェーラ本人が制御しているわけではなさそうだ。あまりにもゆらぎがなさすぎる。
だが、それはカティにはラッキーだった。読めるのだ。
カティはまっすぐに艦橋を狙った。トリガーを引き絞ろうと右手に力を込める。
「ちっ、撃てない!」
『こっちもだ』
指先に力が入らない。おかげで艦橋を破壊するチャンスを逸した。
確かに、ナイトゴーントやロイガーと戦っている時に感じる感触に似ている。もっとも、戦艦のほうが格段に強力ではあったが、性質は同じだ。コンマ数秒のタイムラグが意識と肉体の間に生じている。音速のニ倍で飛び回る空戦の世界ではコンマ数秒というのは非常に大きな値である。
「すごいな、これは! 全く撃てない」
『いつもよりキツイ』
ヴァルターのうめき声が聞こえる。回避行動にすら制約がかかっているような状態だ。
「白皙の猟犬、よくこんなの相手に攻撃できたな」
『お褒めに与り光栄の至』
しかし、お互いにまだ命中弾は出せていない。カティは自らの機動によるGをこらえながら――このシミュレータはご丁寧にも加速度まで再現する――、眼下で薄緑色に発光し始めた戦艦を見る。
「今から本気出すってことか?」
『そうみたいだな』
ここまでくると可笑しくなってくる。この戦艦は、確かに無敵の兵器だ。
「マーナガルム、戦艦を引き付けてくれ。ちょっと試したいことがある」
『今はエンプレス2だ』
「いいから」
『了解。ターゲットはメルポメネでいいな?』
「ああ」
カティは一旦空域離脱寸前のところまで距離を稼ぐ。戦艦からの長射程武器は絶え間なく襲ってくるが、これだけ離れれば、不意打ちさえされなければ大した脅威でもない。
いくぞ、ヴェーラ。
カティはヴェーラの戦艦・メルポメネに向かって突進する。ニ隻の戦艦のAIはヴァルターが引き付けてくれているので、カティに対する射撃は牽制のみだ。時々レールガンが放たれてくるが、あれは砲門が二つ。そこにさえ気を付けていれば問題ない。
カティは全ての対艦ミサイルを放つ。機体が軽くなり速度が上がる。そのまま右舷から艦橋を狙って機関砲のトリガーを――。
「ちっ」
タイミングがずれた。放たれたHVAPは空を穿って消えていく。
戦艦の目がターゲットをカティに変更した。熾烈な砲火が上昇中のカティ機めがけて襲いかかってくる。その間隙をついて、ヴァルターの機体がまっすぐに薄雲を突き抜ける。
一旦射線を切ろうってことか。
カティは機体を巧みに操って一度戦艦から距離を取り、海面に翼を立てるようにして旋回する。そこにヴァルターの機体が降ってきた。カティ機を掠めるようにして戦艦たちに迫っていくヴァルターを見て、カティはその狙いを理解する。
「ゼロ距離か」
『刺し違えるつもりはない』
ヴァルターの応答。カティはヴァルター機を追いながら、慎重にタイミングを図る。
ヴァルターがメルポメネの主砲ニ番砲塔に機関砲を撃ち込んだ。大部分は物理装甲とセイレネスによる防御障壁のようなものに弾かれたが、それでも少なくない被害が出ているように見受けられる。
「しまったっ」
一瞬の油断で、カティ機は右の翼の翼端数十センチを抉り取られていた。
「だが、まだ飛べる」
カティもヴァルターと同様に機関砲のトリガーを引いた。
轟音と共に、30mmの弾丸が吐き出されていく。それによる主砲第ニ砲塔は完全に沈黙する。カティは機首を上げながら艦橋を視界に入れる。
「もう一発!」
カティはトリガーを引き続けた。艦橋付近の構造物を軒並み消し飛ばし、数発は艦橋司令室近くに着弾した。実戦ならば中破とみなされるところだ。
『ご苦労様』
エディットの声が聞こえるのと同時に、筐体内部の照明が落ちた。そしてすぐに蓋が開く。
「なるほどね」
カティは首を回しながら、外に出た。
「なかなかおもしろかったよ」
カティは遅れて出てきたヴェーラたちに向けてそう言った。