08-2-1:わたしたちの時代

歌姫は背明の海に

 それから数日後、戦艦エラトーを見上げるレベッカは、少し寂しそうな表情だった。エラトーは明日から長期間のメンテナンスに突入することになっており、その間レベッカは巡洋戦艦エリニュスを操ることになる。エラトーに比べ、エリニュスの性能は大幅にダウンすることを余儀なくされてしまうのだが、セイレネスのチューニング自体はヴェーラの時以上に精度を上げていた。

「ねぇ、ヴェーラ。セイレーンEMイーエム-AZエイズィはやっぱりすごいの?」
「段違い」 

 携帯端末モバイルに視線を落としたまま、ヴェーラが一言で答える。その隣では、マリアがどこかと電話をしていた。聞こえてくる言葉から察するに、エラトーのメンテナンススケジュールの最終確認のようだった。ヴェーラはつまらなさそうにエラトーの威容を見上げ、携帯端末モバイルをポケットにしまった。

「でもさ、ベッキー。実際にすごかったのはセイレネスのチューニングと、セイレーンEMイーエム-AZエイズィのハードウェアとの親和性。デメテルの時でもセイレネスのチューニングの凄まじさには舌を巻いたものだけど、セイレーンEMイーエム-AZエイズィと組み合わさった時にはさすがにびっくりしたね」
「確かに、エリニュス用のチューニング、陸上試験で試したときは一段進化したなって感じたけど」
「海に出るともっとすごい」
「それはちょっと希望が出てきたわ」

 レベッカはゆっくりとエラトーに背を向けた。通話を終えたマリアが「帰りましょう」と声をかけてくる。レベッカはエラトーの両サイドに停泊している重巡洋艦を見ながら口を開く。

「マリア、エディタたちは予定通り?」
「ええ。エディタとトリーネは重巡アルデバランとレグルスが割り当てられます」
「クララとテレサは?」
「二人は当初重巡の予定で計画されていたのですが、能力的なものと運用について考慮した結果、軽巡ウェズンおよびクー・シーが割り当てられることが決まりました」

 淀みなく答えるマリアに、ヴェーラが肩をすくめる。

「確かにクララとテレサには、超兵器オーパーツ相手に正面からバチバチやりあえるほどの実力はないね。軽巡ってことは遊撃?」
「イエス、です。いずれはS級ソリスト、レネの随伴艦として動いてもらう計画でいます」
「それはいいね」

 ヴェーラは歩きながら腕を組む。レベッカも頷く。

「クララとテレサは連携力が群を抜いています。二人セットで考えればそれ以上に大きな戦力になるわ」
「だね」

 ヴェーラはそう言うと「ん?」と通りの向こうに視線をやった。参謀部ナンバーの黒いセダンが、ヴェーラたちの方へと近付いてきていたからだ。

「あれ、運転してるのハーディじゃない?」
「そうみたいね」 

 ヴェーラとレベッカが囁き合う。マリアは一人先を行く。停車したセダンから、ハーディが姿を見せた。

「わざわざ中佐が?」

 マリアの剣呑な言葉にも、ハーディは顔色ひとつ変えない。ハーディの眼鏡のレンズがキラリと輝く。ヴェーラとレベッカが揃って表情を消し、ハーディはそんな二人を無表情に確認した。

「お乗りください。新たな情報もありますから」
「新たな?」 

 マリアは眉根を寄せつつも、助手席に乗り込んだ。ヴェーラとレベッカは「仕方なく」という表情を隠しもせず、後部座席に乗り込む。運転席に収まったハーディは、自動運転モードをオンにして車を発進させる。そして自由になった両手で書類カバンを開き、紙媒体の情報を取り出した。

「今年度入学してくるDの情報です」
「えっ」 

 つんのめるようにしてその書類を受け取ったヴェーラは、その指先が紙に触れるなり雷に打たれたかのような衝撃を受けた。

「どうしたの?」
「いつぞやのライヴで見た子たちだ」

 書類を開きもせずに、ヴェーラは言った。レベッカは「あのピンクの髪の?」と声に出す。

「黒髪の子とね。答え合わせといこうか」

 ヴェーラはそうしてニつのファイルを順に開いた。

「正解」

 ヴェーラは「ちょうど五年前だっけ」とレベッカに確認する。レベッカも記憶を辿り、頷く。

「二〇九〇年ね。戦災孤児のためのライヴだった」
「ということは、この二人はどっちも施設の子なんだね」

 ヴェーラは「どれ」と書類に目を通す。

「マリオン・シン・ブラック。黒髪ちゃん。元はアレミア市に在住するも、八都市空襲にて孤児に」
「ピンクの髪の子はアルマ・アントネスク。元はレピア市。こちらも八都市空襲にて孤児に」

 レベッカはそう言って、ヴェーラと視線を合わせた。

「十一年前、か。となるとこの子達はその時のことをうっすら覚えているかもしれないね」
「ええ」

 レベッカは書類を慎重に確認し、首をかしげた。

「ハーディ、これはどういうことですか? 能力は間違いなくD級ディーヴァであるにも関わらず、なぜS級ソリスト待遇になるのですか?」
「文面通りです」

 ハーディは硬い声で答えた。その手はいつの間にかハンドルを握っている。

 マリアは腕を組んだ状態で窓の外を眺めている。その思い詰めたような表情は、誰からも見えない。

「マリアは知らなかったの?」
「はい、初耳です」

 マリアは機械的に応じた。ヴェーラにはその答えの真偽はつかめない。

「きみはこの二人の扱いについてどう思う?」
「負担を考えた結果かもしれませんね」
「誰の負担?」

 ヴェーラの追求に、マリアは数秒沈黙する。

「姉様方と、この子たち。ヤーグベルテとしては、ヴェーラ姉様、レベッカ姉様のニ強体制が今のところ望ましい。国民に新人の子たちがD級ディーヴァだと知れれば、黙ってはいないでしょう。政府もしかりです」
「わたしたちもその対応に当たる必要もあれば、黒髪ちゃんたちを急速に戦力にしなければならないという事情も出てくる」
「ええ」

 マリアは気のない声を出して頷いた。レベッカはシートに身体を預けきり、腕を組んで不満げに息を吐いた。

「確かに、十五歳の子たちを巻き込んでいい状況ではないわ」
「エディタたちは選挙権を得たばかりと言ってもいいけど、もう間もなく当事者になる」

 ヴェーラの厳しい声に、レベッカはため息をつく。

「そうね」
「黒髪ちゃんたちをS級ソリストとして扱うというのが、参謀部のせめてもの善意の発露だと考えることにするよ、ハーディ」

 ヴェーラは書類をファイルに戻しながら、薄く笑みを見せていた。

「わたしたちの時代がついに終わるのかもしれないね」
「世代交代なのかもしれないわね」

 ヴェーラとレベッカはそう言い合い、やがて難しい顔をして黙り込む。

「黒髪ちゃんたちがこれ以上ないってくらい強くなってくれたら……とは思うけどねぇ。でもそうなったからと言って、わたしたちが解放されるわけじゃない」
「そしてあなたは黒髪ちゃん……マリオンだっけ。彼女に今のあなたの立場をそのまま譲る気はないでしょう?」
「うん」

 ヴェーラは即答する。

「こんな棘だらけの椅子に座らせるわけにはいかないよ」
「誰かが座らなきゃならない……」
「だったら、わたしが座り続けて、ゆくゆくはぶっ壊すよ」

 ヴェーラは右手を握りしめる。華奢な拳に力が入る。

「わたしが本当に自由になれるとしたら、それしかない。具体的に何したら良いかとか全然わからないけど」
「私たちが何年も悩んだ問題だもの。簡単に答えは出ないわ」
「でも、時間はあまりない」

 ヴェーラの思い詰めたような表情に、レベッカは息を飲む。

「ヴェ、ヴェーラ?」
「わたしは現状維持を良しとは思ってないんだ」
「でも」
「ベッキーやマリアとの日々は本当に楽しい。嘘偽りなくね。だけどそれとは別に、このままだらだら生きていて良いのか。それとも何かするべきことがあるんじゃないか。そんなことを思うんだ。ハムレットだよね」
「そんな極端な二択に絞らなくても良いと思うのだけど?」

 レベッカは努めて軽い口調で言う。ヴェーラは小さく笑う。

「ま、そうだよね。そう思う、わたしも」
「あなたはいつも極端だから」
「思い詰めたら一直線っていうのは、わたしの悪いクセだとは反省してるよ」

 ヴェーラはそう言ってレベッカの太ももを軽く叩く。そしてボソリと言った。

「自由になりたいな。なれるものなら」

 ――と。

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