19-1-1:卒業パーティにて

歌姫は背明の海に

 二〇九八年九月末日、士官学校の卒業式が執り行われた。D級歌姫ディーヴァ――表向きはS級ソリスト――が二名、V級ヴォーカリストが一名、C級クワイアが七十八名という構成だった。

 D級歌姫ディーヴァである、アルマ・アントネスク及び、マリオン・シン・ブラック。V級ヴォーカリスト、レオノール・ヴェガは、歌姫セイレーンとしての能力は勿論、成績も非常に優秀だった。また、アルマは一年先輩のレネ・グリーグと交際しており、マリオンはレオノールともう三年に渡って恋仲にあった。

 そんな三人を横目に、エディタ・レスコは並んだ色とりどりのケーキを物色していた。冷徹な指揮官でもあり、堅物で評判の彼女ではあったが、甘いものには目がなかった。アルコールも嗜むが、それ以上にケーキと紅茶にうるさかった。

 エディタはその銀髪と透き通るような青い瞳、そしてヤーグベルテの血を強く受け継いだ白い肌、なにより圧倒的に整った容姿から、「妖精」と呼ばれている。「軍隊アイドル」としては、イザベラやレベッカはすでに一線を退いていたから、今や名実ともにエディタがトップスターだった。その近寄りがたい雰囲気から、C級クワイアたちは遠巻きにして見ているだけだ。

 クララやテレサたち他のV級ヴォーカリストたちは現在全員が哨戒に出ている。主要メンバーが参加するこのパーティのために、沿岸部の防備が手薄になっているからだ。

 結果としてエディタは孤立していた。が、彼女にしてみれば孤立は苦痛ではなかった。戦闘指揮はともかくとして、プライベートなコミュニケーションがあまり得意ではなかったからだ。

「レスコ中佐!」

 突然背後から襲いかかってきた大音声に、エディタは盛大にむせた。

「だ、大丈夫ですか、中佐」

 声をかけてきたのは、秀才として名高いレオノール・ヴェガだった。彼女が歌姫養成科のみならず、他学科の生徒、それも男女問わずに非常に人気があることをエディタは知っていた。こと、歌姫養成科の女子たちからは絶大な人気を誇っており、歌姫として格上であるアルマやマリオンを人気では圧倒的に凌ぐとのことだった。

「大事ない、ちょっと変なところにケーキが入っただけだ」

 エディタは咳払いをしながら、その長身の歌姫セイレーンを観察する。エディタもかなりの長身だったが、レオノールはそれよりも大きかった。百八十センチ近いだろう。確かに女子から人気があるのも頷けるとエディタは思う。女性らしさはありつつもスポーティな体型をしていたし、スッキリと短めに揃えられた髪は少しマニッシュな印象を与えてくる。その顔立ちや所作は、育ちの良さを反映してなのか、上品にも思えた。

「戦闘支援ではいつも世話になっていたな、レオナ」
「お会いできて光栄です、中佐」
「なに、これからはうんざりするくらい顔を合わせるさ」

 エディタは手にした皿を手近なテーブルに置いて、レオノールと握手を交わす。

「レニーから話を聞いているのだが、君とマリオンは深い仲だとか」
「はい。もう付き合って三年です」
「羨ましいな」

 エディタはそう言ってレオノールの二の腕あたりを軽く叩いた。

「中佐は自分の目標でもあります」
「私が?」
「その美貌には勝てる気はしませんけど、そのストイックな姿勢とか、戦闘指揮とか」
「君も相当美人だと思うが」
「私が美人なのは知っています。が、には全く及びません」

 レオノールはそう言って笑った。エディタは右眉を跳ね上げる。

「私の指揮が正解だとは思ってほしくないな」
「そう思ったことはありませんが、最適解だとはいつも思っています」
「難しいことを言う」
「その場その場で取り得る最適な答えを導き出す。戦術、いえ、戦略において正解に固執するのは、あまり良い姿勢ではないと考えます」

 レオノールは物怖じせずにそう言った。エディタは「ほう」と感心する。

「頼りにできそうだ。明日からは私のもとで地獄の日々だ」
「楽しみです!」
「そうそう」

 エディタはさっき置いた皿を取って、小さなケーキを二つ取った。レオノールも同じようにケーキを見繕みつくろう。

「私は誰かと付き合ったことがないからよくわからないのだが、周りの連中がどんどんカップルに……しかも女同士でなっていくんだが、どんな気分なんだ?」
「それって、どういう質問ですか?」

 レオノールは気持ち目を見開いた。

「肉体関係の話ですか?」
「ぶっ」

 ストレートな言葉にエディタは噴き出す。

「そ、そうじゃない。もっとこう、精神面の話だ」
「マリーを呼びましょうか?」

 レオノールはそう言うや否や、右手を振った。すぐに噂のD級ディーヴァ、世間的にはS級ソリストのマリオン・シン・ブラックがやってくる。マリオンは黒髪と大きな黒褐色の瞳が可愛らしい歌姫セイレーンだ。その顔にはレオノールとは違い、未だ幼さが残っている。ようやく選挙権を手に入れたばかりの年齢だ。レオノールが大人びているというのが正しいのだろう。

「マリオン」
「はっ、はじめまして、中佐っ」

 顔を真赤にして上ずった声を上げるマリオン。その人を至近距離で見て、マリオンは非常に緊張していた。

「取って食ったりはしない、安心しろ」
「食べるのは私ですからね」
「レオン、ちょっと」

 マリオンは真っ赤な顔のまま、レオノールの右肘を叩く。

「仲が良いのは良いことだ。信頼関係は何より重要だ。もっとも――」
「戦場での判断に支障をきたす可能性もある、ですね」

 レオノールはそう言って、マリオンの肩を抱き寄せた。

「マリーは確かに優しすぎる子です。だからこそ、私が必要だと思います」
「レ、レオン?」

 目を白黒させるマリオンを見て、エディタは頷いた。

「なるほどな。それなら安心だ」
「お任せください。マリーは強大な戦力足り得ます、もちろん。しかし、その力を引き出せるのは優秀な指揮官か、補佐役です」
「うん」

 エディタは頷く。そして右手をマリオンに向かって差し出した。マリオンはまた顔を赤くしながら、その手を握る。

「君とアルマは国防のかなめとなるだろう。期待している」
「き、恐縮です。がんばります」
「もっと堂々としろ、マリオン。と、言いたいところだが」

 エディタは目を細めた。そのあまりに美しい微笑に、マリオンは立ちくらんだ。

「なんて美人……」
「声に出てるよ、マリー」
「あっ」

 マリオンは耳まで赤くして口を塞ぐ。エディタは思わず小さく声を上げて笑った。

「マリオンとアルマは提督方の後を継ぐ人材だからな。嫌でも指揮官らしくはなるだろう」

 その良し悪しはともかくな、とエディタは付け足す。レオノールが難しい顔をしつつ、見慣れない形の菓子――北部地方ではメジャーな、草餅だ――を取って一口齧ってから尋ねた。

「犠牲をいる戦をする、ということですか?」
「その選択肢も取る必要があるということだな。冷徹な引き算の結果が、勝利になるんだ」
「鬼もく、アーメリング提督を見習えと」
「無論、ネーミア提督も、だ」

 エディタはそう言って、レオノールとマリオンの肩を順に叩いた。

「そうだ」

 レオノールはエディタをまっすぐに見つめる。

「私の一番のはあなたです、レスコ中佐」
「提督方ではなく?」
「あの方たちは伝説の人たちですから」
「伝説、か」

 エディタの視線が少し泳ぐ。

「ま、まぁ、ありがとう、レオナ。私もようやく兼務を解かれて、晴れて第二艦隊専属になったし、マリオンもレオナも私の指揮下ということになる。育ててくれたネーミア提督にはなんだか申し訳ないけど」
「よろしくお願いします、レスコ中――」
「作戦中以外では、これからはエディタと呼べ」
「しかし」
「私たちは対等だ。遠慮も忖度そんたくらない」

 エディタは真面目な表情で言った。

「マリー、君もだ。同僚たる私たち歌姫セイレーン相手に舞い上がっている場合じゃないぞ」
「はっ、はいっ」

 マリオンはこわばった表情のまま、姿勢を正す。エディタは苦笑して、レオノールを見た。

「レオナ、しっかり教育してやってくれ」
「了解です、エディタ」

 レオノールは真面目くさった表情を見せ、これ以上ないほど綺麗な敬礼をしてみせた。

 エディタは「よせよ」と笑うと、アイスティのグラスを取ってその場を離れた。

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