21-1-2:クワイアの哄笑

歌姫は背明の海に

 目まぐるしく動く状況の推移を確認しながらも、イザベラは艦首PPC粒子ビーム砲の発射シーケンスを進めていく。艦体全体の装甲がスライド、あるいは展開しながら、その形を変えていく。大きく口を開けた艦首から巨大な三連装誘導砲身が姿を見せる。

 艦隊が道を開けるまでに所要した時間はわずか三分。しかしその間にも弾道ミサイルは次々と打ち上げられていく。レネたちには迎撃の余力がない。マイノグーラが手強すぎた。

 しかし。

「セイレネス、最大出力維持キープマキシマム反射誘導装置パーティクルリフレクター設置確認、試照射プロセス割愛カット!」

 よし。

 イザベラは息を吸う。外すわけにはいかない。

 全ての照準円レティクルが弾道ミサイルとその発射元の潜水艦を捉える。

 いける、はずだ。

PPC粒子ビーム砲射撃開始ディスチャージ!」 

 艦首に蓄積されたエネルギーが一気に誘導砲身を伝って投射される。それは狙い違わず、打ち上がっていた弾道ミサイルや潜水艦を破壊した。

 が、それと同時に、今まで味わったことのないほどのがイザベラを襲う。脳が揺れ、視界が霞むほどの衝撃を受け、イザベラはたまらずセイレネスからログアウトした。胃を殴打されでもしたかのような、猛烈な吐き気にも襲われる。

「くそっ……」

 油断した。

 イザベラは毒づきながらも、戦果を確認するために再度セイレネスにログインした。

『マリアです、緊急! 敵潜水艦は撃滅成功、しかし弾道ミサイルを二機取りこぼしました。姉様!』
「二機もか!」

 例の人間弾頭のようなものの予想はしていた。断末魔は未だやまない。ということは、その発信源はこのミサイルということだ。致命傷を負っているようには見えないが、これからの自分の運命を知っているというのならば断末魔が放たれても不思議はない。

 しかし、この断末魔は異常に強力だ。ドラッグの海で泳がされてしまってでもいるかのような、そんなレベルの精神汚染を受けている。これは恐らく中継を見ている人々への影響も大であるに違いなかった。彼らの以上の断末魔ということになっているだろう。

 イザベラは意識を成層圏にまで打ち上げる。上がってくる弾頭を待ち構え、一気に論理戦闘へと引きずり込む。予想にたがわず、その弾頭それぞれに歌姫セイレーンが乗せられていた。

「なんだ、この空間は……」

 わたしが主導で創った空間であるはずだ。なのに、なんだこのは。毒々しい紫色の霧が視界を奪ってくる。

 イザベラは混乱する。論理戦闘空間というのは、常に整然とした白一色の世界だったからだ。

「本当にこれ、論理空間、なのか?」

 呟いたその途端、キャハハハハという嬌声のような笑い声が響いた。

 イザベラは周囲を見回す。目がくらむほどに歪んだ空間が広がっている。

「……!」

 紫の霧が晴れたその先に、二人の少女が立っていた。

「キタキタ! キタワー!」
「ホントウニ、キタ!」

 少女たちはくねくねと身体を捻りながら、嬌声を上げる。黒髪に、奈落のように深い暗黒色の虹彩が、赤く充血した眼球の中心に収まっている。それはおよそ人間の目のようには見えない。

「イザベラ・ネーミア! ノー、ヴェーラ・グリエール!」
「アナタハ私タチノ、憧レダッタンダ」

 イザベラは眉根を寄せる。

「憧れ? 敵だぞ」
「生マレタ国サエ違エバ――」
「私タチハ、コンナフウニハ、ナラズニ済ンダ!」

 少女たちとの距離はニメートルとない。イザベラは右手に大型の拳銃を出現させた。

「オゥ、私タチヲ殺シテモ無駄デース」
「ミサイルハ既ニ、終末段階ターミナルフェイズデース!」

 少女たちは両手に刀を生じさせた。

 接近戦タイプ――初めてだな。

 イザベラはじりりと後退する。この距離で銃は不利だ。まして相手は二人。

「この空間は何だ。お前たちはいったい――」
「イイ質問デスネー! シカーシ、コノ空間ニツイテハ知リマセーン」
「私タチニモ予想外!」

 空間はなおも蠕動ぜんどうしている。たちの悪い船酔いにでもなりそうな、そんな不安定な状況だ。

「ソシテ、私タチハデスネ」
「アナタタチノ言ウ所ノ、C級歌姫クワイアデース!」
「嘘だ!」

 イザベラは首を振る。

C級歌姫クワイアがこれほどの力を持つなんて考えられない。わたしの攻撃を弾き返すなど、ましてや!」
「ソ・レ・ガ、出来チャウンデスヨネー!」

 地面がうねった。イザベラはたまらずバランスを崩す。その間に少女たちは刀を振り上げて襲いかかってくる。

「ちっ」

 一人の一撃を転がって避け、もう一人が突きを繰り出してくるタイミングに合わせて、イザベラは拳銃を撃った。狙い違わず、それは少女の右肩に直撃し、右腕を根本から吹き飛ばす。

「キャハハッ」

 腕を吹き飛ばされた少女は、狂ったように笑い始める。イザベラは立ち上がり、二人を同時に視界に収められる位置に移動する。少女たちは刀をだらりと下げたまま、ただ笑っていた。そこにあるのは狂気だ――イザベラはそう感じた。

 わたしと、同じなのかもしれない。

 唇を噛むイザベラに、無傷の方の少女は目を細めてみせる。

「私タチ、歌姫セイレーン……素質者ショゴスハ、皆同ジ。私タチノ善意ヤ理想ニ付ケ込ンダ、搾取ト酷使……アナタモカツテ、ソウシテ絶望ヲ見タノデショウ?」
「……ッ!」

 イザベラは唇を噛んだ。

「アナタノ狂気ハ、偽リノ正義ヲ壊ス。ソレハ、正シイコト」
「うるさい!」

 ベッキーの正義は偽りなんかじゃない。

 イザベラはそう強く思った。少女たちはまた暗黒の目を細める。微笑したのだ。片腕を失った少女が左手にある刀をゆっくりと上段に構える。

「アナタノ正義モマタ、塑像ソゾウ。押シベテ、正義トハ、ソウイウモノ」
「ダカラ、私タチノヨウニ、自分ノ信ジタ正義をシテイクシカナイ」

 もう一人の少女は両手の刀を引いた。

 一挙手一投足の間合い。イザベラは拳銃を地面に放り捨てた。

 それを合図に少女たちが斬りかかってくる。

「すまんが」

 イザベラは右手を振り上げた。

「――死んでくれ」

 二人の少女は胸と背中から大量の血を噴き上げて倒れた。イザベラの真上に対戦車ライフルがニちょう浮かんでいた。それらが少女たちの死角から狙撃したのだ。

 少女たちが倒れるのと同時に、空間の蠕動ぜんどうが止まった。

 動きを止めた空間に、血の海が広がり、少女二人が倒れて痙攣している。

 イザベラは二人の近くに膝をつき、二人の手を取った。

「ヴェーラ……」

 片腕の少女の顔が、人間のそれになっていた。何の変哲もない、ごく普通の少女の顔だった。イザベラは胸に鋭い痛みを覚える。

「すまない」

 思わず出た謝罪の言葉に、少女たちは小さく微笑む。

「……ヴェーラ、あなたの力は、私たちを救う?」
「救う……?」
「ヤーグベルテの血にとらわれた私たちは、こうして生み出されては消費されていく。私たちを生み出しているのは、セイレネス……。がそう教えてくれた」

 どういうことだ?

 イザベラは眉根を寄せる。セイレネスが歌姫セイレーンを生む?

「呪われた……歌姫セイレーンたちを、どうか救って欲しい……。あなたの、その力なら、きっと」
「呪われた、歌姫セイレーン?」
「そう」

 片腕の少女はイザベラの手を握る。

「セイレネスは、歌姫セイレーンを拡大再生産するための装置デバイス。生産と消費を繰り返し、世界を動かす巨大な歯車を作り出すための、仕組みシステム。一度を知ってしまった人間たちは、もはやなしでは生きられない。の快楽を知ってしまった人たちは、もうそれなしには生きられない。人々はそうして淘汰されていく」
「淘汰、だと?」
「選別、と言ってもいい」

 両腕の残っている少女が、焦点の合わない目で赤黒い空を見上げている。

「ヒトは皆、天使セラフになる……」
「そして世界は、シフトする」

 何を言っているんだ――イザベラは眉間に力を込める。ともすれば飲まれてしまいそうだったからだ。

「セラフの卵は孵化し、世界は天使の歌で満ちる」
「論理の世界は物理の世界との合一を果たし、全ての意志はくびきより解き放たれる」
「だから、何を言っている」
「私たち歌姫セイレーンは、そのための生贄になる」

 片腕の少女はフフフと笑い、「私は、反乱した……」と呟いて事切れた。

 もう一人の少女は、もう息絶えていた。

「くそっ……!」

 消えていく少女たちの亡骸に手を伸ばし、イザベラは吐き捨てる。

 赤黒い世界は瞬く間にいつもの白一色で塗り潰されていく。

 そしてイザベラの姿もまたブロックノイズと化してから、消えた。

「さぁ」

 無人の純白空間に現れる、の揺らぎ。

「彼の望む舞台は整った、というところかしら」
「そうね」

 そこにの揺らぎが現れる。

「もしかすると、アトラク=ナクア。これであなたの世界は終わってしまうかもしれないわよ?」
「それならそれで」

 が揺らぐ。

「ティルヴィングの創りしこの世界。いつかは終焉を迎えるものだもの」

 往々にして突然に、ね。――の揺らぎはクスクスと笑う。

「私にとってのが、いよいよ始まるわ。ゾクゾクするわね」
「いつもいつも趣味の悪いこと」

 の揺らぎが嫌味たらしく応じた。しかしの揺らぎには、意に介した様子もない。

「趣味が良くて奈落の悪魔が務まるのかしら?」
「それはそうね。違いない」

 の揺らぎは無愛想にそう応じると、出てきたときと同じように前触れもなく消えた。

「ウフフフ……私、この世界は好きよ」

 ジョルジュ・ベルリオーズは、百億回の宇宙の螺旋循環スパイラルループの中でも、とりわけ面白い人材だった。彼に目をつけた自分を、アトラク=ナクアは賛美する。

「でも、残念。一つの時代はもうすぐ終わってしまうわ。芥子けしの花の香りがプンプンするわ」

 その呟きを残して、の揺らぎが消えた。白の空間が、ぶつんと消滅した。

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