ヴァルターはシルビアの車載音楽プレイヤーの中に、「LOVE SONGS」というプレイリストを見つける。高BPMの独特な曲が途切れると同時に、そのリストをスタートさせる。それに気付いたシルビアがとっさに自動運転に切り替えて止めようとする。が、ヴァルターはその伸ばされた右手首を容易く捕まえた。
「た、隊長。そのリストは」
「こういうのも聴くんだ?」
流れ始めたバラードは、ヴァルターもよく知っているものだった。確か半世紀以上昔の曲だ。
「こ、これは友人が……」
「見え透いてるよ」
「……見なかったことに」
「しないさ」
ヴァルターは意地悪な顔をして、シルビアの右手を解放する。シルビアはわざとらしく右手をさすりながらシートに戻り、おもむろにタバコを咥えて、流れるように火を付けた。
「知りませんから」
「怖い人だ」
「極度に感情的なんです、私」
「情報部向いてないんじゃないのか?」
ヴァルターは至極真面目にそう言った。可能ならあんなものに関与していて欲しくないという思いからだ。しかしシルビアは沈鬱に煙を吐き出して首を振る。
「向いてないという理由で縁を切れるならそうしたいところですが、その時は間違いなく私の眉間に穴が開いているでしょうね」
「……いくら俺たちの国でもそこまで――」
「甘いですよ、隊長。ラヴソングも驚きの甘さです」
「自覚はあるが、しかし」
「情報部、とりわけその中のゲフィオンは底知れぬ悪意と謀略でできています。私はその尖兵。私は私のことを隊長に信じてほしい。けど、私という駒を信じてはいけないんです。いえ、私だけじゃない。あなたに近寄るあらゆる人間を信じては」
「そんなの寂しい話じゃないか」
「部隊は仲良しメンバーの集まりじゃないんです。白皙の猟犬というブランドをプロパガンダに最大限に活用するための枠組み。それが、私たちマーナガルム飛行隊なんです」
断定的に述べられた言葉に、ヴァルターはやや渋面を作る。頼れる十一人の部下たちを信用するなと言われてしまったのだ。
「信頼なくして空では戦えない。俺は何と言われようと任務を全うする。情報部としてもそれでいいんだろ」
「……さしあたりは」
シルビアの声が沈む。
「さしあたり?」
「墜とされなければ、ということです」
「墜ちた英雄には用はないってか」
「使い方が変わる、ということです。ですから――」
わかってると、ヴァルターは呟く。シルヴィアはタバコを携帯灰皿に押し込むと、再びハンドルを握り、小さく息を吐いた。
「ドライブは終わりぬ。トゥブルクに到着です。案内お願いします」
ヴァルターは自身の携帯端末に目的地を表示させ、それを車載のナビゲーションシステムに接続した。
それから数分で、ヴァルターたちは目的地に辿り着く。基地のあるジェスターとは打って変わった、人口二十万人ばかりの小さくまとまった街並みだ。ジェスターからの距離は八十キロばかりで、厳戒態勢のジェスターと比べれば非常にのんびりとした空気の流れている瀟洒な都市だった。居住者の多くは退役軍人で、中には現役の高級将校たちの別荘のようなものも存在している。
「ありがとう、ここでいい」
ヴァルターはそう言って車を停めさせた。そこにはレトロな佇まいの、周囲の家々に比して大きめな一戸建てがあった。一階は雑貨屋の店舗になっており、二階と三階が住居という造りになっている。
車が停まるや否や、建物から二人の女性が現れた。一人は二十歳そこそこ、もうひとりは中年――若く見ても五十代だった。
中年の方の女性がヴァルターが降りてきた車を見て言う。
「クリスの車じゃないわね?」
「ええ、今日は別の同僚の運転で」
「シルビアと言います。はじめまして」
いつの間にか運転席から降りてきていたシルビアが、小さく頭を下げる。サングラスは胸のポケットに入っていた。中年の女性は値踏みするようにシルビアを見る。あまり友好的ではない視線を受けても、シルビアは毅然として動じない。大理石というTACネームに反しない硬質な冷たさだった。
「おかえり、ヴァリー」
「ただいま」
ヴァルターと抱き合った若い女性は、濃灰色の美しい長髪の持ち主だった。その瞳の色は薄暮の頃に於いてもはっきりとわかるほど、きらきらとした翡翠色だった。よく整った顔立ちと健康的に日焼けした肌から、とても活動的な女性という印象があった。シルビアはそこまで観察して目を逸らす。
「シルビアさん、はじめまして。私、エルザと言います」
「はじめまして、奥様」
シルビアは少しだけ「奥様」を強調する。エルザは微笑み、「まだプロポーズされてないのよ」と応える。その言葉にシルビアは首を傾げる。
「そうなんですか、隊長」
「あ、うん、そうだったかな」
視線を泳がせるヴァルターの鳩尾に、エルザは肘打ちを食らわせる。
「今日はどうしてクリスじゃないの?」
「それは――」
「シュミット中尉は別の方とデートとのことで、自分が代わりに隊長をお送りしました」
シルビアの淀みない回答に、エルザは「ふーん?」と片眉を跳ね上げる。シルビアは運転席のドアを開け、ヴァルターに向かって敬礼した。
「それでは隊長。明日は0800にお迎えに上がります」
「明日もシルビアさんが来るんですか?」
エルザの問いに、シルビアは意味深に微笑む。
「不安なことでも?」
「いいえ」
明確に否定するエルザは、少し胸を逸らしていた。シルビアは目を細めて鋭い微笑を見せてから、無言で運転席に戻っていった。
シルビアの黒いカムテールが走り去るのを見届けてから、エルザはまたヴァルターの鳩尾に肘を入れた。
「なんだよ」
「キレイな人ね、シルビアさん」
「別になにもないって」
「へぇ?」
エルザは露骨に右眉を跳ね上げてヴァルターを見上げる。そこで中年女性――エルザの母だ――が割って入る。
「まぁまぁ、お二人さん。晩ごはんにしましょう」
「そうね」
エルザは頷くと、ヴァルターの右手を握って歩き始める。
「シルビアさんかぁ」
「だから、何も心配することない。送ってもらっただけ。彼女は俺の優秀な同僚の一人」
「でも女」
「あのなぁ」
ヴァルターは左手で頭を掻く。そこでエルザが振り返り小さく舌を出す。
「なんてね。実はさっきクリスから電話があってね。色々聞いちゃった」
「あいつめ」
適当なことを吹き込んでないだろうな――ヴァルターは一抹の不安を覚えたのだった。