カティはドアをノックする。ヴェーラの応えはない。カティはドアを開ける。カギはかかっていなかった。かかっていたとしても、カティは蹴破っていたかもしれない。
ヴェーラは慌ててベッドの上に身を起こし、目を見開いた。
「ダメだって言ったのに!」
「ベッキーに聞いたぞ」
カティの低い声がヴェーラの抗議を押し潰す。カティはベッドに大股で近づいて、ヴェーラの両肩に手を置いた。
「お前、何やってんだ!」
「ひっ……!?」
カティの怒声に、ヴェーラは怯えたように薄手の毛布を握りしめた。空色の瞳がみるみる潤む。
「お前、人の命を何だと思ってる。他人の命を奪うことを何だと思っている!」
カティの紺色の瞳がヴェーラを射抜いている。ヴェーラは涙をこぼし、しゃくりあげる。純粋に恐ろしいと思ったのだ。
「ベッキーの罪を肩代わりしたつもりなのか、お前は! お前のしたことで、ベッキーの苦しみが少なくなるとでも思ったのか、このバカ!」
「カ、カティ、でも、あのね――」
「誤解するなよ、ヴェーラ。アタシはお前がしたことを否定するつもりはない。お前のその判断が間違ってたとも言い得ない。でもね、アタシは思っている。作戦や状況云々以前の問題として、お前は間違えたって。今でも勘違いしているって」
カティはベッドの縁に腰を下ろし、上半身を捻ってヴェーラを軽く抱いた。ヴェーラは嗚咽を漏らしながらも、おとなしく抱かれた。ヴェーラの小さな顔は険しく顰められている。
ヴェーラはカティの背中にゆっくりと手を回す。その手は震えていた。
「カティは……カティはベッキーが人を殺したほうが……大勢殺したほうがよかったって。そう言うの?」
「違う」
カティは首を振る。
「そうじゃない、ヴェーラ。お前はベッキーに人を殺させたんだ」
「……意味が、わからない。何を言っているの?」
ヴェーラは心底不思議そうに目を見開く。カティはヴェーラの頬に右手を当てて、努めてゆっくりと話す。
「ベッキーの持っていた弾は人里離れたところに落ちたと聞いた。お前が操って。そしてお前の弾頭は六つの都市を焼いた。それでお前、ベッキーが『よかった』だなんて思うと思ったのか? ベッキーが何の罪悪感も良心の呵責もなく過ごせているとでも?」
「それは――」
「ベッキーが、あいつが、自分の手は汚さなくて済んだって喜んでいるとでも?」
カティの矢継ぎ早の言葉がヴェーラに突き刺さる。ヴェーラは毛布を握りしめ、目をきつく閉じた。
カティはまたヴェーラを抱きしめる。何も言わずに、そっと包み込む。ヴェーラは抵抗もしない。
「……思ってない、そんなこと」
しばらくしてから、ヴェーラは答える。カティは表情を緩め、ヴェーラの美しい白金髪を撫でる。ヴェーラはカティをゆっくりと見上げる。
「思ってないんだ」
「ああ」
カティはまたヴェーラの頬に触れる。濡れた冷たい肌が、カティの心を締め付ける。
「それどころか、お前のその行動で、ベッキーがどれほど悲しんでいると思う? お前ひとりに罪を背負わせてしまったって、どれほど嘆いていると思う? 怒ってさえいるだろう。苦しんでいるんだ、あいつ」
「咄嗟、だったんだ」
ヴェーラがつぶやく。
「咄嗟におもいついて、咄嗟にそうした。だから、どうしてこんなことになっちゃったのか、どうしてあんなことをしちゃったのか、思い出せない。わからないんだ」
「そうか」
カティはヴェーラを今度は強く抱きしめた。ヴェーラの全てを感じ取ろうとするかのように。
「お前はやるべきことをやった。よくやった」
「やるべきこと……? あんなことが、わたしの……」
「そう。あんなこと、だ」
カティの言葉にヴェーラは首を振る。しかしカティはますます腕に力を込める。
「お前はお前にできることをした。結果として百万を超える死者が出た。でも、お前があんなことをしなければ、さらに多くの人が死んだ。違うか?」
「違わないけど、数の話なんてしてないんだ! 死んだ人にとって、大切な人を失った人たちにとって、そんなの何の慰めにも言い訳にもならない」
「いいんだ」
カティは首を振る。そして少しだけ力を抜く。ヴェーラが大きく深呼吸をしたのが伝わってくる。
「お前にできたのはそこまでだった。それだけの話しだ。お前はお前にできることをした。できる精一杯の抵抗をした。だろ? それは事実なんだ。お前が罪を感じる必要はない。お前はベッキーにだけ謝ればいい」
「だけどっ!」
「誰がお前を責めたって、アタシはお前を守るぞ、ヴェーラ。お前はお前にできる最善の手段を取った。それは間違えてない、そう言うぞ」
「カティ……わたし、胸が痛い。苦しい」
ヴェーラの上ずった声を聞いて、カティはまたヴェーラを抱きしめる。
「我慢するな、ヴェーラ。アタシの前では、お前は弱くていい」
「だけど、だけど……カティ」
「お前の悲しみにアタシも巻き込め。アタシはお前ほど弱くない。虚勢であったとしても、アタシはお前より強いと信じてる」
カティははっきりと、一語一語を区切るようにして言った。ヴェーラは小さく頷く。カティはその耳に囁いた。
「アタシたち、家族だろ? お前たちはアタシの大事な妹なんだ。だからな、独りで抱え込んじゃいけない。そんなお前を見てなきゃいけないアタシやベッキーや姉さんのことも、少しだけでいいから考えてくれ」
「……いいの?」
「もちろん」
カティは胸を張る。ヴェーラはカティから一度身体を離した。
「わたしに愛想つかさない?」
「バカを言え。お前の暴走特急なんて、ずっと昔から見慣れている。今更どうってことないだろ」
「カティだけは、最後まで味方でいてくれるの?」
「ああ。約束する」
「わたしが間違えたときは?」
「ひっぱたいて反省させる」
カティは優しく微笑む。ヴェーラもようやく表情を柔らかくした。
「おもいっきり?」
「おもいっきりだ。愛情の強さが力に変わる」
「……愛情はそこそこでお願いしたいな」
「その分、グーパンチになるが?」
「平手でお願いします……」
ヴェーラはそう言って、カティを見つめる。カティはその頬を軽く叩いた。
「愛情少なくない?」
でも少しだけ痛かった、と、ヴェーラは感想を漏らす。カティは「はは」と声を上げて笑う。
「アタシをやきもきさせた分のビンタだ。ベッキーには後でしっかり殴ってもらえ」
「叩いてくれるかな?」
「どうだろうね」
カティは肩を竦めて、今度はヴェーラの肩を抱いた。ヴェーラはその右肩に頭を預けて、小さく息を吐く。
「カティがいてくれてよかった」
「お互い様、だ」
カティだってヴェーラたちに出会わなければ、全く違った、無味乾燥とした人生を送っていたに違いなかった。
「ヴェーラ。たとえアタシがお前をビンタしたとしても、アタシはお前の味方だ。お前が何を選ぼうが、何をしようが。いつだってお前の味方になる」
「……わたしとベッキーが喧嘩したら? どっちの味方になる?」
「どっちもひっぱたいて握手させるさ」
「前時代的だね」
ヴェーラは少しだけ笑った。カティはその頭を撫でる。かくんと力なくもたれかかってきたヴェーラを見れば、どうやらすっかり眠っていた。気が抜けたのだろうとカティは判断し、その身体をベッドにそっと横たえる。そして額にキスをした。
「カティのキス、もーらい……」
ヴェーラは譫言のように呟いて、今度こそ完全に眠りに落ちた。