私に与えられたのは黒い駆逐艦・アキレウスだった。C級歌姫が搭乗する駆逐艦よりは明らかに大きな、制海掃討駆逐艦という新しい艦種だ。戦艦の半分以下というサイズに、私もアルマも一瞬何が起きているのかわからなかった。
「あなた方が入学する前から、イリアス計画というものが進んでいてね」
参謀部直轄の秘匿ドックにて、カワセ大佐が説明してくれた。
「その結実、その成果の一つの形がこの制海掃討駆逐艦なのよ」
「バスター……」
「搭載されているセイレネス・システム、その性能および許容量そのものは戦艦、それもセイレーンEM-AZやウラニアと同等。もちろん、アルマのパトロクロスもよ」
その言葉に絶句する私たち。戦艦が生まれた経緯というのは、単にセイレネス・システム自体が巨大で、かつ大規模に過ぎる電源供給が必要だったからに他ならない。アルマが自分に割り当てられた青い駆逐艦――制海掃討駆逐艦・パトロクロスを見たまま尋ねる。
「小型化は……わかるのですが、電力は? この艦体で戦艦並みの出力を得られるとは……」
「それもイリアス計画の課題だったわ。しかし、それはこの十年のテクノロジーが解決したわ。発電システムの改良はもちろんだけど、論理観測方程式という電力の論理転送システムの実用化に漕ぎ着けた」
そう言われても何のことやらだ。セイレネスのシステム周りには技術者もかくやというレベルの知識はあるつもりだけど、それ以外はからっきしだ。そんな私の肩に手を置いて、イザベラは言う。
「つまり、外部で計算させるのさ。艦隊の他の艦のあそびをエネルギーにして、それを数式に変換して転送する。あるいは、陸上の発電装置と演算装置を組み合わせて変換する。ものによっては衛星から直接方程式を送り込む。それを物理エネルギーに変換して、観測によってセイレネス用の電力を確保し続けるという話。ベッキー、これ、量子力学の分野だっけ?」
「ブルクハルト教官はそうおっしゃってたわね」
「ええと、それは」
アルマが頬を掻きながら口を開く。
「余剰エネルギーを数式に変換してこの艦に送る。そして、この艦で数式解釈をして、その結果を観測したらエネルギーに変換される……というように聞こえましたけど、そんなことが物理的に可能なんですか?」
……すごいな、さすがアルマだな! と、私は場違いな感想を抱く。私は正直さっぱり理解できなかったのに、アルマはなんか理解してるっぽい……。
アルマのまとめを受けて、レベッカが頷く。
「物理的に可能かはともかく、論理的に可能になったのよ。……時代は変わるのね」
レベッカは少し寂しげに呟いた。
――というやりとりがあったのが、だいたい一ヶ月前の話。私たちは今、遠洋練習航海の途上にある。第二艦隊の司令官代理であるエディタ・レスコ中佐による訓練計画は、思わず三度見するほど過密なスケジュールだった。レベッカの承認も入っているから間違いではないのだろうけど、と思っていたのが二週間前。そして今は、うんざりするほど疲労している。大半を新人C級歌姫で固めた訓練航海艦隊だが、早くも半数が脱落していた。簡単に言うと、歌えなくなったのだ。
「きっつ……」
コア連結室から這い出た私は、艦隊配属時に支給された白い手袋を着け直してから、ヨロヨロと艦橋へと向かった。まっすぐ歩けている自信がない。ただでさえ少ない睡眠時間の途中で、何度も何度も何度も何度も起こされる。迎撃訓練が始まれば五時間程度の緊張状態を強いられる――。二年目や三年目のC級歌姫もリーダーとして何名か参加していたけど、先輩方曰く「慣れる」のだそうで。実際、エディタは常に声を張っていた。あの華奢な身体のどこにその体力があるのだろうかと思うほど、エディタの顔には疲れがなかった。
「レオンもがんばってる。私もがんばろう」
私は並走しているはずの重巡洋艦・ケフェウスを思いながら、艦橋の扉をくぐる。ブリッジの窓から、ちょうどレオンの艦の右舷側が見えた――まず左の窓を見るのが私のクセで。そしていつもの私の督戦席の方へと顔を向けて、息を飲んだ。
「てっ、提督!」
「お疲れ様、マリー」
敬礼する私。レベッカは督戦席からゆっくり立ち上がって右手を上げる──手袋の白が視界に残る。海上ではレベッカはアーメリング提督なのだ。海に出たら誰もレベッカとかベッキーとかとは呼んだりしない──ネーミア提督以外は。
「この艦、良い乗り心地ね、ダウェルさん」
「お知り合い、なのですか?」
気さくな様子のレベッカに、私は思わず訊いた。
「あら、中佐。伝えていなかったの?」
「そんな余裕がありますかね、この訓練の中で」
皮肉の効いた返しをしたのは、我らが艦長・ダウェル中佐だ。彼は艦のことなら何でも知っていたし、乗組員のことも全て把握している、心強い人物だ。私とレオンの関係も知っていて、だから時々口実を付けてはレオンとの通信回線を公に開いてくれたりもする――訓練中はプライベートな通信が禁止されているからだ。
年齢的には私のお父さんくらいだろうか。豪快で大胆な発言も多いのに、心遣いはとても細かい。警護官として同乗しているジョンソンさんへの待遇も、ジョンソンさん曰く「VIPですよ」とのことでとても安心した。
「ダウェルさんはね、先月までは私の艦の一等航海士だったのよ。アキレウスの艦長に相応しい人物だと思うわ」
「私としてはアーメリング提督のご尊顔を眺めて給料をもらっていたつもりですが、さて、このシン・ブラック上級少尉はどうでしょうね?」
「ダウェルさん。変なこと言わないでください」
「提督はやはりお美しいですなぁ」
「口説いてもだめですよ」
レベッカは肩を竦める。ダウェル艦長も「私も妻子がありますからなぁ、残念です」などと返している。ダウェル艦長にはずいぶん愚痴を聞いてもらっているけど、ここまで陽気に反応しているのは見たことがなかった。長年に渡るレベッカとの信頼関係がなせるわざなのかもしれない。
「ああ、時間は有限だわ。ダウェル艦長、エディタに索敵を指示して」
「了解。通信班、レスコ中佐に通信。警戒陣および海域の索敵実施を」
「了解」
そのやり取りを見届けて、レベッカは私の右手を取った。手をつないだ形だ。
「あなたの部屋に案内してほしいわ」
「わ、わかりました」
私の部屋と言ってもベッドしかない。執務室の方にも使ってない机と椅子だけがある。私はほとんど艦橋の督戦席か、コア連結室にしかいない。執務室なんて、乗艦したその日くらいしか入っていない。とすると、埃もすごいかもしれない。
「こちらに」
「あら、こっちはベッドルームじゃない?」
……という事情で、仕方なく、私が寝ている狭い部屋の方を案内する。椅子も何もない殺風景な部屋だ。私物も数えるほどしかない。
「執務室はずっと入ってもいないので……」
「あなたがいいなら、いいわ」
「す、座る場所はベッドしかないのですが、どうぞ」
「お邪魔するわ。あなたも隣に座って」
私は手を引かれてレベッカと隣り合わせに座る。雲の上の人と同じベッドに腰を下ろしている。奇跡か、奇跡なのか――と、私は疲れも状況も忘れて興奮している。
「今は、第二艦隊の司令官アーメリング、じゃなくて、ただのレベッカだと思って欲しいわ」
レベッカは着けていた白い手袋を脱いで、傍らに置いた。私も汗で湿った手袋を外す。
「マリー?」
「えっと、あ、はい。レベッカ」
「やっぱりその名前がしっくりくるわ」
ふぅ、と息を吐くレベッカ。
「人を殺す人の名前よ、アーメリング中将というのは。はぁ……昔みたいに、士官学校にいた時みたいに、楽しくやっていたかったなぁ……」
「ヴェーラやメラルティン大佐と?」
「そ。カティとね。あとは、エディット。楽しかったのよ。でも、あれももう随分昔の話」
まだ幼いヴェーラ、大人びた赤毛の女性、顔に大きな火傷のある軍服姿の女性――その映像のようなものが頭の中に入ってくる。これは、レベッカの視点だろうか。
──これは……?
「見えた?」
「え、ええ。私より若いくらいのヴェーラたちの姿が」
「やっぱり。すごいわね、あなたは。今、あなたと私の間で通信回線が開いた――みたいな感じなのよ」
「え?」
「これも、セイレネスの力。このアキレウスや私のウラニアくらいになると、コア連結室に行かなくても、セイレネス関連の力が強まる。だからそうね、一種のテレパシーみたいなものが使いやすくなるの」
「相互理解が進む可能性がある?」
「イエス。でも、相互受容には繋がらない」
その表情は少し暗い。
「あのね、実はさっき、イズーとマリアから叱られたのよ。訓練が厳しすぎるって」
「ははは……」
乾いた笑いが出てしまう。否定のしようもない。だが、レベッカはいささかムッとしている。
「で、でも、実際の戦闘はこんなものじゃないわ。三日連続緊張を強いられることもあれば、被害が小さくないこともある。訓練してたって被害が出るのに、それをしなかったらどうなるか」
「あの、レベッカ。一つ言っても良いですか?」
「なんなりと」
「私はこの二年、ずっと戦闘記録を追う課題を与えられていましたから、次に何が起きるかとか、どうしたら良いのかとか、だいたいアタリが付きます。でも、他のみんなは、何がなんだかわからないままに自分を酷使している。肉体が持っても心が持たないです、これ」
私は思い切って言った。限界まで疲れていたから、こんなことが言えたのかもしれない。レベッカはじっと俯いて考えている。
「でも――」
「レベッカ。ちゃんと説明して、ちゃんとわかってもらわないと。エディタだってそうです。何の説明もないまま、訓練プログラムだけ進めている。私たちはモノじゃないですよ」
「ちゃんと説明――か。イズーにもいつも言われてるの。きみは言葉が足りないって」
レベッカは静かに首を振る。
「あと、その、ごめんなさい。エディタに悪い印象は持たないでほしい。そう指示しているのは私だから。エディタにもずっと言われてるの。訓練が厳しすぎるって。だから、あの子は不眠不休を貫いてるのよ。他の歌姫たちに示しがつかないって」
そうなんだ。てっきりエディタが鬼のような訓練計画を策定しているのかと思っていた……。
「訓練のことは謝るわ。少し考え直してみる。未来の司令官に倒れられてはたまらないものね」
いつの間にか、私の手の上に、レベッカの手が重ねられていた。当然だけどドキドキしてしまう。レベッカはほんのりと微笑む。
「セイレネスでの戦闘の話をしたいと思って。実戦は訓練とは全然違う。もしかしてレニーから聞いているかもしれないけど」
――セイレネスで人を殺すと、殺した人の顔が。声が。過去も、未来も、大切な人の悲しみや苦しみも、全部見える。強引に意識の中に捩じ込まれてくる。
レニーの言葉が記憶の中で再生される。もう一年も前の話だ。
レベッカはそれを聞いたのか。何度も頷いていた。
「迷いも苦悩も、何もかもが見えてしまうの。一度戦いが始まれば、たちまちその情報が膨れ上がる。破裂しそうになるほどの情報に曝される。明るいものなんて何もない。悲嘆、怨嗟、苦患、苦痛――そんなものに意識が塗り潰される」
そう言いながら、レベッカは私の手を両手で握った。
「ヴェーラとカティ以外の手をこんな風に握ったのは……初めて」
「そ、そうなのですか?」
「浮気じゃないことは、私が証明します。それでもイヤ、ですか?」
「とんでもない!」
この手、もう一生洗わなくてもいい――私の中ではやっぱりレベッカは憧れの人だ。
「よかった」
言うなり、私はレベッカに抱かれていた。レベッカは私の耳元で囁く。
「私たちは大量破壊兵器です。誰が何と言おうと。全ての苦しみを引き受け、代わりに命を奪う。そういう兵器。私とヴェーラは、ずっと二人でそれをしてきた。敵も味方もない。ありとあらゆる罵詈讒謗を受け、呪詛を受け、毒の刃のような文脈を浴びせられ、それでもヤーグベルテのためにと戦ってきた。他の誰にもこんな思いはさせまいと思っていたのに、あの日、私たちはあなたたちに出会ってしまった」
「あの日?」
「あなたたちがまだ十歳の頃――。ライヴ会場の最前列中央にいたでしょう? はっきり覚えているわ」
士官学校入学前の、最初で最後のライヴ。
「その時に、私とヴェーラは希望を持ってしまった。この子たちなら、私たちを解き放ってくれるかもしれないって。だから、その」
ごめんなさい――レベッカは掠れた声で言った。私はレベッカの背中に腕を回す。少しだけ罪悪感を感じながら。
「レベッカ、私たちは同じ歌姫でしょう? 私にとっては、あなたもヴェーラも憧れの人なんです。そんな人たちに人殺しなんて、して欲しくない。たとえそれが明確な殺意を持った敵相手だったとしても。代われるものなら代わりたい。そう考えるのは普通じゃないですか。まして――」
「あなたはヴェーラにそっくりね」
「えっ……?」
「ヴェーラはその思いが強すぎた。誰かが手を汚すくらいなら自分がやると。アーシュオンに核を落とすのは、本当は私の役割だった。だけど、途中からヴェーラが計画の全てを乗っ取った。だから私は、ヴェーラの苦しみを知らない」
レベッカは身体を離し、私の両肩に手を置いて、至近距離で私を見た。深緑の瞳が私をがっちりと捕まえている。
「ヴェーラは……正義の人よ」
「私は正義の人……なんかじゃないです」
「それでいい」
レベッカは首を振る。
「強すぎる正義は、人を焚くわ」
リン――。
頭の中で何かが響いた。レベッカが厳しい表情を見せて立ち上がる。私もただならぬ様子に腰を浮かせた。頭の中では音が鳴り続けている。レベッカは私の手を引いて部屋を出る。
「敵が来ます」
白い手袋をはめつつ、平坦な声でレベッカは言った。