01-1-1:二人の少女~ヴェーラとレベッカ~

本文-ヴェーラ編1

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 実に退屈な講義だ。毎回とても退屈だ。少女は長く美しい白金の髪プラチナブロンドをくるくるともてあそびながら、あくびを噛み殺していた。戦術研究科戦史研究室の教授による講義なのだが、講義室にひしめいている士官候補生たちの半数近くは船を漕いでいた。

眠りの神ヒュプノスの囁きとは言い得て妙」
「ヴェーラ、聞こえるわよ」
「ふぇい」

 ヴェーラと呼ばれた少女はなんとも微妙な応答をして、隣に座る灰色の髪の少女に視線を送る。灰色の髪の少女は眼鏡の位置を直しながら、タブレット端末に講義の内容をサマライズしていた。

「ベッキーは真面目だねぇ」
「あなたが不真面目」
「ふぇい」
「その返事、流行ってるの?」
「わたしの中でね」

 その回答に、ベッキーと呼ばれた少女――本当の名前はレベッカだ――は肩をすくめる。その視線は講義室の正面に映し出されている資料映像に固定されている。

 講義の要点は「ほんの十数年前まで、世界は絶え間ない戦争状態にあったが、ジョルジュ・ベルリオーズが超AIとも呼ぶべき『ジークフリート』とともに登場してきて以後、その物理的衝突は極端に数を減らしてきていること。そしてヴァラスキャルヴに属する企業の活動により、世界の景気は急激に回復してきていること」の二点に過ぎなかった。しかしこの教授は、その二点について、一コマ九十分をフルに使って紹介しているのだ。

 少女たちの周囲の士官候補生はほとんど十八歳だったが、この二人の少女は十代前半のようにも見えた。そしてこの二人は共に、類稀たぐいまれなる美貌の持ち主だった。

 ヴェーラはその白金の髪プラチナブロンドの美しさはもちろんのこと、晴れた夏空の色の瞳と、完全無欠に整った――そしてやや勝ち気な――目鼻立ちをしていた。着ている白のワンピースの姿も相俟あいまって、輝くような純白レウコテアと呼びたくなるような存在だった。

 緑のワンピースに眼鏡の少女、レベッカもまた紛れもない美少女だった。ヴェーラに比べるとややおとなしい印象ではあるが、その新緑の瞳は怜悧に輝き、ただの理知的な少女ではないということを示していた。ヴェーラと同様に長く伸ばした髪は、ほとんど銀色と言っても差し支えのない、艶のある灰色だった。

 ヴェーラはサボっているように見えても、そのタブレットには要所要所を押さえた文言が記録されていて、時々教授の投影する映像をキャプチャしては貼り付けていた。対するレベッカは几帳面に体裁を整えながらメモをとっており、それはそのまま教科書にでもできてしまいそうな程の出来栄えだった。

 そうこうしているうちに講義は終わる。教授はプロジェクタの電源を落とすと、無言で講義室から出ていってしまった。いつもどおりだ。

「ふぃー、つっかれたぁ」

 ヴェーラがタブレット端末を持ち上げながら声を上げる。さっきまで居眠りしていた士官候補生たちも何故か元気にお喋りを開始していた。そんな士官候補生たちをジト目で見ているレベッカの背中を叩きながら、ヴェーラは言う。

「まったくさー、もう、あれだね。事象の地平面が見えるかと思ったよ、ほんと」
「事象の地平面って」

 思わず笑うレベッカ。その表情を見て、ヴェーラはニッと笑う。レベッカは大袈裟に肩をすくめて言う。

「教授の周囲の音も光も、止まってた気がするわ」
「あははは! 教授はさしずめ特異点だね」

 ヴェーラは声を上げて笑う。

 二人はそんな事を言いながら、カバンの中にタブレット端末をしまおうとする。そこに士官候補生たちが群がってくる――いつものことだ。少女たちは二ヶ月ばかり前にこの士官学校、ヤーグベルテ統合首都校に転入してきたのだが、その知性と美貌はまたたく間に知れ渡り、結果として人気者となっていた。

「ヴェーラちゃん、あの、来週の試験対策手伝ってほしいんだけど」

 一人がそう言うと、ヴェーラは「ピザパーティするからヤダ」とにべもない回答をした。

「そもそもわたし、歴史とか経済とか哲学とか倫理とか物理とか数学とか苦手なんだ」
「それほとんど全部じゃない」

 レベッカがツッコミを入れる。ヴェーラは「ピザ学なら任せて」などと適当な事を言っている。

「ピザ学って何よ」
「ピザの歴史を学び、ピザの――」
「あー、はいはい」

 レベッカは眼鏡の位置を直してタブレット端末の電源を入れた。

「ヴェーラの方が説明は上手いと思うんだけど」
「いやー、ほら、バシっと答えが出ないのはちょっとね。説明しててもしゃっきりしないし」
「それはわからなくもないけど」
「さすがベッキー! 話が早いね!」
「え? え?」

 何を言われてるかわからず、混乱するレベッカ。

 まただ、またペースに飲まれた――レベッカはがっくりと項垂うなだれる。

「ヴェーラちゃん、ベッキーちゃん、ジュース買ったんだけど」
「わー、ありがとう!」

 ヴェーラは反射的にジュースを二本受け取り、一本をレベッカの前に置いた。レベッカは「あのねぇ」と剣呑けんのんな視線でヴェーラを見る。

「餌付けされてどうすんのよ、ヴェーラ」
「餌付け?」

 さっそくジュースに口をつけているヴェーラが首を傾げる。

「しかもあなた、仕事もしないで報酬を受け取るつもり?」
「だってわたしたちニコイチじゃん?」
「ん?」
「だから、きみが仕事をした結果として、わたしが報酬をもらってもいいじゃん?」
「ん?」

 レベッカは思わず眉間にシワを寄せる。ヴェーラはしれっとした顔でジュースを飲み干した。

「おっけー、飲んだ。じゃぁ、ベッキー様、講義を開始してください」
「あのさヴェーラ」
「ふぇい?」
「さっきから私、何一つ納得できてないんだけど」
「世の中不条理と理不尽でできているのだよ、レベッカ・アーメリングくん」

 そのドヤ顔で送り出された言葉をまともに受けて、思わず天井を仰いだ。

「あのね、ヴェーラ・グリエールさん? 私、今夜の二人ピザパーティ不参加でよろしい?」
「いいよ!」
「ん?」
「きみのピザを合法的に食べられるなら最高だよ!」
「……ごめん、あなたと話しているとクラクラするわ」
「だよね。本当に美しさは罪だよね!」
「あー、うん、そうねー」

 はいはい、とレベッカは言い、周囲に群がっている士官候補生たちを見回して、小さく息を吐いた。

「ヴェーラ・グリエールさん」
「ふぇい?」
「講義が終わるまで立ってなさい」
「やだー」

 ヴェーラはそう言うとこれみよがしに机に突っ伏して目を閉じた。

「うぅ……」

 レベッカはひとしきり唸ってから、いつものように観念した。

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