02-2-1:エレナとカティのコンタクト

本文-ヴェーラ編1

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 早くも上級高等部生活も一ヶ月が経過した。カティはげっそりとした顔で寮備え付けの大浴場の脱衣所に入る。そのまま、備え付けの大きな鏡の前に移動する。

「痛……ッ」

 鏡を見ながら頬に触れ、思わず声を上げる。傷こそ見えないが、昨日のCQC近接格闘戦闘訓練で、うっかり頬を深く切ってしまったのだ。すぐにナノスプレーで治療を受けたから痕は残らないだろうが、未だかなりの痛みがあった。

 カティは痛みを堪えながら服を脱いで、改めて全身を鏡の前にさらす。痛みのせいでいつもに増して仏頂面のカティの全身は、どこを見ても青痣あおあざだらけだった。何をどうしてもどこかしらが痛い。体力には自信があったのだが、今のカリキュラムはそんなカティの自信を容易たやすく打ち砕いた。

 カティは時計を一瞥し、いつもの時間――二十三時を回ったところ――であることを確認してから、大浴場への扉を開いた。この時間はいつも貸し切り状態であることをカティは知っている。カティは独り風呂をこよなく愛しているのだ。誰かがいるとリラックスできない性分ゆえだ。

「うー……ッ」

 シャワーで全身を流すとそれだけで激しい痛みがあった。シャワーを持つことすら億劫で、本当なら今すぐでもベッドに倒れ込んで眠りたいくらいだった。ボディソープやシャンプーが、カティの精神力にとどめを刺しに来る。カティは奥歯を噛み締め、眉間にシワを寄せながら、苦痛をやり過ごす。

「はぁ、もう……」

 ソロリソロリと石鹸を洗い流し、湯気の流れる天井を見上げる。かれこれ一週間毎日コレだ。心も折れる。

「髪切ってやろうか」

 八つ当たりのようにカティは呟き、伸びてしまった前髪をつまむ。前回切ったのがいつだったかすら覚えていない。関心がないからだ。むしろこの目立つ赤毛と目つきの鋭さに鬱陶しささえ覚えている。もちろん、百八十五センチを超える長身にも、だ。

「ううう……」

 痛みに立ち上がるのも億劫で、鏡の前でうなってみる。と、そこに誰かが入ってくる。カティの貸切状態が崩れ去る。カティは慌てて立ち上がろうとして、しかし膝に力が入らずに失敗する。

「こんばんは」

 わざわざカティの隣の洗い場に陣取った栗色の髪の候補生は、そう挨拶した。カティはその裸身を一瞥して「ああ、同期にこんなヤツいたな」と思い出す。

「他にも洗い場あるのに、なぜ隣にきた」
「私、エレナよ。エレナ・ジュバイル」
「いや、質問に答えろよ」
「エレナでいいわよ?」
「おい」

 カティは剣呑な視線をエレナに飛ばすが、エレナは「痛い痛い」と言いながらシャワーを浴び始めている。カティはしばらくその様子を見ていたが、エレナに「女の子に興味あるの?」と問われて慌てて目を逸らした。

「アタシはそういうの興味ないから」
「奇遇ね。私も女の子の身体には興味ないわ」

 エレナは少し涙目になりながらそう応じた。エレナも全身打撲痕だらけで、おそらく切り傷も――ナノスプレー処理はされているだろうが――多数ある。

「ふー、参っちゃうわね、さすがにこれは。カティもでしょ」
「いきなりファーストネームかよ」
「だから私はエレナでいいわよ。おあいこ」
「はぁ?」

 カティは目を丸くして素っ頓狂な声を出す。何事か抗議しようとしたが、言葉が出てこない。会話が苦手なカティは、こういう事態にはとても弱かった。仕方なく憤慨したように息を吐き、気合を入れて巨大な浴槽へと移動する。

「ねぇねぇ、カティ」
「馴れ馴れしくするな」
「同期だからいいじゃない?」
「同期でもイヤだ」
「私のことが嫌い?」
「知らないから答えられない」

 生真面目に応じるカティに、エレナはクックッと喉で笑う。カティは無言で浴槽に足を突っ込み、しばらく無言で硬直した。痛かったのだ。エレナも同じようにして「きくぅ」と悲鳴のような声を漏らしてっている。

「お友達になりましょうよ、カティ」

 ややしばらく苦痛と格闘した二人だったが、やがてそれにも慣れてお湯の中に肩まで沈む。カティは顔も向けずに問う。

「なぜ?」
「んん?」
「なんでアタシがお前と友人になんて」
「ツレナイなぁ」

 エレナは両手で水鉄砲を作って、カティにお湯をかけた。カティは露骨に嫌がり、眉根を寄せる。

「あの潜伏訓練一発パス組でしょ、私たち」
「え?」

 カティは目を見開いてエレナの方を見た。エレナはニッコリと微笑んで頷く。

「三十人の選抜メンバー。三人の合格者。あなたと私、そしてヨーン・ラーセンっていう男子」
「そうか、お前、アレの合格者だったのか」

 見た目によらない――カティは自分の見る目の無さを反省する。潜伏訓練というのは敵の制圧領域に脱出ベイルアウトしたことを想定した訓練だ。具体的には深い山奥に身一つで置き去りにされて、制限時間内に脱出するという課題だ。一日や二日でどうにかなる道程ではなく、そのため辺りに生えている植物や野生動物、あるいは昆虫を食べて飢えを凌ぐことになる。

 エレナは肩をすくめる。水面がぽちゃんと音を立てた。

「蜘蛛が意外と美味だって発見はあったけど」
「蛇はごちそうだったな」
「わかる!」

 エレナはまた微笑んだ。くっきりした目鼻立ち、怜悧な栗色の瞳、骨格は華奢ながら、全身くまなくバランス良く筋肉が突いている肉体の持ち主だった。理知的な雰囲気をまといながらも、茶目っ気もある。カティの得意なタイプではなかったが――というよりそもそも得意なタイプがない――、悪いヤツではなさそうだという感想を持つ。

「しかし、カティ、あなたの身体はすごいわね」
「え、なにを」
「完璧! どこを見ても完璧! 羨ましいなぁ」
「どこが完璧だよ。でかいだけじゃないか」
「さわっていい?」
「え?」
「ちょっと触ってみたい」
「だめ。触るな、痛いから」
「ちぇー」

 エレナは報復的に肩を叩かれて顔をしかめる。

「どことは言わないけど、ぜったい揉んでやる!」
「揉むなよ……」

 カティは音もなく距離をとり、両手で胸を隠した。エレナはフフっと笑い、また水鉄砲でカティを撃った。

「やめろよ、ほんと」
「私ね、セプテントリオの大学で航空力学を専攻してたんだ」
「大学出組か」
「そうよ。あなたは高等部からずっといるのよね」
「そうだ」

 カティはエレナの接近を警戒しながらジリジリと移動する。エレナも少しずつ距離を詰めて、やがてカティを隅に追い詰めた。エレナは「ふふん」と笑いながらカティと並んだ。ギリギリ身体が触れない距離であるが、傍目はためには密着だろう。

「……で、大学出組の超エリートさんが何でまた、アタシに?」
「ざっくりいうと、勝負してほしいのよ」
「しょう、ぶ?」
「テストとかじゃないよ? CQC近接格闘戦の試合で。座学で私が負けるはずがないけど、実戦はあなたに分がある。どう考えても。だから、私はあなたをぶっ潰したいのよ」
「大学出組のプライド?」
「イエス!」

 エレナは右手の親指を立てて見せる。その時に腕が傷んだのか「うぐぐ……」と唸ったりもしている。

「私たちは確かに超エリートと言われているけど、同時に揶揄やゆされてもいる。だから、大学出組でも根性ガッツはあるんだってことをとにかく見せつけたいのよ。潜伏訓練もその意地一つで合格したようなもの」
「あー……」

 カティは水面下で親指と人差指をじりじりとこすりながら考える。

 勝てば勝ったで大学出組との間で軋轢が生じる。負けたら大学出組がつけあがるし、高等部からの進級組からも怨みを買う可能性がある。勝ち負けいずれにしても面倒だった。となると――。

「イヤだね」

 カティは端的にそう言った。エレナは「あらぁ?」とニヤニヤしながらカティを見る。

「逃げるの?」
「逃げる?」

 あからさまな挑発に思わず乗ってしまうカティである。エレナはまだニヤニヤしていて、カティの次の言葉を待っている。カティは「あー、もう!」と天井に毒を吐いて、首を振った。

「わかったわかった。適当にセッティングしてくれよ。あ、でも、今は嫌だな。痛くて試合どころじゃない」
「同意。それには同意。さすがに今の状態で訓練以外で身体を使おうだなんて思わないわ。気絶しちゃう」
「うん」

 カティはそう言って、また溜息をついた。

「エレナ」
「あ、やっと呼んでくれた」
「あ、いや、うん」

 呼んでから赤面するカティである。その様子を見て、エレナはケラケラと声を立てて笑い、立ち上がった。カティの前にエレナの裸身が晒され、カティは更に赤くなった。

「何赤くなってんのよ」

 エレナはそう言って胸を張る。カティは露骨に視線をらした。

「で、なに?」
「エレナは本当にアタシと友達になりたいって思っているのか? 大学出組だの試合だのそういうのなしに」
「もちろん」

 間髪入れずに返ってきた答えに、カティは面食らう。あわあわしながら、カティはエレナの裸身を見上げて言う。

「お前はアタシのこと何も知らないじゃないか」
「友達になってから知ったっていいじゃない?」
「そうなのか? そんなものなのか?」
「だって、ほら。全部知ってから友達っておかしいじゃない? 友達でもないのに、その人のことリサーチしまくらなきゃいけないし、そんなのただの危ない人でしょ?」

 そ、それもそうだ――カティは納得してしまう。

「じゃ、交際成立でいい?」
「交際って……」
「冗談よ。お友達から始めましょ」
「それ以上があるのか……?」
「ないわよ?」

 エレナはニコリと微笑を見せてそう言って、颯爽と去っていった。その引き締まった後ろ姿に、カティは思わず見惚みとれていた。

 ああ、違う違う。何じっと見てるんだ、アタシ!

 カティは顔にお湯をバシャバシャと当てて、何度も首を振った。

 ヴェーラとレベッカ以外との会話は久しぶりだった。

「ちょっと、楽しかった……」

 カティは無意識にそう呟いていた。

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