ピザレストランにて、ヴェーラは九十分食べ放題コースを迷わず選択した。そして呆れる二人をよそにヴェーラは時間いっぱいピザを摂取し続けた。カティもレベッカも途中からヴェーラが注文するたびに、思わず笑うようになっていた。ピザに関してはヴェーラはとにかく大食漢と言っても過言ではなかった。
それから二時間ばかり街中を彷徨い、幾つかのアクセサリーや衣服、書籍を入手した三人は、マスコミの気配を感じて民間タクシーに偽装した軍用車両の後部座席に逃げ込んだ。
マスコミ某社は先日、ほんの僅かの事実に妄想と空想のデコレーションを施し、カティのことを死神と表現した。カティが士官学校襲撃事件に於いて、F102を駆って襲撃者に勇敢に立ち向かった英雄であることは、それまで多くのメディアが書き立てていた。それが広く認知された頃合いを見計らって、その某社はそんな記事を発表したのだ。彼らはどういうわけか、カティがあのアイギス村の唯一の生き残りであることまで突き止めていた。
彼らはこうも書いた――カティ・メラルティンの足元には無数の死体が埋まっている。それはカティの燃えるような赤毛を揶揄したものに相違なかった。
「今日はなんか……いつも以上にだるそうだね」
「奴らだよ」
後部座席に落ち着いたカティは、携帯端末のカメラを無遠慮に向けている男を指差す。他にも携帯端末で写真を撮ろうとしている人々は多くいたし、実際に相当撮られてはいたのだが、カティが気にしたのはその男だけだった。カティはその男が記者であることを知っている。そしておそらく、カティを死神呼ばわりした男だということも知っていた。記者会見に引っ張り出されたカティに、無礼で無遠慮な質問を幾つも投げつけてきた男だった。
運転席に座るプルースト少尉が「行きますよ」と声をかけて手動運転で車を動かした。助手席にはいつしかジョンソン伍長が座っていた。タガート兵長はおそらく後ろの車両のどれかに紛れている。
マスコミは嫌いだ。カティは右手にヴェーラ、左手にレベッカの温度を感じながら首を振った。真実を伝えるのが正義とは思わない。しかしそれ以上に、自分たちにとって都合の良い真実だけを、都合よく脚色して伝えるのは悪だ。現実は物語ではない。視聴者や読者へのエンターテインメントではない。カティは記憶からその記者の顔を消して溜息を吐いた。
「カティ! カティさーん、おーい」
「あっ……?」
ヴェーラに右腕をゆすられて、カティは我に返る。
「ぼーっとしてること、増えたね」
「ヴェーラ、ちょっと」
レベッカが反対側からたしなめる。カティは「いいんだ」と言いながら、二人の頭を撫でた。そして二人はカティに寄り掛かる。二人の体温を両側に感じて、カティはどうしようもなく不安になる。カティは今までに大切な人を失いすぎていた。この二人もまた、カティの前から消えてしまうのではないか――そんな不安がどうしても拭い去れない。
どんなに大切な人だって、失われたその瞬間から記憶の中で劣化していく。ヨーンだって、エレナだって、まだ数ヶ月だというにも関わらず、その仔細が思い出せない。正確にはその「記憶」が本物なのか、それとも自分が都合よく編集して作り出したフィクションなのか、わからないのだ。そしてそう考えれば考えるほど、ヨーンたちが遠くなっていってしまう。わかっていても、思い出そうとしてしまう。作り出そうとしてしまう。それがカティにはたまらなく辛かった。
カティの心情を感じ取っているのだろう。ヴェーラもレベッカも、それからは何も言わなかった。カティにはその沈黙が心地よかった。カティは言語化が苦手な性分だったから、二人のこの共感力には大いに助けられていた。
「ちょうど大佐も帰宅される頃合いですよ」
プルースト少尉が車を停めて後ろを振り返る。ジョンソンが周囲を警戒してからドアを開け、レベッカを先頭にして三人は車を降りた。荷物を取り出している最中に、参謀部の車両が到着して、後部座席から顔面に酷い火傷の痕のある女性将校――エディット・ルフェーブル大佐――が降りてきた。
「もう帰ってきたの? もっとゆっくり……ってあなたは家にいるほうが落ち着くんだっけ」
左手に持った週刊誌らしきものを掲げながら、エディットは目を細めた。義眼が鈍く光る。車から降りてきたプルーストが略式の敬礼を行ってから言う。
「それでは私はこれで」
「うむ、ご苦労だった少尉。変わりはなかったな?」
「はい。いつも通りです」
「了解した」
エディットは誰にも気付かれない程度に息を吐く。プルーストはジョンソンを置いて去り、ジョンソンは遅れて到着したタガートの車両に乗って去っていった。その間にカティたち四名はエディット邸の玄関に移動する。ここまで到着できれば安全地帯だった。その緻密なセキュリティにより、隠し撮りも叶わない。
今や四人は例外なく狙われる立場の人間だった。エディットは言わずもがな。ヴェーラとレベッカは、アーシュオンにとって驚異となるシステムを操ることのできる能力を有し、カティは英雄だった。おそらくアーシュオンにとっては好ましくない人物であるはずだった。
「楽しかった?」
エディットはリビングのドアを開けながら後ろのカティに尋ねた。
「は、はい」
カティは反射的にそう答えた。しかしエディットは納得しなかった。
「私のための答えを訊いたわけじゃないわよ、カティ」
「ほんとうに、楽しかったの?」
そこに重ねてくる上目遣いのヴェーラ。その透き通るような空色の瞳に射抜かれて、カティは言葉を詰まらせる。ヴェーラには、そして無言でカティを見ているレベッカにも、生半可な嘘は通用しない。ジャケットを脱いだカティは、エディットに促されるまま三人掛けのソファに腰を下ろした。すぐに右にヴェーラ、左にレベッカが座ってくる。その様子を見て、エディットは小さく笑った。
「あなたたち、本当に仲が良いのね」
「それ記憶にある限り十三回言われてるよ、エディット」
「もっと言っているかと思ったわ」
エディットは笑いながら冷蔵庫を開け、ビールの缶を一つ取り出した。エディットは帰宅するとすぐに缶を一つ開ける習慣があった。エディットはアルコール飲料しか入っていない冷蔵庫を見回して、扉を閉める。
「晩御飯どうする? お昼何食べたの?」
「ピザ! たくさん食べたよ!」
「あなただけね」
ヴェーラの言葉にレベッカが速攻で突っ込んでいる。エディットは「ふむ」と一瞬表情を険しくして言う。
「ピザの気分だったんだけど」
「わたし、一日六食ピザでいいよ!」
ヴェーラの言葉を受けて、レベッカがカティ越しに突っ込む。
「全部ピザとかないわよ。それに六食って意味が分からないわ」
「よっ、全ツッコミの女王」
「あのねぇ、ヴェーラ、あなたはだいたい――」
「あーあー。聞こえない聞こえない」
二人はいつもどおりだった。カティはそのことにたまらなく安心する。エディットはビール缶にそのまま口を付けながら、三人の様子を冷静に観察している。エディットに必要なのは、三人の保護者としての視線だけではなかった。軍としてどうやって三人を役立たせるか――役立たせられるようにするか。それもまた考えなければならなかった。
エディットは携帯端末を眺めつつ提案する。
「お寿司とかどうかしら?」
「寿司いいね! すーしー! ピザの次に好きだよ!」
即座に反応するヴェーラである。エディットは携帯端末をポケットにしまうと、おどけたように肩を竦めた。仕事中には決して見せない仕草と表情である。
「私が料理できればいいんだけど」
エディットは基本的に料理をしない。というよりできないのだ。スキルがない訳ではないが、火傷を連想させられるものが苦手なのだ。その理由は、彼女の顔を見れば明らかだった。その言葉に気が付いたレベッカが言う。
「私が何か作りましょうか?」
「いいのよ、ベッキー。あなたたちが好きなものを食べるといいわ。でもお寿司なら私も少しつまもうかしら」
「オーケー、注文するね、すーしー」
ヴェーラはいつの間にか自分の携帯端末を手にしていた。そして目にも止まらぬスピードで操作をすると一瞬で注文を完了させた。その間にレベッカは、エディットが持ち込んでいた週刊誌を手に取っていた。
そして表紙を眺め、目次を眺め、数ページをめくる。そして盛大に溜息をつく。カティはそれを覗き込んで眉根を寄せる。
「明かされた軍隊アイドルの全容?」
「ああ、それね」
エディットがつまらなさそうな表情を見せる。
「レーマン大尉に貰ったの。まだ読んでないけど。たまには紙媒体のマガジンでもいかがですかって」
「写真がすごいな」
ページの上に浮かんでいるのは立体写真だった。手をかざせば遮られるが、そうでなければ縮小された本物がそこにいるかのようだった。その写真を下から覗き込みながら、エディットは頷いた。
「下からは見えないわね、よし」
「ちょっとー、何見ようとしてるの、エディット」
「だってほら、スカート短いから、パンツ見えるかなって。チェックよチェック。保護者としての」
「それなら出版前にやってくれないと!」
カティの目からは、ヴェーラはもうすでに、エディットとすっかり打ち解けているように見えた。エディットをエディットと呼べるのは今のところヴェーラだけだ。レベッカは「さん」付けが抜けなかったし、カティに至ってはどう呼べばいいのか、未だに決めかねていた。少なくともこの家で「大佐」とは呼べない。エディットはオフタイムに仕事モードにされることを嫌うのだ。しかも極端に。
カティはエディットから雑誌を受け取り、ざっと目を通す。
「お前たちはライヴもやっていたのか」
「うん。あちこち飛ばされてるんだよ、なんだかんだ」
「でも歌はちょっと……」
レベッカが恥ずかしそうに言って、半ば強引にカティから雑誌を奪い取った。
「ヴェーラはそういう場所得意だからいいけど、私はちょっと苦手で」
「でもステージパフォーマンス、わたしより評判いいじゃない。めっちゃイケメンだし」
「それはその、そういうキャラクターだから」
雑誌にあった写真では、レベッカは眼鏡を外しているものもあった。その状態でステージ上でヴェーラの肩を抱いていたりもする。案外本人も乗り気なのでは、と、カティは感じていたりもする。
「わたし、ベッキーが眼鏡外したらドキドキしちゃうようになったもん」
「ヴェーラってば」
「だってさ、ほら!」
ヴェーラはレベッカの眼鏡を強引に奪い取った。カティの動体視力をもってしても何が起きたのかよくわからなかった。
「ほらね、めっちゃイケメン! わたし、こんな人になら抱かれてもいい!」
「もー!」
レベッカがまた電光石火の早業で眼鏡を奪い返す。間に挟まれているカティは、苦笑するしかない。
「ね、カティ。どう思う? わたしベッキーと結婚したいんだけど」
「ア、アタシに言うなよ」
「お似合い? ねぇ、お似合い?」
「そ、そうかな。でもベッキーの意見も大事だし」
「真面目!」
ヴェーラはカティの唇に人差し指を押し当てた。カティは目を丸くしてヴェーラの顔を見た。
「カティはさ、もっと自分中心に生きなきゃダメだよ。他人のための人生じゃない。他人のためのカティじゃない。カティを本当に大切に思う人はね、カティが自分のためにすり減っていくのなんて見たいと思ったりはしないよ。わたしね、カティがカティのために生きるのを全肯定する。カティが何を言っても、何をしても、何を決めても、わたしはカティを否定しないよ。どんなに自分勝手に生きたって、わたしはそれで良いと思うんだ」
ヴェーラは一息でそう言った。カティの左ではレベッカが頷いている。エディットは優しい表情で三人を見ていた。
「だからね、カティ。わたしたちのための答えを作るのはやめて。わたしたちが喜ぶ答えを探すのはやめて。そんなの、わたし、嬉しくない」
「ヴェーラ……」
「私もヴェーラと同じ意見ですよ、カティ。といっても、そう簡単に変われませんよね」
レベッカの静かな言葉に、カティは俯いてしまう。
「ヴェーラも焦っちゃダメ。カティにはまだ時間が必要だから」
「……わかってるよ。でも、エディット」
ヴェーラがエディットに鋭い視線を送った。
「そんなに悠長なことを言ってもいられないんでしょ?」
「……そう、ね」
ビールの缶を置いて、エディットは頷いた。ヴェーラは視線をテーブルの上にある雑誌の表紙に落とし、唇を噛んだ。
「あれだけやられて、ヤーグベルテが黙っているはずがない」
その言葉に、室内はどんよりとした重苦しい空気に包まれた。