01-1-4:あなたの心の声は――。

歌姫は壮烈に舞う

 

 デリバリーされた寿司の半分はヴェーラの胃の中に収まった。エディットはもともと酒さえあれば良い性分だったし、レベッカも少食に属する。カティは精神的にそれほど食べられる状態でもなく――というわけで、ヴェーラは二人前以上を平らげることになった。彼女らの横では消音ミュート状態にされたテレビが、良くわからないバラエティ番組を流していた。

 エディットは何本目かも判然としないビールを開け、自分の携帯端末モバイルに一瞬目をやった。

「ヴェーラ、ベッキー、お風呂入れるわよ。一番風呂行く?」
「あ、うん! ベッキーも一緒に入るよね」

 食後の緑茶を飲んでいたヴェーラが頷きながらレベッカを見る。レベッカは後片付けをしながら肩をすくめる。

「いいけど。でもあなた、どうしてこんなに食べられるの、いつも」
「乙女の胃袋は異次元でござる」
「超ひも理論的な意味で?」
「対称性の破れ的な意味!」
「あ、そっちなの」
「うん」

 鼻歌交じりに頷きつつ、ヴェーラはレベッカを手伝い始める。その様子を見ながら、エディットは隣に小さく収まっているカティを見た。

「カティ、二人は何の話をしているの?」
「どういうプロセスでああいう会話になってるかがわかりません」
「超ひも理論ってなに?」
「ええと……」

 生真面目に説明しようとしたカティを見て、エディットは小さく笑う。

「この酔っぱらいが物理学の講釈をされたら、きっと寝ちゃうからいいわ」
「後でベッキーが睡眠学習手伝うって」
「そんなこと言ってないでしょ、ヴェーラ」

 横から口出ししてきたヴェーラを肘でつつくレベッカである。

「痛いよ、ベッキー。お風呂でチェックしてもらうからね。肋骨痛いなぁ、肋骨」
「そんなに強くやってないでしょぉ」

 レベッカはヴェーラに引っ張られながらエディットを振り返った。

「エディットさん、お風呂に――」
「さん付け禁止」
「イヤです」

 レベッカにしては頑固な反応に、エディットはおどけたように両手のひらを上に向ける。そのやり取りに、カティは思わず苦笑した。ヴェーラたちが出ていったのを見届けてから、エディットはカティの肩に左腕を回す。抱き寄せられる形になったカティは緊張して固くなる。

「さっきの表情、いいと思う。ぎこちなかったけど、それでも笑ってるあなたがいい」
「は、はい……」
「無理に笑えとは言わないし、笑わそうとも思わないけど。あなたにとってこの家の環境が、あなたのその表情筋を緩める役に立ったらいいなぁとは思うわ」
「すみません」
「リハビリよ、リハビリ。気楽にね。焦る必要はないわよ」

 エディットはカティを一層抱き寄せて、右手でその太腿を軽く叩く。

「スキンシップが苦手なのね」
「慣れてなくて……」
「嫌い?」
「いえ」

 カティは首を振る。身体は未だ固かったが、それでもエディットの体温を感じられるところまでは緊張が緩みつつあった。エディットは微笑むと、テーブルの上のビール缶をとって飲み干した。

 そしてその空の缶を手にしたまま、カティの横顔を凝視する。機械の目が無音で焦点を調整する。

「ねぇ、カティ」
「は、はい」
「私じゃ、あなたの家族にはなれない?」
「それは……」

 どう答えたらいい? カティは答えを探す。そんなカティを見て、エディットは「ふふ」と小さく笑った。

「あなた、ねぇ? いま、答えを考えてる?」

 穏やかだが強い口調を受けて、カティは下を向いた。だがエディットはそれを許さなかった。両手のひらで強引にカティの顔を自分に向ける。

「私を見なさい、カティ・メラルティン」

 強い口調で言われて、カティは知らず唾を飲む。エディットの義眼が鋭く輝き、顔中に広がる凄惨な火傷の痕を際立たせた。

「あなた、私を喜ばせたいの? 私を傷付けたくないの? それとも私に嫌われたくない? どれ?」
「全部――」

 カティはかすれた声でそう答えてから、「だと思います」と付け足した。そのまっすぐ過ぎる答えを受けて、エディットは少し眉尻を下げて頷いた。

 カティは息を飲む。

 その表情には見覚えがあった。いや、忘れようもなかった。

 ヨーンが度々見せていた、あの困ったような微笑だ。今のエディットの表情は、それとまるで同じだった。カティはヨーンに背中を押されたかのように、少し早口で言う。

「自分、えと、あの、アタシ、どうしたら良いのか全然わからなくて、だからその――」
「好きにすれば?」 

 エディットはそう言って立ち上がる。そのままキッチンへ行ってワイングラスを二つと赤ワインを持って戻ってくる。

「乾杯の前に、一つ言っておくわね」
「あ、はい……」
「良い子ね、あなたは」

 エディットの左手がカティの右手に重なった。火傷でかさかさになった皮膚が、カティの手に体温を伝えてくる。

「私はね、あなたの選択なんかで傷ついたりしないわよ。あなたが何を言おうが、何をしようが。私はそんなヤワな女じゃない。少なくともね、今のあなた程度の女の子が、私を傷付けられるはずなんてないの。あなたはまだ、そんな大層な人間じゃないのよ。まだ、ね」

 エディットはカティを見て目を細める。カティは鋭い言葉を受け止めきれずに狼狽うろたえていた。

「それにね、カティ。あなたが私のためにってわざわざ選んだ言葉とか行動とか。そんなもので私を騙せるなんて思わないこと。残念だけど、あなたには私を出し抜けるような頭脳はないわ」

 カティは視線を彷徨さまよわせる。エディットに触れられている右手が熱くなっていた。エディットの鋭い表情が不意に和らぎ、エディットはそのままカティを抱きしめた。

「だいじょうぶよ、安心なさい、カティ。そういうことだからね、あなたは私の前では自分を作る必要なんてない。私がこの汚い顔を晒しているのと同じくらい、あなたは堂々と自分の姿を、自分の気持ちを晒しなさい。他人の言葉じゃなくて、自分の心の声を聞いて。あなたは間違えない。それは私が保証してあげる」
「でも、アタシは……」
「今のあなたはあなたの間違いの結果、こうなってるわけじゃない。大丈夫、世界中があなたを糾弾したって、私はあなたを守る」
「どうして、そこまで」
「どうして?」

 エディットは尋ね返しながら、ワインを注ぐ。二つのグラスの内側で、少量の赤い液体が揺れる。

「守りたいからよ。私、あなたのことが好きなのよ」
「でもそれは――」
「私の気持ち。私にもよくわからないというのが正直なところよ、カティ。だけど、あなたを守りたい気持ちは本当。それ以上何かいる? 証拠の一つも出さなきゃダメ?」

 エディットはワイングラスを持ち上げて、赤い輝きを眺めた。沈黙するカティの肩を叩きつつ、エディットは立ち上がる。グラスを煽り、液体を一息で食道に流し込んだ。

「これ、人に見せるのはいつぶりかな」

 エディットはテレビ台の引き出しをゴソゴソとあさり、一枚のボロボロの写真を取り出した。

「私が自分の顔を嫌って閉じこもってたりしたら、世界を憎んでたりしたら、きっとあなただってこの顔を気持ち悪いと思うわよ。この両目だって」
「気持ち悪いなんて思ってません」
「知ってるわ。あなたの目には憐れみも嫌悪もないもの」

 エディットはそうしてカティの隣に戻ってきて、その写真を見せた。ツギハギの写真には五人の兵士が映っていた。一人は豪奢な金髪を風に遊ばせている女性だった。

「これ、私。十年以上前のね。美人でしょう?」
「すごく」

 カティは素直に認めた。透き通るような白い肌、健康的な赤い唇、軍服から覗くスマートな首筋――どこをとっても誰もがうらやむと言っても差し支えのない、きらびやかさだった。

 エディットはまたワインを注ぎ、一口飲んだ。カティはグラスに手を伸ばさない。

「この顔になった時ね、私、何回も死のうとした。苦痛もあったし、絶望もあったし。皮膚なんていくらでも再生できるって知っていたけど、そうじゃなかったのよね、問題は。私の本当の顔はもう二度と戻らない。どう取り繕ってもそれは新しく作られたモノで、私のモノじゃない。そう思うと、そうね、悔しくて。結局死に損なったけど、こんな風に立派な飲兵衛のんべえが出来上がったわ。あの時は溺れたなぁ、いろんなものに」
「どうやって……立ち直ったんですか?」
「立ち直ったわけじゃないのよ。忘れたふりをしてるだけ。辛い経験や過去って、そもそも忘れられるものなんかじゃないの。その経験をする前の自分には戻れないから。この顔と同じよ。だからそのいたみとどうにかして上手く付き合っていかなきゃ。でもね、人間は一人ではそんなことはできないのよ」

 エディットはワインをまた飲んで溜息をつく。

「私の場合はアンディ。知ってるでしょ」
「フェーン少……大佐ですね」
「そ。彼。彼にね言われたの。君は一生そのままなのかって。失ったことを嘆いて、運命を恨んで、腐っていくつもりかって。それはいったい誰のためなんだって」
「誰のため……」
「私の勝手でしょって私、言ったの。そしたらアンディは言ったのよ、あの強面で」

 エディットは目を閉じて、また息を吐いた。

「君の苦痛を理解したいから、俺に君を愛する資格をくれないか」

 そう言って、エディットは首を振った。酔ってるんだろうなとエディットは思ったが、今はそれを悪いことだとは思わなかった。

「その時、私たちもう事実婚状態だったのよ、実は。だからなんで今さらそんな事言うんだろうって思ったんだけど、アンディは言ったの。君は生まれ変わったんだから、俺はもう一度最初から愛さなきゃならないんだってね。まったく、どんなロマンチストなのよって、私、笑ったの」

 エディットはそう言って、グラスを一つカティに手渡した。

「一口付き合ってよ」
「はい」

 カティは受け取ると、エディットと軽くグラスを合わせてそれを口に含んだ。初めてのワインの味はよくわからなかった。エディットはそれを見届けて、ぽつりと言う。

「そんな彼ももういないんだ。哀しいな。でもね、私、泣けないの。この目にそんな機能ないから」

 エディットの涙腺も人工物であり、それは感情には同期しない。エディットはカティの右手を強く握った。カティも負けずに握り返してくる。

「カティ、あなたは私以上に強くなれる。今のあなたはびっくりするくらい弱くてもろいけど、絶対に強くなれるの。なぜならあなたは沢山のものを失ってきた。だけどこうして生きている。私の手を握っている。強く握ってる。だから、あなたは必ず強くなる」

 エディットはカティの手をいつくしむように握り直す。カティの肩から力が抜けたのが伝わってくる。

「弱いあなたを偽る必要はないわ。ありのままのあなたを見せた時、あなたに石を投げる人がいるかもしれない。あなたに背を向ける人がいるかもしれない。逃げて良い。蹴飛ばしても良い。そんな人たちの顔色を伺う必要なんて、これっぽっちもない。だってあなたには私がいる。ヴェーラもいる。ベッキーもいる。それになにより、あなたにはヨーンがいる」
「ヨーンが……?」
「そうよ。彼はもう、あなたの心の一部。あなたの心の声は、彼の想いでもあるわ」

 そう言って、エディットはグラスを置いた。

「どう、自分の心の声、信じられるようになった?」
「少し、は」
「それでいいわ、カティ」

 その言葉と同時に、カティの目から涙が一筋流れた。

「人はそうやって少しずつ強くなっていくの」

 ――悲しみを代償にして。

「アタシ、姉さんみたいに、強くなりたい」
「なれる」

 エディットは短く言って、カティの肩を強く抱いた。カティはエディットの肩で泣く。

 私も、汚い大人なんだ――エディットは密かに深呼吸をする。

 私はあなたを利用したいだけなのかもしれない。自分の気持を偽っているだけなのかもしれない。

 醜いな、私は――。

 アンディ、あなたには、いまの私はどう見えている?

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