ヴァルターはエルザとその両親、ローラとアンゼルムとともに夕食のテーブルについていた。大型のテレビの中ではいわゆる芸人たちがゲームに興じている。ヤーグベルテと戦争状態はあまりにも長く続き過ぎてしまったために、多くの民間人たちはそれを忘れてしまっているのではないかとさえ思えた。もちろん交戦があればそれはニュースになる。しかし、それ以上ではなかった。遠くの海で起きている戦いに対する当事者意識など、持ち続けろという方が無理だった。彼らは先日の超兵器の登場とその圧倒的戦力に沸いたが、それもそれだけだった。いや、より圧倒的になったという安心感を得て、むしろ当事者意識は遠のいたかもしれない。
そんなことを考えていた矢先、テレビの中の映像が急に慌ただしくなった。臨時ニュースに切り替わったのだ。
「暴動……ですかね?」
いつものことだろうと、ヴァルターはジンジャーエールの入ったグラスを傾ける。アンゼルムはその厳つい顔をさらに険しくしながら、自家製のピザを切り分けている。テレビの中からは喧騒が伝わってくるだけだ。どこかの監視カメラからの映像らしい。
「反戦集会が最近は特に増えていてね」
アンゼルムがボソリと言う。
「あの超兵器登場からこっち、平和主義……いや違うな、反戦主義者の集会が過激さを増しているようでね。軍としても手を焼いているとか聞いている」
「そうなんですか」
ヴァルターは意外そうに反応する。アンゼルム、そしてローラともに退役軍人であり、最終階級は中佐だった。二人とも任務中の負傷が原因で退役を余儀なくされたという背景があるのだが、その頃の仲間たちは今や軒並み将官レベルだったから、いくらでも情報は入ってくるはずだった。ヴァルターの軍に関する情報源の大半がこのアンゼルムとローラである。
「てっきりあの兵器どもを見て、反戦機運は下がるものと思っていましたが」
「私もそう思っていた」
アンゼルムは椅子に座り直すとビールを缶から直接煽った。
「実際は頻度と過激さを増しているという話だ。それにほら、あの銃撃音」
「あら、アステル重機関砲ね」
ローラが反応した。アンゼルムは頷く。しかしヴァルターは戦闘機の機関砲の聞き分けすら曖昧だったから、二人の会話の意味が理解できなかった。
「アステル重機関砲は民間には流通してない火器なんだよ、ヴァリー」
「集会に対して銃撃を、軍の武器で?」
「反戦集会に対して、主戦派集団が殴り込みをかけた、という構図だね」
アンゼルムはまたビールに口をつける。
「軍は表向きは……」
「そう、表向きは。武器だけはなぜか彼らの手に渡っているがね」
「あなた、アステル重機関砲ってことは、装輪装甲車以上が必要よ」
「そいつがこの集会所……メノススタジアムの外にいるんだろう。そこから内部に銃撃を行っている」
「でもお父さん、そんなことしたら軍警が駆けつけて……」
エルザが口を挟むが、アンゼルムは首を振る。
「何らかの事情で駆けつけるのが遅れるのさ」
「そんな。それじゃ、反戦集会の人たちは」
「二度と集会に参加はできなくなるだろうね」
「見殺しに? 虐殺じゃない、こんなの」
エルザが鼻息荒く言うが、ヴァルターたちは沈黙する。軍に所属していれば、アーシュオンという国家がその程度のことはなんとも思わない組織なのだ……ということは嫌でもわかる。
『反戦集会に対して、主戦派の過激派団体が装甲車を投入した模様。そこに反戦派武装組織が反撃を加えています』
ようやくレポーターが姿を現して状況を報告し始める。ヴァルターが渋面で呟く。
「戦闘……ですね」
「ガス抜きだよ。反体制派の粛清を兼ねた、ね」
アンゼルムは達観したような表情で言い、ローラはテレビの映像を興味深そうに眺めながらピザを食べていた。エルザだけは憤然とした表情だ。
「人が死ぬ映像なんて見たくないわ。これで気分悪くならないなんて、どうかしてる」
「すまない」
ヴァルターはアンゼルムを伺ってからテレビを消した。
「あの集会には反戦主義の政治家たちもかなりいたみたいね」
「なるほど」
ローラの情報にヴァルターは頷いた。粛清という線がますます濃厚になる。全て政府の仕組んだことだといえばいい。もっと言えば、その黒幕は情報部の内部組織ゲフィオンだろう――確証など持ちようもないが。
ローラは自分もビールを開けつつ言った。
「兵隊といえば殺人鬼、軍隊といえば暴力装置。そんな考えをしている政治家なんて、まとめて最前線に送ってやれとは思っていたけど。でもこんな死に様を晒す必要はなかったと思うわ」
「まったくです」
ヴァルターは将来の義父母の平衡感覚に改めて安堵する。アンゼルムは言う。
「そもそも我々が手を引いたら、今度はヤーグベルテからの反撃があるだろう。これは単なる妄想かもしれんがね。だが、少なくとも我々は、人は殴られたら殴り返してくることを知っている」
アンゼルムの褐色の目が、ヴァルターを鋭く捉えた。
「私はね、ヴァリー、我々アーシュオンは開けてはならない扉を開いてしまったのではないかと思っているんだよ」
「それは、あの超兵器のこと、でしょうか」
「それを使ったこと、だよ」
「使った……」
ヴァルターの反芻に、アンゼルムは頷く。
「古今東西、超兵器と呼ばれる兵器は存在していた。どの時代にも、どの勢力にも。だが、それは使わない前提の兵器だった」
「抑止力、ですか」
「肯定だ、ヴァリー」
「今回は我々はそれをいきなり使い、たった一晩で数十万、数百万の民間人を殺傷した」
「そうだ、民間人をだ。あんな大虐殺は、歴史上初だろう。その罪を犯したのは、我が国だ」
重苦しいその言葉を受けて、ヴァルターは沈黙する。ヴァルターの立場ではそれを是とも非とも言えなかった。
「私のネットワークでは、今度ばかりはヤーグベルテも本気で殴り返してくるだろうという意見が強い」
「本気で……」
「我々の超兵器以上に」
そんなものが……。ヴァルターは目の前の空のグラスを睨む。
歌姫計画……!?
ヴァルターは視線を上げる。アンゼルムと目が合った。アンゼルムは首を振り、空になったビールの缶を手に立ち上がる。代わりにローラが口を開いた。
「何があっても守ってちょうだいね、ヴァリー」
「もちろんです」
即答するヴァルターだが、ローラは「でもあなたの専門は空だしねぇ」と呑気に言った。
「お母さん、ヴァリーを困らせないでよ」
「ごめんなさいねぇ」
ローラはそう言うと、食卓をテキパキと片付け始める。エルザはヴァリーの左手を軽く叩いて立ち上がった。
「ちょっと風に当たろうよ、ヴァリー」
「そうだな」
視線を送った窓の外には、紺色の空が広がっている。よく晴れた夜空だった。