あの子がどうやってアイスキュロス重工の重役になったのか。最初はそんなことを考えもした。なにしろアイスキュロス重工は、世界最大規模の軍需産業。兵器開発はもちろん、戦技研なども有しており、傘下には数多くの民間軍事会社を従えてもいる。そこの技術本部長ともなれば、経営トップの一人であると言ってもいい。事実、アーマイア・ローゼンストックは最高技術責任者だった。
目を閉じれば彼女の高級な人形のように精巧な顔貌が浮かんでくる。深淵の瞳の奥で、何を考えているのかを読み取ることは難しく、彼女の発言には一切の損得が含まれていなかった。ただ事実を羅列する、さながらマシンのような彼女は、ヴァルターには到底受け入れられる存在ではなかった。一言で言えば――恐怖があった。それも、底知れぬ。戦場で四風飛行隊と対峙した時ですら感じたことのない、明らかにしてあからさまな恐怖だ。何かをこれほどまでに「恐ろしい」と思ったのは一体いつぶりだろうか。
歌わせてから、殺せ――。
それは兵器の開発、性能向上のためなのだという。しかし、超兵器を凌ぐというセイレネス・システムを発動させるということは、味方に数多くの犠牲が出るということだ。だが、アーマイア・ローゼンストックはそうしろと言う。
「冗談じゃない」
ヴァルターは執務室のソファでだらしなく座っているクリスティアンを睨みながら吐き捨てた。クリスティアンは携帯端末から視線を上げる。
「選ばれし者になるのはガキの頃からの夢だったけどよ」
「嬉しくないな」
「うちの飛行隊に入れたくらいで満足してた俺様にとっちゃ、実にありがた迷惑な話だぜ」
厄介事を押し付けられ、面倒なことを考えなければならない。そんな立場になってしまったということだ。実際のところ、今まで考えもしなかった種々のことに既に心を持っていかれかけている。
「なんなんだろうねぇ、ヴァリー君。俺たちに言えたこっちゃねぇけど、ヤーグベルテが俺たちの玩具みたいな奴ら、いや、それ以上のものを作っているってなると、戦争の形、いや、常識っつーもんがぶっ壊れちまう」
「新兵器が登場した時には常に戦争は形を変えてきているさ」
「まぁね。実際に鉄砲が出てきたとき、戦車が、戦闘機が、ミサイルが、核兵器が。そういうモンが登場してきた時にゃ、戦争のみならず世界全体がパラダイムシフトした、とも言えらぁな」
「戦争は社会を変えるからな。良い方にも悪い方にも」
「戦争なんてロクなもんじゃねぇよ。そもそもさ、俺が軍人になったのは、戦争を終わらせるためだ」
「初耳だ」
「初めて言った。もっとも、俺なんかにゃぁそんな力がねぇことに気付いてガックリしたもんだけどな」
「どんな英雄にも戦争は止められやしないと思うが、だからといって戦争を是認するのはまた違う」
「さんせーぃ」
クリスティアンは気のない返事をすると「ISMTなんてもんを持ち出しても物言わぬ国際法」などと鼻歌のように呟きつつ、携帯端末の画面をヴァルターに見せた。
「ヒトエ・ミツザキ大佐。中央参謀司令部の第弐課に所属」
「中参司……それも殲滅戦の弐課か!」
ヴァルターは掠れた声を発する。中央参謀司令部・第弐課は、空軍とはほとんど関わりのなかった組織であるが、その敵味方に対して全く容赦も妥協もない苛烈な指揮を行うことで有名だった。第弐課が指揮した戦闘では、ほとんど捕虜が発生しない。あるいは捕虜をとったとしても、その捕虜が五体満足で戻ってくるようなことは絶無と言っても良かった。
他の課とは違い、彼らは督戦隊とともに積極的に最前線に出てくる。そこで自らも銃弾に晒されながら、情け容赦のない戦術指揮を行うのだ。兵士たちは彼らを恐れているが、同時にその危険を顧みない姿勢には敬意すら覚えている者もいた。第弐課はそれを知っているからこそ、有力な参謀たちを次々と最前線へと派遣する。そしてその結果として、極めて優秀な組織が出来上がっていた。ミツザキ大佐はそのトップの一人でもあるということだった。
「でもさぁ、ヴァリー君。第弐課の大佐っつったら、さすがに俺たちも初耳ってこたぁねぇ気がするんだけどな」
「高級将校とは言っても中参司、まして俺たちと直接関与のない第弐課ともなれば、あり得る気はする」
「まぁ、そうかなぁ」
釈然としない様子のクリスティアンだったが、やがて携帯端末をしまうと呟いた。
「我らが猛将ドーソン中将にも、ついに首輪がついたかぁ」
「何より海軍と空軍にも第弐課が関与してくるようになったのはちょっと厳しいかもな」
ヴァルターは腕を組んで、背中を背もたれに預けきった。その時――。
「ん?」
ヴァルターの携帯端末にメッセージが入る。シルビアからだった。
「フォアサイトとシルビアも、俺たちと同じように召喚されたようだな」
「へぇ。俺らと同じ話でもきいたんかね?」
「多分な」
ヴァルターは頷く。クリスティアンは「そっか」と立ち上がって部屋から出ていこうとし、ふと振り返った。その表情はいたずらを思いついた悪童のようだった。
「で、隊長。シルビアとは何か進展あったんかい?」
「ない」
「またまたぁ。あんな美人に迫られてムラっとこねぇ野郎はいねぇだろ」
「俺にはエルザがいる。シルビアには悪いが」
「お前にぞっこんなのになぁ。据え膳だぜ、据え膳。食うだけ食えばいいじゃん」
「バカを言うな」
「まったくお前ってやつはよ。女に嫌われるタイプなのに、なんで好かれるんだよ」
「知るか」
ヴァルターは大袈裟に天井を仰ぐ。
「お前さんの態度はよ、なまくらなんだよ。だから痛ぇんだ、余計に。お前さんは他人を傷つけまいとして色々工夫を凝らすじゃん、何言うにしても。それがよ、余計なんだよ。お前に本気で本気になってる女はよ、誰もそんな優しさなんて誰も求めちゃいねぇよ」
「と、言われてもなぁ」
こういう性格なのは今に始まったわけじゃないし、と、ヴァルターは思う。
「難儀な性格なのは最初から知ってるけどよ。ていうかさっさとエルザとくっつけよ、書類的にも」
「休暇が取れればな」
「まったく」
クリスティアンはこれみよがしに肩を竦めて、部屋を出ていった。
それを見届けたヴァルターは、自分の端末のモニタを睨む。中央参謀司令部の公開情報を閲覧しようという算段だった。モニタの隅の時計を見ると、午後四時半。しかし窓の外はまだまだ明るい。ブラインド越しにも眩しいくらいだった。ヴァルターは外で忙しく動き回っている整備班や、ランニングをしている飛行士たちを見ながらしばし沈思に耽る。
視線をモニタに戻したその瞬間に、ヴァルターの携帯端末が着信を知らせた。まずめったに音声着信はなかったから、ヴァルターは一瞬「なんの音だ?」と思ったほどだった。
発信元番号は見たことがないものだったが、軍支給の端末への着信に出ないわけにはいかない。ヴァルターは音声チャネルを開き、名乗ろうとした。が、口火を切ったのは相手の方だった。
『フォイエルバッハ大尉の携帯端末で間違いないな? ミツザキだ』
「こ、肯定です」
『ドアを開けろ。今部屋の前にいる』
そう言われてヴァルターは慌ててデスクの上にある解錠ボタンを押した。ドアの鍵が開いたその次の瞬間には、ベレー帽をかぶった銀髪の女性が入ってきていた。軍靴の音も高らかに、しかし滑るように歩く独特の歩き方だ。
「こんな場所で敬礼は不要だ」
機先を制して言うミツザキに、立ち上がりかけていたヴァルターはややつんのめる。
「ソファに移動してこい。差し向かいで話そう」
ミツザキは先程までクリスティアンが座っていたソファに腰を下ろし、その向かい側のソファを右手で示した。ヴァルターは言われるがままに移動する。
「アーマイアの方に急用が入ってな。面談予定が全てキャンセルになってしまった」
ミツザキはベレー帽をくるりと回すとテーブルの上に置いた。そして携帯端末を取り出すと画面に書類を一つ表示させた。それをヴァルターに見せ、サインを求める。
「PXF-001の受領書ですか。何も大佐ご自身で持って来られなくても」
「なに、私が自らここに出向いてくる口実を作っただけだ。最強の最新鋭戦闘機を、最強の飛行士に引き渡す書類だ。おかしなことはあるまい」
ヴァルターはサインをしようとして躊躇した。受領書と言ってもまだ引き渡し可能状態の現物を自分の目で確認していなかったからだ。その様子を見て、ミツザキは「ははは」と声を上げて笑う。
「生真面目なのは噂通りだな。現物はもう既にいつでも飛ばせる状態になっている。後で見に行こう。書類は貴様の端末に送っておくから、サインは後日送れ」
「……試したんですか?」
「いや?」
ミツザキは赤い目を細める。ヴァルターは唾を飲み、沈黙する。
「サインなんざ形式的なものだ。いつサインされようがどうだっていい。まして今回のPXF-001に関しては私が引き渡し責任者だ。完全な状態で、確実に貴様に渡されるのは確定している。だからサインなどただの儀式だ。貴様を試すならもっと盛大にやる」
「盛大に……」
「ここでサインしてもらったほうが、私としては楽ではあったんだがな」
ミツザキは携帯端末をポケットの中にしまうと、長い脚を組んだ。スラックスタイプの軍服でなければ、かなり際どい体勢だった。
「ところ、で」
ミツザキは手に顎を乗せてヴァルターを見つめた。ヘビに睨まれたカエル状態に陥るヴァルターを見て、ミツザキはまた声を立てて笑った。
「私の眼力も捨てたものではないな」
ミツザキは笑いながら言い、右手の人差し指を立てた。
「一つ提案がある、大尉。今から私とデートをしよう」
「デ、デートですか……?」
「そう警戒するな。残念ながら、襲われて食われるなんてことはない。気になる存在ではあるがな?」
ミツザキは笑いながらそう言って、また携帯端末を取り出して一つ頷いた。
「そろそろハーゼス中尉も到着する頃合いだろう」
「シルビアが?」
そう問い返した矢先、ドアがノックされた。ヴァルターの端末のモニタに、少々落ち着かない様子のシルビアが映っている。ヴァルターが解錠すると、ドアがゆっくりと開けられた。おずおずと顔をのぞかせたシルビアは、室内にいたミツザキに気が付いて慌てて姿勢を正す。シルビアは、自分がなぜミツザキによってヴァルターの執務室に呼び出されたのかわかっていなかった。
シルビアの敬礼に面倒そうに応じたミツザキは、ヴァルターの隣に立つとその肩に手を置いた。並んでわかったが、ミツザキは女性としてはかなり背が高い。長身に属するヴァルターとほとんど並ぶほどだった。
「では行こう、大尉。女二人とデートというのも乙だろう?」
どうして俺の周りにはこういう人間しかいないんだ?
ヴァルターは思わず頭を抱えたくなったのだった。