なるほどねぇ――ジョルジュ・ベルリオーズはバルムンクによって構成された暗黒の内側で微笑する。バルムンクとは即ち、ベルリオーズに纏わるもの以外、ありとあらゆるものの侵入を拒む闇である。
「だ、そうだけど? アトラク=ナクア、君はどう思う?」
『存じておりますわ』
仰々しく現れたのは銀の揺らぎだ。バルムンクの闇は、元はと言えばこの銀こと、アトラク=ナクアによって齎されたものだ。定義的には銀や金の一部と言っても良い。
「で、彼の見解は正解と言えるのかい?」
『あなたがそうだと思うのなら、そうでしょうね』
禅問答のような回答に、ベルリオーズは冷たい微笑を浮かべる。その左目がぼうっと赤く燃え始める。
「それが是であるのなら、僕の未来もまた僕が思う通りに是なのだろうね」
『あなたは何かをするつもりなのかしら?』
「君がそう思うのなら、そうだろうさ」
ベルリオーズの燃える瞳が銀を冷たく射抜く。
「少なくともね、僕はあの子たちをただの産廃にするつもりはないよ」
『産廃ね。まったくあなたは私が今までに見てきた無数のベルリオーズの頂点に君臨するほど残忍で残酷で酷薄な人よ。神様とかいうくだらない連中が、人間を見て智慧の実を与えようとしなかったその気持、私にはわかるわ』
銀がゆらめく。ベルリオーズは「おもしろいことを言うね」と後ろ手に指を組み合わせる。
「しかし人は智慧の実を手に入れた。蛇の策略によってね。そしてその結果、エデンと名付けられた永遠の連環から駆逐された。永劫回帰の円環に打ち下ろされた僕ら人間たちは、押し並べて智慧の実を実装しているのさ」
『ならばなぜ、智慧の実を得たはずの、実装したはずの人間たちは、幾刧もの円環の繰り返しを経てもなお、浅薄なのでしょうね?』
「その答えは君が知っているだろう?」
ベルリオーズは目を細める。左目から吹き上がる赤い輝きが闇を穿つ。
「実装はしていても、それは具象クラスじゃないからさ。つまり彼らはクラスの中身を認知できていないのさ。僕はそう考えているけれどね」
その言葉に対して、銀はしばし沈黙した後に尋ねる。
『……あなたは彼らの中にある智慧の実因子を、セイレネスを使って強引に覚醒させようと?』
「君がそう思うのなら、そうだろうね」
だって、君は僕ら全ての人類の母のようなものだろう?
ベルリオーズの意識に対し、銀は嗤う。
『あなたが思うようにうまくいくのかしら?』
さぁ?
ベルリオーズは右手を顎にやって、わざとらしく晦冥の天を仰いだ。
「うまくいかなくてもかまわないんだ、僕は。別にこの時間軸に固執しているわけじゃない。どうせ世界は永劫回帰の裡から逃れられないんだ。この次はうまくいくかもしれないだろう?」
『あなたのような人間は、円環の巡りの中で、数百年に一度現れるけど』
「未だ円環が切れてないということは、なんぴとたりともその境地には至れていないということだろう?」
『そうね』
銀は頷いたようだった。しかし、その声音には低く冷たい圧力があった。だがベルリオーズには、意に介した様子はない。
「でも僕は、おそらくその数多くの試行者の中では最も成功に近いところにいる。そして僕は既に、ジークフリートによってある程度の物理的、論理的な成功を収めている」
『人間の価値観としての成功ね』
「だからこそ価値があるんだ、アトラク=ナクア」
『私のティルヴィングを使ってジークフリートを生み出したあなたは、それをして人の力と?』
「僕は人だからね。人間だ。そして誰よりも人間を想っている」
『あらあら?』
銀の揶揄するような声が響く。
『新たなるヒトを創り、人の世界を破壊せんとするあなたが? 神を騙ろうとするかのようなあなたが?』
「人類は智慧の実を認知することにより、神に至る。簡単な話だろう?」
『至ってどうするの?』
「神によって作られた魂の牢獄から解き放たれるのさ」
『あなたはもうそこから抜け出す権利を得ているけれど?』
「だから言っただろう? 僕は誰よりも人間を想っているって」
僕が目指すのは全人類の魂の解放だよ――ベルリオーズは囁く。
『そう――。ならば私も好きにするわ』
「もうしているじゃないか」
『あら、そうだったかしら?』
ふわりと銀の気配が消えた。
「さぁ――」
再び闇に戻ったバルムンクの内側で、ベルリオーズは両手を広げる。
「また幕を上げよう。ちょっとした前座の、ね」
その淡々とした言葉は、反響することさえなく消えた。