06-1-1:騒然

歌姫は壮烈に舞う

 

 二〇八四年十一月――カティがエウロスの入隊訓練を開始してから約二ヶ月。その日はあまりにも突然やってきた。

 エウロス飛行隊基地作戦司令室の空気は、てついていたと言っても良いほどだ。通信音声、端末の駆動音、各種アラートが広大な室内を埋め尽くしていたが、居合わせたエウロス関係者たちの意識にはまったく入り込んでは来なかった。

 シベリウスを含め誰一人例外なく、この状況に打ちのめされている。ノトス飛行隊が撃滅された時以上の衝撃がところせましとはしりまわっていた。もはやどんな状況も誰のどんな言葉も意味を持てない、そんな空気だ。

 一体何が起きたっていうんだ――誰もがそう言おうとしてやめた。何が起きたかはあまりにも明白すぎたからだ。豪胆を絵に描いたようなシベリウスですら、腕を組み、仁王立ちをしたまま微動だにしない。その視線は鋭利な刀のように鋭かった。エウロスの隊員たちは等しく強く緊張していた。シベリウスの隣に立っているカティもまた、厳しい表情で奥歯を噛み締めていた。握りしめた掌がじっとりと汗ばんでいるのを感じた。

 何もできない――。

 カティはメインスクリーンを見上げながら喉を鳴らす。戦闘部隊の搭載しているカメラからの映像が適宜切り替わりながら映されているのだが、そのバリエーションはあまりにも少なかった。それだけカメラを搭載している機体が減ったということだ。

 今映っているのは、たった四機の敵新型機によって弄ばれるボレアス飛行隊だった。超エースパイロットで固められた、エウロス飛行隊と並ぶ戦闘力を有した守護神たち。それがいとも容易く撃破されていく。

「ただの島嶼奪還作戦が聞いて呆れる」

 シベリウスが呻く。そう、最初は単なる小さな島々に襲来したアーシュオン艦隊を駆逐するためだけの作戦だった。ヤーグベルテ中央司令部は瞬間的な撃退を企図し、四風飛行隊のボレアス飛行隊を差し向けた。実際に、奪還作戦は一瞬で終わるはずだった。アーシュオンの潜水艦から、新型の戦闘機が射出されるまでは。たったの四機。その四機が二十四機のボレアス飛行隊、および揚陸部隊の護衛航空部隊を翻弄した。

「あの新型機……ロイガーとは違う」

 カティが呟くと、シベリウスは頷いた。

「似てるがな、機動性が段違いだ。およそ人が乗ってるとは思えない」
「無人機、でしょうか」
「その割には高性能過ぎる。そもそもUAV無人機ごときに苦戦するボレアス飛行隊じゃねぇ」
「しかし、あの機動に耐えられるとは……」
「アーシュオンのことだ、何を持ち出してくるかなんてわかりゃしねぇよ。クソッ」

 シベリウスはいましがた見た光景を思い起こして吐き捨てる。映像に映るボレアス飛行隊のF108パエトーンはどれも傷だらけで、飛んでいるのが不思議なほどだ。

 シベリウスが指の関節を一斉に鳴らした直後、スピーカーからカティにとっては聞き慣れた声が響いた。

『参謀六課統括ルフェーブル大佐だ。現時刻を以て、作戦指揮権を引き継いだ』

 落ち着いたその声を聞いて、作戦司令室の空気がほんのわずかに和らいだ。第六課もとい、エディット・ルフェーブル大佐が指揮を引き継いだということは、中央司令部はようやく島嶼奪還作戦の失敗を認めたということである。第六課が指揮を引き継ぐということは撤退戦が始まるということだからだ。

「遅すぎるんだよ……!」

 シベリウスの声に、スピーカーが小さな溜息を伝えてくる。誰もが沈鬱だ。やり場のない怒りと失望と幻滅に震えている――カティはそんなことを考えながら、自分がまだ冷静さを保っていることを認識した。

 一拍置いた後に、エディットがガトリング砲も斯くやと言わんばかりの勢いで各方面へと指示を出し始める。現地で戦っている部隊への指示はもちろん、エウロスやゼピュロス飛行隊にもいくつも指示が飛んできた。主に戦況分析の協力指示だ。医療機関や輸送手段の確保、艦隊による防衛ラインの構築なども極めて迅速に行われた。は常に先の先を読む。指揮を引き継ぐ前から近傍の艦隊には動員をかけていたし、医療機関他、関係各所とは常に協力体制にある。普段の根回しこそが、の強みだった。

 そして何より、劣勢に陥った兵たちの指揮は、によって大きく回復する。全滅やむなしの状況であっても助かる可能性が出てくる――エディットはそれだけの実力と実績を兼ね備え、兵士たちからの信頼は非常に厚かった。彼女は敗れた兵士たちにとっての希望のようなものだった。

『シベリウス大佐、聞いているか』
「ああ、よく聞こえるぜ、
『結構。それで、イスランシオ大佐はどうなったか見たか?』
KIA戦死

 その短い応えにはゾッとするほど温度がなかった。しかしエディットは義務的に尋ね返す。

『間違いはないか』
「希望も何もねぇよ」

 シベリウスの言葉に、カティも心の中で同意した。カティの目も、イスランシオのを確実に捉えていたからだ。

 そうこうしているうちに、ボレアス飛行隊は残り八機になった。今や当初の三分の一の戦力しかなく、おまけに無傷な者は皆無だ。

「ルフェーブル大佐」
『言うな、シベリウス大佐。言いたいことは分かっている』

 音声通信サウンドオンリーだからこそ、シベリウスにはエディットの苦い表情がはっきりと認識できていた。何を責めるつもりでもない。そんな無駄なことをするつもりもない。

 シベリウスはきつく目を閉じながら確認する。

「エウロスは待機でいいのか、
『撤退に終始する他にない。犠牲は最低限にとどめおく』
「……了解した」

 シベリウスはようやく椅子に腰を下ろし、ちらりとカティを見た。

「ひでぇ戦場だ」
「こうまで歯が立たないなんて」

 カティが言うと、シベリウスは「だな」と腕を組み直す。ヤーグベルテの艦隊から、島嶼を埋め尽くすかのように弾道ミサイルが降り注ぐ。その攻撃に乗じて陸上部隊は退避行動を続けていた。救助部隊が動き始める。ヤーグベルテの艦隊の動きに呼応して、アーシュオンの潜水艦隊が後退を始める。であるリチャード・クロフォード准将率いる第七艦隊が移動し始めたという情報を受け取ったからだ。アーシュオンにしてみれば、クロフォードの相手をするのは分が悪い。

「なるほど、稼働時間か」

 シベリウスは呟いた。

『いくら優れた航空機であれ、無限に飛び続けることはできない。こちらの計算によれば、もってあと十五分だ』
「さすがだな、そこを計算するとは」

 シベリウスは素直に関心する。エディットは「それが仕事だからな」と短く応じ、再び各方面へと指示を飛ばしていく。

『こちらダガー2! 振り切れねぇ! 体当たりでいく!』

 メインスクリーンの中でボレアスの一機が苦しげに宣言した。負傷しているに違いない。僚機がそれを止める。

『早まるな! 退避を続けろ!』
『逃がせば地上がやられる。どのみち振り切れねぇ。せめて一矢報いてやるぜ!』

 ダガー2の機体は飛んでいるのが不思議なほどに傷ついていた。それでもなお戦闘機動を維持しているのは、ひとえにこのパイロットが超人的な技術を有しているからに他ならない。

『それに飛び続けるのも限界だ。墜落死だけは避けてぇからな!』

 ダガー2のF108パエトーンが敵新型機を真正面に捉える。絶対に逃さない――そんな執念すら感じさせられるほどに正確な操縦だった。機関砲弾が次々とダガー2を捉える。尾翼が消し飛ぶ。キャノピーの防弾ガラスが粉砕される。翼が半ばから折れる。

 だがそれでもダガー2は機体を敵機に激突させた。

「……!」

 カティは唇を噛んだが、目を逸らさなかった。そんなカティを見上げ、シベリウスは目を細める。

「見届けてやれ」
「はい……」

 カティは見た。ダガー2に激突された新型機が、激突の瞬間に薄緑色に輝いたのを。しかし誰もそれに気付いた様子はない。しかし、それには誰も気付いた様子がなかった。見間違えだとは思えない。しかしどう言ったらいいものかもわからない。

「大佐、ボレアス、残り二機……です」
「ンなもん、見てりゃわかる」

 文字通り全滅だ。傷だらけの二機と、無傷の最新鋭機四機。どんな偶然が起きたとしても結末は一つだ。

『六課よりボレアス各機。退却フェイズ進行。諸君のおかげだ』

 その言葉を待っていたかのように、最後の一機が爆散する。

『……ご苦労だった』

 カティたちに、再び沈鬱な空気がのしかかってくる。しかし状況はまだ落ち着いてはいない。参謀部の仕事はまだまだ終わらない。

「ルフェーブル大佐」

 シベリウスが口を開く。その語気はいつもに比べて弱かった。

『なんだ、シベリウス大佐』
「あの状況では他に選択肢もなかっただろう。見事な作戦指揮だった」

 その言葉に、エディットは数秒間応答を留保した。

『私が感傷に浸るのは撤退が完了してからだ』
「カティが慰めてくれるさ。カティはもう撤収させる」
『余計な気遣いだ』
「イヤではねぇだろ」
『……好きにしてくれ』

 エディットは各部への指示を合間に挟み、最後に付け加えた。

『感謝している、シベリウス大佐』
「ガラじゃねぇよ」

 シベリウスはそう言って立ち上がり、カティの肩に手を置いた。

「愚痴の一つも聞いてやってくれ、カティ」
「は、はい……」

 どうしたらいいんだろう。アタシに、何かできるのだろうか。

 カティは視線を彷徨さまよわせながらも、小さく頷いた。

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