あっ……と?
ヴェーラはそっと目を開けて思わず小さく声を上げた。すぐ目の前にレベッカの美しく整った唇があった。身体を確かめれば、レベッカの両腕がヴェーラをしっかりと抱きしめていた。
ヴェーラは「ふむ」と息を吐き、レベッカの腕をそっと外す。レベッカは完全に眠っているようで、何の抵抗もなかった。ヴェーラはレベッカの頬にそっと口付けをするとベッドに腰掛ける、枕元のデジタル時計はちょうど午前五時を指していた。
昨日は、どうしたんだっけ。なんかいきなり記憶が途切れている……。
窓は防弾防炎の遮光カーテンがきっちりと引かれていて、窓の外の明るさはわからない。が、この時期の午前五時だ。おそらく真っ暗だろう。
なんだろ、このザワザワする感じ……。
ヴェーラはまだ残っている眠気を、意識の集中によって薄れさせる。感覚がみるみる明瞭になり、レベッカの心音すら聞き取れるようになったような気がした。愛しい音だとヴェーラは思う。絶対に守りたい音だ。そして世界で一番頼りになる音だ。
そう思った瞬間に、ヴェーラの背筋が粟立った。名状し得ない感覚に取り込まれそうになり、ヴェーラは思わず前のめりになり自分の肩を抱きしめる。次に襲ってきたのは、脳を頭蓋骨の内側から揺らされるような感覚だ。不愉快極まりない苦痛に、ヴェーラは思わず呻いた。
「……電話?」
ヴェーラの耳に、エディットの携帯端末に着信があったことが伝わってくる。緊急時の着信であることはすぐにわかった。もっとも、階下の防音のきいたエディットの部屋の音が聞こえるというのは考えにくい――普段なら。
「何かあったみたいね」
「うきゃっ」
突然かけられた言葉に、ヴェーラは変な声を出して文字通り跳び上がった。いつもならそんなヴェーラにツッコミの一つも入れるレベッカだったが、今日は深刻な表情をしてその過程をスキップした。素早くベッドから出て、丁寧にたたまれていたガウンを羽織る。ヴェーラは長袖のパジャマ姿のまま、スリッパを引っ掛けて廊下に出た。レベッカはすぐに追ってきて、ヴェーラの肩に毛布をかけた。廊下は室内以上に冷え切っていて、二人は思わず震えた。
二人が階段を降りるのとほとんど同時に、リビング側の扉からエディットが姿を表した。レベッカが眼鏡を直そうとして空振りしながら――かけ忘れたのだ――尋ねる。
「どうしたんですか?」
「あら、起こしちゃった?」
少し驚いた様子でエディットが応える。二人の歌姫は鋭い視線でエディットを射抜く。エディットは肩を竦めて、震えている携帯端末を取り出した。
「いま出る。そのまま待っていてくれ」
「緊急事態ですね?」
レベッカが言うと、エディットは「イエス」と短く応えてそのまま家を出ていった。
取り残された二人はリビングに移動してから、顔を見合わせる。
「ヴェーラ、聞こえてる?」
「うん、間違いなく。起きてからずっと」
即答するヴェーラに、レベッカは頷いてみせる。
「歌ね」
「歌だ」
二人がそう確認しあった直後、二人は同時に呻いた。震える手で抱き合った。ヴェーラは涙目になりながらレベッカを掻き抱く。
「これって……!」
「断末魔……!」
揺蕩うメロディが突如として、悲鳴に、絶叫に変わる。頭蓋の内側で跳ね回る刃のようなその音が、二人の意識を容赦なく傷付けていく。
「ベッキー、ベッキー……!」
「大丈夫、大丈夫よ、ヴェーラ」
レベッカは眉根を寄せながら、震える声でヴェーラの耳朶に囁く。ヴェーラは震える手でレベッカの肩に爪を立てる。レベッカは自らも苦痛に苛まれながらも、言う。
「私がいるんだもの、あなたは絶対大丈夫」
「わかってる。だいじょうぶ、信じてる、ベッキー」
そう応えたヴェーラは、レベッカを強く抱きしめた。