超大型高高度戦略攻撃機AX-799は、四万メートルの眼下にアーシュオンの百三十隻からなる艦艇群を睥睨していた。アーシュオンの艦隊は降り注ぎつつある弾道ミサイルへの対処に躍起になっており、高度に隠蔽された空中要塞に対して注意を向ける余裕などなかった。
参謀部第六課は、もはや作戦の蚊帳の外にあった。参謀部のほとんど誰もが第三課指揮で行われるT計画のお披露目は大成功することを疑っていなかった。その僅かな例外がエディットやハーディ率いる参謀部第六課である。第六課は撤退戦の指揮を主とすることから、確実に目的が完遂されたことを見届けるまで気を抜かない。
エディットは傍らにヴェーラとレベッカを従え、じっと黙ってメインモニタを見上げていた。二人の歌姫は、頭痛を堪えるような苦い表情をしてAX-799から送られてきている映像を見つめている。
ハーディが座面を回してエディットを振り返る。
「第七艦隊からの弾道ミサイル第一波、全弾が最高高度に到達しました。敵艦隊から上がっていた迎撃ミサイルが――」
「全部墜とされたな」
エディットは肩を竦める。弾道ミサイルもそろそろオワコンかと感じる瞬間である。確かに弾道ミサイルは脅威ではあるが、感知されていた場合の迎撃精度が高すぎる。恐ろしく高価な兵器ではあるが、これではコストに見合わない。
「大佐、第二波が上がっています。第一波は囮だった模様。それに同期してAX-799がレーダー照射を開始。対艦攻撃、開始されます」
カメラからの映像がAX-799を見下ろす形になった。撮影用ドローンからのものに切り替わったのだろう。機体の周囲が発射炎で金色に染まっている。
「すごい……」
ヴェーラが思わずつぶやく。冗談のような火力が薄い雲を突き破り海面に突き立っていく。弾道ミサイルの対処にリソースを食われていた敵艦隊はほとんど為す術もなく弄ばれる。敵機が上がってきたが、そのほとんどは高度を取ることすら出来ずに撃破されていく。
「凄まじい戦闘力だな。まるで空飛ぶ戦艦だ」
エディットが腕組みをしながら言う。
対空ミサイルへの迎撃行動も完璧であり、結果として傷一つ付けられていない。
ヴェーラは隣のレベッカの手の甲を軽く叩く。
「確かにすごいけど……。ベッキー、砲撃精度低く見えない?」
「そうね。打撃数で命中を稼いでるように見える。けど、精度上がってきている気がする」
「それも思った。この成長スピードからして、砲術士はAIだね、これ。戦闘が一つ終わる頃には必中レベルになるんじゃないかな」
その会話を聞いて、エディットは思わず振り返る。二人にAX-799の仕様について話をしたことなどないし、誰かがそんな機密をペラペラ伝えたりするはずもない。
「大佐、核砲弾を打ち込み始めた模様です」
「弾道ミサイル自体が囮、なんなら第七艦隊への新型ミサイル駆逐艦の配備すら、か。アダムスめ、なかなか念を入れている」
エディットは苦虫を噛み潰したような表情を見せる。ハーディは無表情に海域の情報を分析している。
「脱出不能領域ですね、当該海域は。生身の人間では即死します」
「死の海か」
エディットは第二波の弾道ミサイルが終末段階に突入したのを確認する。ここまでの被撃墜率は二十三パーセント。第一波と違い、激しい混乱状態にある艦隊では満足に迎撃できなかったのだろう。核砲弾と弾道ミサイルによる領域制圧。教科書に乗せても良いくらいに完璧な成功を収めるに違いない。
「勝負あり、か」
さすがのエディットも、今回ばかりはアダムス中佐の成功を認めないわけにはいかなかった。プルースト少尉に紅茶を依頼しようかと考え始めたその直後に、ハーディのややうんざりした声の報告が届く。
「第三課から通信です」
「無視しろ」
「了解……というわけにもいかないでしょう」
「実に遺憾だ」
エディットは立ち上がると、メインモニタの前に腕を組んで仁王立ちした。メインモニタには、髪をオールバックにした痩せ気味の男が映っている。目は落ち窪んでいたが、ギラギラと輝いていた。まるで獲物を前にした飢えた蛇のようだ――ヴェーラはそんな感想を抱く。
空気を読んでタイミングよく紅茶を運んできたプルースト少尉が、ヴェーラたちに向かって「あれがアダムスの野郎、もとい、アダムス中佐です」と囁きかける。
「あの噂の……」
レベッカが小さく呟いた。なるほどエディットが嫌いそうなタイプである。
「それで」
エディットは顎を上げて口火を切った。
「第三課統括殿。お忙しい中、何の用件か」
『いえいえ、ルフェーブル大佐にはいつも大変お世話になっております』
慇懃に一礼するアダムスに対し、エディットは表情を一ミリも動かさない。たちまち第六課司令室の空気が凍てついてくる。二人の間にあるのは嫌悪と敵意である。おそらくどのような出会い方をしていたとしても、二人は不倶戴天だったに違いない。
『ところで今朝は早朝よりご苦労さまでした。ですが、もうお帰り頂いてもけっこうですよ。そちらの、ほら、軍隊アイドルのお二人も。なに、色々うまくいきましてねぇ。神風を吹かせた、と言っても良いところでしょうかね?』
「神風を吹かせた、ね」
エディットは腕組みを解こうともせずに、無表情に繰り返す。
「まったく、貴様のジョークとしては十分すぎるほどに面白い。三流なりにな」
『お楽しみいただけたとのこと。まことに光栄の極み』
二人はモニタ越しに睨み合っている。とても言葉の応酬を楽しんでいるようには見えない。
『さて、念のためにお伝えしておきますが、本作戦に於ける――』
「全ての作戦は、大統領命令に基づく国家の総意ということだろう、アダムス中佐」
『さすがルフェーブル大佐。話が――』
「作戦の最中にだらだらと喋っていられるほど暇なのか、第三課統括殿は」
アダムスの言葉を次々と切って捨てるエディット。カメラの死角に立っているハーディは皮肉っぽい笑みをヴェーラたちに見せている。ヴェーラとレベッカは顔を見合わせる。
「ハーディ少佐って、ああいう表情もするんだね。もっとマシンみたいな人かと思ってた」
「こら、ヴェーラ」
二人の会話が聞こえたのか、ハーディは小さく肩を竦めてみせる。それからハーディはエディットの方を伺い、何度か満足気に頷いた。ヴェーラとレベッカは、エディットのスラリと伸びた背中を見て、この上なく頼もしく感じた。なにものにも揺らがないその強さを、目の当たりにした気持ちだった。エディットとの関係が良好とまでは言えないヴェーラも、その点については認めないわけにはいかなかった。
一方でアダムスは、そんなエディットの態度に腹を立てたのか、その唇を大きく歪めた。
『まぁ、いいでしょう、大佐。あなたのオモチャなんかよりも、こちらのほうがよほど税金に優しいということですよ。T計画のほうが、より科学的で現実的だ』
「ふん」
エディットは凄みのある笑みを見せる。
「アダムス中佐、一つ忠告しておいてやろう。余計な恥をかく機会を減らしたいというのであれば、勝利宣言は最後の最後までとっておくのだな。イキってコケるほど格好の悪いことはない」
『はは! この現実を前にしてそうおっしゃいますか、大佐。それこそ負け犬の遠吠えのように聞こえますなぁ? ああ、そういえば、大佐は負け犬共の尻拭きが生業でしたな!』
「そう思ってもらって結構! 私は逃がし屋だからな』
エディットの威圧に負けたのか、アダムスは鼻を鳴らすと挨拶もなしに通信を切った。
「下衆め」
そう吐き捨てたのはハーディだった。セリフを取られたエディットは苦笑して、ゆっくりと自席に戻ってきた。
「さて、アダムスの野郎殿。お手並み拝見といこうか」
階下から姿を見せたプルーストに右手を上げつつ、エディットは鋭い声で言う。プルーストはすぐに状況を察すると、ハーディに一言二言話しかけてすぐに紅茶を取りに行って戻ってきた。
「すまんね、お茶くみなんかさせて」
「お茶くみで給料もらえるなんて贅沢な話だと思ってます」
にこやかにエディットに応じる好青年である。
「それに大佐と会話する機会が持てるならいくらでもおかわり持ってきますよ」
「私と会話してなにか楽しいのか?」
「自分は大佐がストライクなので」
「また、直接的な手に出たものだな」
エディットはなんとも言えない笑みを見せて、プルーストを見る。プルーストは胸を張って敬礼する。
「大佐に食事に誘っていただけるようになるまで、お茶くみを頑張る所存」
「はは! みんなで行こうか」
「そうじゃないでしょう」
ハーディが冷静にツッコミを入れる。プルーストも「そうですよ」と呼応している。
「分かってる分かってる。ただ、君を特別扱いするわけにはいかんな、まだ」
「超えられない壁はないと信じております、大佐」
「その前向きな発言はプラスだぞ」
エディットは自分より十以上も年下の青年を見て微笑んだ。火傷の痕が微笑を引き攣らせるが、
プルーストには臆した様子はない。その点もエディットは好評価をつけていた。つまるところ、満更でもないと言えばそうなのだ。もっとも、その一線を超えることはないだろうとも思っている。
「それで、少尉、君の用件は」
「あ、はい。第二艦隊と第三艦隊の被害レポートを第一課から強奪、もとい頂きました」
「よく手に入れたな」
「まぁ、自分にも色々カードはありますから」
プルーストはにこやかに応じる。この一見すると人畜無害層に見える青年は、しかしそれだけではないのだ。エディットもハーディもその点では認識を一致させている。かつては第四艦隊に所属していたが、戦闘にて負傷した。それ以来陸上勤務が続いていて、そこでエディットと出会った。本人曰く一目惚れをしたプルーストはその日の内に参謀部への異動を願い出た。
ハーディはプルーストの容姿を「よく見ると美形」と評しており、短めに整えられた艶のある金茶の髪と、ほとんど金色に見える褐色の瞳、引き締まったスレンダーな長身の持ち主だった。人事的にもマイナスの評価はほぼ見られず、一方で事務処理の能力も高いと判断されていた。エディットはその異動の動機を聞いて、「面白そうだ」という理由で第六課への配属を承認していた。
「さて、と」
メインモニタの中では今までの敵味方が逆転したかのような虐殺の映像が流れている。プルーストはそれを一瞥すると、「レポートは送っておきました」と言って階下へと戻っていった。
AX-799は、核砲弾による砲撃から榴散弾による面制圧に移行していた。致死量の放射線をばらまいた上で、艦船の対核装甲を損傷させようという手筈だ。これは恐ろしく効果的で、核砲弾の直撃を避けられた艦艇の搭乗員たちが次々と死んでいく。僅かな損傷でも対核装甲は効果を失うのだ。乗員の確実な殺害を目論んだ攻撃で、もちろん厳密には国際法違反となり得る。
「もっとも、核を使った時点で何でもあり、か」
エディットの呟きを聞いて、ヴェーラが状況への抗議の声を上げる。
「もう勝ち負けはっきりしてるのに」
「AX-799による殲滅で、国民の溜飲を下げるという目的があるからな。これはいわば、国家国民の総意という名の化け物の所業だ」
エディットが応える。
「国家国民の総意って言っても、わたしは同意してないよ」
「民主国家は多数決の国家だ、グリエール。少数派の意見は、民主主義に於いて存在はしない」
「わかってるけど、わかりたくない」
「私もだ」
エディットはメインモニタからヴェーラに視線を移す。機械の目が焦点を合わせる。
「お前たちもまた、国家国民の総意によって、セイレネスを任されている」
「得体の知れない副作用を振りまくのにね」
ヴェーラの笑みが冷たい。レベッカは紅茶を手にしたまま、ヴェーラのその美しすぎる横顔を捉えている。ヴェーラは平坦なトーンで言う。
「核兵器はもはや抑止力になり得ない。超兵器、そしてセイレネス。AX-799はまだわかんないけど。とにかく、わたしとベッキーは新たな世代の兵器として使われるんだ。わたしたちの歌が、きっと世界を変える。国家国民の意思として、わたしたちがたくさんの敵を殺すことを望んでいる。違う?」
「参謀部としての見解であるならば、肯定だ、グリエール」
「エディットとしては?」
「……ここでは訊くな」
エディットはそう応えてから、ゆっくりと紅茶に口を付けた。