ヤーグベルテ側の総戦力は、最終的には五個艦隊相当にまで膨れ上がった。海軍と空軍の動員兵力は、合計四万名を超えていた。これだけの数の兵員が最前線に配備されるというのもまた、前代未聞の出来事だった。
対するアーシュオンは、最強とうたわれる第四艦隊に幾らかの戦力を増強した即席連合艦隊に、ナイアーラトテップをニ隻つけただけの、ヤーグベルテと比較すると非常に簡素な編成である。統制下に置いたというナイアーラトテップに全てがかかっていると言っても過言ではない。
しかしアーシュオンの軍部も世論も非常に楽観的だった。無敵の超兵器を動員、それも同時にニ隻。それがあって負けるなんてことは万に一つもないという考え方だ。邪魔なヤーグベルテ第七艦隊を撃滅し、あわよくばマーナガルム飛行隊を用いて、空の女帝を殺害する。軍部はそんなシナリオを描いていたし、はからずもアーシュオンの世論形成者たちも同じ意見だった。
だが――。
「核魚雷、ですか」
マーナガルム飛行隊員が揃っているブリーフィングルームにて、ヴァルターは険しい顔を正面のモニタに向けている。モニタの中で、ミツザキ大佐が腕を組んでいる。ミツザキは今ジェスターの指揮所にいるはずだ。そして彼女が今回の作戦の事実上の責任者でもある。
『そっちに向っていた補給艦隊が、護衛部隊ごと核で殲滅させられた。状況からして間違いない。文字通り全滅、生存者も絶望的だ。ヤーグベルテもなかなか思い切ったことをする』
ミツザキはその赤茶の瞳に強く光を反射させながら冷淡に言う。それに対し、クリスティアンが「ついにあちらさん、堂々と核解禁したっていうわけか」とぼやく。
『先日の新兵器の核砲弾はノーカウントだからな。ヤーグベルテはアレは通常兵器だと主張しているからな』
「政治ってやつぁ、救いようがねぇな」
クリスティアンが大げさに溜息をついて、背もたれに完全に体重を預けた。それを見てミツザキは小さく唇を歪める。
『貴様は気に入らんが、その意見については賛成だ』
「どーもどーも」
ぞんざいに応じるクリスティアンをヴァルターは睨む。ミツザキの機嫌を損ねるメリットは一つもない。そこでフォアサイトが険しい視線をモニタに飛ばす。
「でもぉ、手段は選ばないぞって最初に宣言したのはあたしたちの方だし? 何百万人も無差別に殺したわけだし?」
『もっともだな、オーウェル中尉』
そこでミツザキは副官と思しき男性から何か報告を受ける。ミツザキは頷き、腕を組み直した。
『そろそろそっちも接敵だ。私も仕事に戻る』
ミツザキはそう言うと一方的に通信を切ろうとし、そこで「そうだ」と動きを止める。
『一つ言い忘れていた。ドーソン中将の副官の一人として、中参司二課のユイ・ナラサキ技術少佐を派遣した。簡単に言えばお目付け役だな。とはいえ、ドーソンは副官なんぞ必要としないだろうから、おそらく暇を持て余している。見つけたら相手してやってくれ』
「ナラサキ少佐、ですか」
生真面目に応じるヴァルターに、ミツザキは「そうだ」と応えて通信を切った。
「さぁて?」
クリスティアンが両手を打ち合わせる。フォアサイトはその隣で自分の携帯端末を眺めていた。シルビアが立ち上がり、モニタのコンソールを操作し始め、再びモニタに映像が映った。その映像は、この艦、第四艦隊旗艦・ニック・エステベスのCICから送られてきたものである。このリアルタイムな情報群を把握していれば、戦闘に必要な情報はほとんど完全に掌握することができる。
「ヤーグベルテ第三艦隊、逃げてますね」
シルビアが険しい顔で言う。
「ナイアーラトテップを引き付ける任務があったと思われますね。今沈められているのはおそらく囮艦」
「クラゲちゃんってば、完全にひっかかってるね。制御できるって話だったけど?」
フォアサイトが何かのゲームをしながら言った。それに対してヴァルターは腕を組んで少し唸る。
「細かい指示は通らないのかもな。せいぜい、戦えとか、待機とか、その程度なのかもしれない。でも従来型の連中よりは信頼性は高くなった気はするな」
「そうだねぇ」
クリスティアンが相槌を打ち、さらになにか続けようとしたところで、席に戻っていたシルビアが「あっ」と声を上げた。
「ヤーグベルテ第七艦隊から弾道ミサイルが上がりましたね」
「おっと」
クリスティアンが真っ先に立ち上がる。ヴァルターたちもそれに呼応する。次に来るのは緊急放送だとわかっていたからだ。
案の定、ニ秒とたたずに室内にあった警報灯が赤く明滅を始める。
『艦隊全飛行士に告げる。直ちに出撃準備および順次発艦されたし。繰り返す――』
その音声に押されるように、ヴァルターたちはブリーフィングルームを飛び出して走り始める。
「なんだぃ、ヴァリー君。浮かねぇ顔して。心配事か?」
「なんか釈然としなくてな」
「釈然としない?」
「そうだ。何もかも釈然としない」
そこですぐ後ろにつけていたシルビアが口を挟む。
「あるいはヤーグベルテは、クラゲ攻略の糸口を見つけたのかも知れませんね」
「攻略? ナイトゴーントも倒せてないのに?」
「思うに、ヤーグベルテは最初からナイトゴーントやISMTら特殊航空戦力は眼中になかったように思えます。おそらくクラゲだけを目標に」
シルビアは並走するフォアサイトに視線を送る。フォアサイトは「そうだねぇ」と一瞬思案顔を見せる。
「正直、あたしにもそんなに情報はないよ、今回。ただ、ヤーグベルテは一歩一歩、確実にこっち側の技術に追いついてきてる。ちょっと今回は痛い目を見るかもしれないねぇ」
「いやな預言はやめて欲しいところだが」
ヴァルターは難しい表情を見せるが、フォアサイトは鼻歌でも歌い始めそうなほどに、いつも通りの様子だった。
しばらくして、ヴァルターたちは甲板に出る。扉の直ぐ側に、マーナガルムの四機が並べられていた。
ヴァルターは素早く愛機に乗り込むと、慣れた手付きでヘルメットを装着する。
「またか」
脳内に歌のようなものが響き始める。ナイアーラトテップが動くと、この変な音が頭の中に響いてくることがある。得体の知れない、一言で言えばゾッとするような音だ。気のせいだと言われればその程度のものだが、それでも気にするなというのは無理な話だった。
その時、ようやくヴァルターは思い出した。
「セイレネス……!」
三年ばかり前に、アイスキュロス重工技術本部長、アーマイア・ローゼンストックによって開示された情報だ。セイレネス――ヤーグベルテの切り札といわれる新技術。それはヤーグベルテにもナイアーラトテップやISMTらが登場するのに等しい。
そしてその中にあって、ヴァルターたちは対セイレネス能力とでも呼ぶべき才能を有している可能性があるらしい。
「だから聞こえるのか?」
誰にともなく問いかける。
「俺たちがそうだとするなら、ヤーグベルテにも同じような能力者がいるってことだろ」
ぶつぶつと言うヴァルター。
「だとしたら、今回のこの攻撃は……」
まさかヤーグベルテは、俺たちが超兵器を使ってしてきたことと同じようなことをしようとしている!?
ヴァルターは背筋が凍ったかのような感覚に陥りつつも、半ば自動的に発艦シーケンスを進行させた。