13-1-1:残された猟犬たち

歌姫は壮烈に舞う

 最強の飛行隊として呼び声も高かったマーナガルムは、いまやたったの三名だ。隊長であるヴァルターが撃墜され、ヤーグベルテの虜囚となってしまったからだ。そして生き残った三名は――シルビア、フォアサイト、クリスティアン――は、アーシュオン政府によって軟禁されていた。軍の施設への出入りはおろか、外出すら認められない状態だった。

 三人が押し込められているのは軍警が調達した古い小さな一戸建てだ。周囲には軍警がうろついていて、通信機器も押収されている。三人の情報収集手段は唯一、家に備え付けられたテレビに映る国営放送のみだった。

「ったく!」

 軟禁から早一週間が経過する。昼間からビールを飲みながら、クリスティアンがくだを巻く。

「どういう了見で俺たちを監禁してやがるんだ、政府はよ」
「ス・パ・イ・の・な・か・ま」

 テレビを見ていたフォアサイトが、猫のように伸びをする。クリスティアンは思わず吹き出す。

「スパイだぁ? 俺たちが?」
「ほれ、テレビ見てみ」

 フォアサイトはクリスティアンとシルビアを見る。クリスティアンはソファに座り直してテレビに視線を送った。シルビアはその前から食い入るように画面を見つめていた――立ったまま。

「ヴァリーがヤーグベルテからのスパイ? 今回のは計画的な被弾? 裏取引? はぁぁぁ!? なに寝言ぶっかましてんの、こいつら! はぁぁぁぁん!?」

 クリスティアンがビール缶を持ったまま、大袈裟に両手を振るっている。シルビアはなおも彫像のように立ち尽くしている。フォアサイトは二人の様子を可笑しそうに眺め、テーブルの上に置かれていた冷えたビール缶を開けた。シルビアは缶が開いた音を聞きつけて、フォアサイトを見た。

「隊長は確かにヤーグベルテ系だけど……スパイとかそんな事ができる人じゃ」
「ないない。あのカタブツがそんな事できるんだとしたら、飛行士アビエイターなんてやってない。それに今の今まであたしたちだってそんな事思ってもいなかった。ってことは、まさに今、でっち上げられた情報だってことだよ、シルビア」
「なぜ、そんな」
「おおかたさぁ」

 フォアサイトはビールを一気に飲み干した。

「隊長の価値を下げることで捕虜交換に応じないとか、値切ろうとか、そういう魂胆だと思うよ」
「しかし隊長は屈指の飛行士アビエイター。そんな使い捨てみたいな――」

 悲壮感で覆い尽くされたシルビアを見て、フォアサイトはソファに身体を沈めた。その青い目はどこかぼんやりと空中を見ている。

「そんなの、この国じゃ当たり前じゃない。マーナガルム以前の超エースだって、みーんな疲弊損耗させられて消えていった。死んだら、あなたが次のエースです、みたいなね。隊長だってみんな言ってるみたいにに過ぎないよ。あたしはあの腕は歴代超エースにも負けないとは思っているけど、国民様も軍部様も、みんなその程度の認識さ」
「だけど、でも……」

 シルビアはフォアサイトに手を引かれて、フォアサイトの隣に腰を下ろす。そして顔を手で覆った。

「私がヘマをしなければ、こんなことには」
「泣かない泣かない。それ言ってもどうしようもないよ、シルビア」

 フォアサイトはそう言ってクリスティアンを見た。

「ん?」
「クリスなんてまっさきに被弾して逃げ帰ったし。シルビアが自分を責めるなら、クリスだって戦犯だよ。電子戦機の有無は勝敗の大きな因子なんだし」
「それ言うかぁ。そもそもあんな弾幕を避けられるようには出来てないの、俺の機体。ていうか、あの弾幕の中で何波も攻撃を仕掛けられるとか、正直狂気だぜ」

 クリスティアンの抗議の声を肩で受け流しつつも、フォアサイトは同意もする。

「あたしだって生きた心地はしなかったよ、確かに。なんだいあの化け物戦艦どもは」
「そもそも攻撃できないんだもんなぁ」

 クリスティアンは頭を掻いた。マーナガルムはともかく、生還した飛行士の多くが「トリガーを引けなかった」と証言している。記録ログからは機械的なトラブルはなかったと言わざるをないにも関わらずだ。

「ま、でもこれで偶然にも、マーナガルムは情報部関係者だけが生き残ったってこと。もうお役御免かなぁ、クリス」
「監視対象もヤーグベルテにとられちまったしな」

 クリスティアンは空になったビール缶をもてあそびつつフォアサイトと視線を合わせた。

「俺たちも始末対象ってわけだ。が、多分、空で使い潰すことを選ぶだろうな、アーシュオンの軍部様は」
「暗殺よかマシだけどね」

 フォアサイトは窓の方を見ながら呟いた。そもそもやる気ならとっくにやられているだろうとも思う。そしていざやるとなれば、この家の構造では自衛することは困難だ。そもそも銃火器すら取り上げられているのだから。

 シルビアは髪をかきむしりたい衝動に駆られている。自分の気持がわからなくなっていた。どこまでが自分のほんとうの気持ちで、どこからが役割に合わせて作った人格なのか。自分は本当にヴァルターを愛していたはずなのに、なぜここまで喪失感が少ないのか。

 だから、わからない。自分の気持ちがわからない――。シルビアは両手の親指で自分のこめかみを強く押す。鈍い痛みがむしろ心地よかった。

 そんなシルビアを興味深げに眺めてから、フォアサイトは「でもさ」と声を掛ける。

「あんたが隊長のことを好きだって思っていた気持ちは、きっと本物だったと思うよ、あたし。ただでさえこの手の感情の真偽なんて、誰にもわかりゃしないんだ。もちろん当事者にもね。だから、自分が信じたい方を信じるのが楽だし、多分正解なんだ」
「フォアサイト……」

 シルビアは顔を上げた。フォアサイトの顔が思いのほか近くて、シルビアは目を丸くする。フォアサイトの吐息がシルビアの唇にかかるのがわかる。フォアサイトは愉快そうに目を細める。

「あたしは預言者フォアサイト様だよ。何だってわかるし、何だって見える」

 その青い瞳がシルビアの黒褐色の瞳を真正面から捕捉する。シルビアは蛇に睨まれた蛙のごとく、視線すら動かせなくなった。フォアサイトはニッと歯を見せる。

「あたしさ、あんたの気持ちはわかっているつもり。おめでたいことにこれで情報部の頸木くびきもなくなったことだし、もう自分に正直に行きてもいいと思うけどねぇ?」
「私は――」

 シルビアは下唇を噛み締める。そしてしばらくしてから、ようやく言葉を繋いだ。

「私は隊長が、ヴァルターのことが、好きだった。愛していたと思う。思いたい」
「だいじょうぶさ」

 フォアサイトはビールを取りに行ったクリスティアンをみやって唇を歪める。「空気よめねーやつだな」とボソリと付け足しながら。

「隊長にはまた会えるさ、シルビア。隊長は死んだわけじゃない。だからその時に、その言葉をちゃんと伝えなよ」
「フォアサイト……」

 シルビアは奥歯を噛み締めた。音がなるほど強く、力を込めて。

「あたしの胸で泣いちゃったりする?」

 フォアサイトはそう言ってシルビアの頭を抱きかかえた。シルビアは抵抗の素振そぶりもなく、フォアサイトの胸で声を殺して泣いた。

 まったく、この国ってやつはさ――。

 フォアサイトの表情は険しかった。

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