二〇九〇年六月の末――。
捕虜交換は無事に完了し、ヴァルターはアーシュオンにて収監された。一部で助命嘆願の動きが出ていたりはしたのだが、情報部はそれら全てを封殺した。
「それで、事実関係には間違いはないな?」
ミツザキが軍帽を弄びつつ、ゆっくりと足を組んだ。窓もない、狭くて殺風景な尋問室の中には、ヴァルターとミツザキしかいない。壁の一面にある巨大な鏡の向こうには、おそらく情報部のお歴々が揃っているのだろう。
「間違いありません、大佐。自分はヤーグベルテのオルペウス開発試験に協力していました」
「そうか」
ミツザキは軍帽を机の上に放り投げ、背もたれに右腕を掛けて斜にヴァルターを見た。ヴァルターはミツザキから目を逸らさない。ミツザキは冷たく微笑する。
「捕虜となり、あまつさえ利敵行為を行ったものを赦すわけにはいかんのでな」
「承知しております」
「だが」
ミツザキは赤茶の瞳でヴァルターを見て、少しだけ目を細めた。
「機会は与えてやる。奴らの技術に関して全て公にしろ」
「それは構いませんが、自分はセイレネスそのものについて、ほとんど知ることはできていません」
ブルクハルトによって、ヴァルターがアクセスできる情報は完全に制御されていたからだ。
「なるほど、価値のある情報はないと」
「そういうことです」
ヴァルターは肩を竦めてみせる。そもそも「セイレネスとはなんぞや」という問いに対する答えもない。だが、アーシュオンはその脅威についてはすでに嫌というほど教え込まれていた。いまさらヴァルターが何を言う必要もないほどに。
「土産の一つもないということになるか」
ミツザキは机の上に鎮座している自分の軍帽を見下ろし、ヴァルターに視線を移す。ヴァルターは促されるように姿勢を正し、毅然とその視線を受け止めた。
「自分のPXF001を与えてください、大佐」
「ほう?」
「あれで空の女帝、カティ・メラルティンを討ちます」
「我々が謀叛人に最新鋭機を渡すと思うのか?」
ミツザキは愉快そうに、動脈血のように真っ赤な唇を歪めた。
「空の女帝を撃墜することができるのは、今はおそらく自分しかいない。自分にできなければ、他の誰にもできないのです」
「ふむ。たいした自信だな」
「彼女とはシミュレータ上ですが、何度も戦っています。彼女の戦い方は把握しているつもりです。悪くても互角でしょう」
嘘ではない。カティの飛び方を間近で見たヴァルターには、カティの飛行ロジックが見えてきていた。それにそもそも、カティと一騎打ちに持ち込めるのは自分以外にいない。他のメンバーではおそらく相手にされない。
「空の女帝の撃墜を成し得たならば、銃殺刑が終身刑くらいになるのではと思いますが」
「不問にすらなるだろう」
ミツザキは愉快そうにヴァルターを眺める。そこまで生に執着する理由は何なのか、ミツザキは興味を持った。ヴァルターにはもはや何も残されてはいないというのに、何が彼をそこまでこの世にしがみつかせるのか。
「実はな、マーナガルムの連中にも頼まれていてな。貴様にチャンスを、つまりPXF001で戦わせることについては、私も異存はない。首尾よくあの空の女帝が撃墜できれば万々歳だ。あるいは貴様が戦死しても、戦闘機のコストは惜しいが何かと手間が省けて良い。仮に貴様が生き残ったとしても空の女帝が生き残っている限り、貴様の処分は変わらない。それだけの話だ」
「最初から覚悟はできています」
二人はまっすぐに見つめ合った。十数秒もの時間が経過してようやく、ミツザキは目を伏せた。
「敵に、情けはないな?」
「ありません」
ヴァルターは即答した。ミツザキは足を組み替える。
「よろしい。舞台は私が責任を持って用意しよう。それまで貴様の処分は凍結する」
「大佐、よろしいですか?」
「なんだ?」
ミツザキはもう「話は終わった」と言わんばかりに立ち上がっていた。ヴァルターは座ったまま少しだけ身を乗り出す。
「なぜ自分にそこまで肩入れしていただけるのですか。自分など」
「国家にしてみればただの駒に過ぎない」
ミツザキは冷酷な声でヴァルターの言葉を奪う。そして声を上げて笑った。それは幻惑的で蠱惑的な、美しい声だった。
「なぜか、か。ふふふ、それはな、面白いからだ。私には人間たちの一挙一動が面白くて仕方ない。その中でも貴様ら、マーナガルムは飛び抜けて面白い。だからだよ、私があれこれ干渉するのは」
「面白い……?」
眉根を寄せるヴァルター。
「理由としては不満か、フォイエルバッハ少佐」
「それでは軍としての道理が通らない――」
「道理だと? そんなものがあるものか。私は私の道理で動いている。面白いから、ここにこういう形でこうしている。それだけだ」
ミツザキは机の上の軍帽を手に取った。
「結末を知っていてもなお、貴様らは面白い。興味深い。だからせいぜいあがいてみせるがいい。運命を変えてみせろ」
できるものならな?
ミツザキはヴァルターを一瞥すると、軍靴の音も高らかに颯爽と部屋を出て行った。一人残されたヴァルターは、机の上で組み合わせた自分の指先を眺めている。
「運命、か」
俺はそれを変えることを、本当に望んでいるのだろうか?