17-1-3:漸近スル者

歌姫は壮烈に舞う

 背筋が粟立つ――ヴェーラは震えていた。コア連結室の暗闇の中、名状しがたい不安のようなものに包まれて。心音はもはやノイズだ。一定のリズムで刻まれる不愉快な振動は、ヴェーラの精神を一層に不安定にさせる。苛立ち、焦燥、不安――ぜになったそれらがヴェーラをき立てる。

『ヴェーラ、だいじょうぶ?』
「だいじょうぶだよ、ベッキー」

 機械的に応じるが、本当にだいじょうぶなのか否かは、ヴェーラ本人にさえ判然としない。処方されている薬がそう思わせているのか、本当にそう思っているのか、ヴェーラにはわらかないのだ。もはや。

 だが。

「わたしたちがやらなければ、第七艦隊は全滅しちゃう。クロフォード准将のためにも、それは避けたい。だいじょうぶか否かに関わらずね」
『やらない選択の余地なんてないってことね』
「最初からそんなものなんて無いよ」

 ヴェーラはきつく唇を噛んだ。痛みに耐えかねて顎の力を緩めた時、ヴェーラの精神のが唐突に落ち着いた。

ナイアーラトテップクラゲ、有効射程に捉えた」

 ヴェーラの中の何かが開花する。さっきまでの不安定さが嘘のように静謐せいひつになる。視界が、意識が、一気にクリアになった。

 ヴェーラの意志に従って、戦艦・メルポメネが全速力で進み始める。レベッカのエラトーもまた、その隣に並ぶ。第七艦隊の最後尾が水平線のあたりに一隻、また一隻と見え始める。

 ヴェーラは意識をさらにぎ澄ませる。薬物を接種するようになってから、意識のコントロールがまるで機械を操作するかのようにできるようになっていた。パチンパチンとスイッチを入れたり消したりするようにだ。それができる時間は限定されるが、その間に関してはどこまでも集中力が高められるような気がしている。

「!」

 その時、ぞわぞわ、ぞわぞわと、何かが闇の中を這い回るような、つまさきから這い上がってくるような感触を覚えた。このざらついた感触の発生源は、間違いなくアーシュオンのセイレネスである。ナイアーラトテップを操っている少女たちの持つ気配に違いない。

「気付かれたよ、ベッキー」
『え、わかるの……?』
「わかる。あいつら、こっちを見てる」

 レベッカよりも鋭敏になっている感覚を、ヴェーラはさらにとがらせる。ナイアーラトテップたちの意識の目をヴェーラは感じ取る。彼女らはヴェーラの乗る戦艦・メルポメネを第一目標と設定したようだった。

「そうか」

 ヴェーラはすさんだ笑みを浮かべた。

「きみたちもわたしと同類か」

 ヴェーラは呟き、そして、叫んだ。

「セイレネス発動アトラクト!」

 その瞬間、メルポメネを中心とした半径百キロ以上の海域が、薄緑色の光に包まれた。次いでエラトーからも同じような光の波紋が生じ、その光はやがて当該空海域を覆い尽くした。

 ヴェーラの視点が上空五百メートルばかりからのものに切り替わる。まるで浮かんでいるようだった。ヴェーラは自分の肉体は知覚出来なかったが、論理戦闘になればブルクハルトが実装した野戦服のようなものを着ているだろうとやや楽観的に考えた。

『ヴェーラ、クラゲたちもセイレネスを使った!』
「わかってる」

 ヴェーラたちの放った光を中和するかのように、ナイアーラトテップたちから光が放たれてくる、両者の光波が衝突したところでは、激しい放電現象が発生している。

『クロフォード提督! 第七艦隊、退避してください! いいわよね、ヴェーラ』
「うん。きみの判断が間違えることなんてない」

 応えるヴェーラの眼下では、第七艦隊所属艦艇が次々と反転している。旗艦・空母ヘスティアは、ナイアーラトテップの一隻を前にしながらも、悠然と回頭していた。

「ベッキー、リゲイアを!」
『リ、リゲイア?』

 ヴェーラにはナイアーラトテップを操る三人の少女の姿が見えていた。リゲイア、パルテノペ、レウコテア。少女たちが何を言う前に、ヴェーラはその名を読み取っていた。

「ヘスティアの一番近くにいるやつ! 任せるよユー・コピー?」
了解アイ・コピー
 
 レベッカのエラトーが進路を微修正する。ヴェーラは進路をそのままに、メルポメネの火器管制をすべて掌握する。そして持てる限りの火力を空中に放った。

「モジュール、ゲイ・ボルグ!」

 明示的に指示を出したその瞬間に、空中を舞っていた弾丸たちが消滅する。そしてその一瞬後、海中で激しい爆発が発生した。吹き上がった海水と爆炎で、海域全体が暗くなったほどだ。底に向かって光の槍が突き刺さる。

『グッ……!』

 直撃を受けたパルテノペの呻きが聞こえる。だが、その直後に、パルテノペの背後にいたレウコテアからの攻撃がヴェーラを襲った。少女・レウコテアは拳銃を持っているように見えた。両手に構えられた拳銃から放たれた弾丸が、ヴェーラの頬を掠めた。

 メルポメネの第一主砲近傍の対空機銃がまとめて三基吹き飛んだ。

「うざったいっ!」

 ヴェーラはレウコテアを強く意識する。するとそこにまたあの拳銃を構えた少女の姿を認識することができた。

「仕留めてやる!」

 ヴェーラの手に長大な狙撃銃が現れた。戦艦の主砲群がそれに反応し、一斉にレウコテアに狙いを定める。

『沈メ! オリジナル!』
「冗談じゃない!」

 ヴェーラの狙撃銃が火を吹く。メルポメネが主砲を一斉射した。

 銃弾がレウコテアの胸をえぐった。砲弾がナイアーラトテップに直撃した。

 少女の姿のレウコテアは、吹き飛ばされながらも両手の拳銃を撃ち放ってくる。一発はヴェーラの左肩に、もう一発は右足のふくらはぎをかすめた。

「痛いなぁ!」

 ヴェーラは狙撃銃を取り落とす。その長大な火器は光となって消えてしまった。

 ヴェーラの視界の先にいるレウコテアが、胸を押さえながらうめいた。ヴェーラは空を駆け抜け、レウコテアの目の前に移動した。レウコテアの少女の姿は息も絶え絶えに浮かんでいた。

『アナタタチヲ倒セバ……』

 レウコテアの手が上がり、そこに拳銃が出現する。が、ヴェーラはそれを無慈悲に蹴り飛ばした。

「わたしたちを倒したら、そのクラゲから降りられるとでも?」
『……!』

 レウコテアの黒い瞳がヴェーラを見上げる。ヴェーラはその額に銃口を押し当てた。レウコテアは目を見開いたまま、訴えるように言う。

『私タチハ、タダノ人間ダッタ……!』
「ただの人間?」

 ヴェーラは目を鋭く細める。

「本当にそうだったと思っている? 自分が自分のを持った一個人だっただなんて言い切れるの?」
『ソレハ……』
「名前は? きみに思い出はある? 幼い頃の記憶はあるの? 夢はなんだった?」

 矢継ぎ早の詰問に対する答えはない。それはそうだ、答えられるはずなんてない。ヴェーラは舌打ちする。

「きみにも、わたしにも、なんてものはないんだ。それはただの逃避だ。現実逃避なんだ」
『ダッタラ、私ハ……』

 ヴェーラはその言葉を制するように首を振る。

「きみたちはみんな同じ顔。それがすべての証左だ」
『アナタハ、違ウ――?』
「違わないさ!」

 ヴェーラは吐き捨て、眼下を見た。傷付いたナイアーラトテップはすっかり海面荷姿を見せていた。能面のようにも見えるその上部構造体は、メルポメネから幾度もの砲撃を受けて完全に崩壊していた。まるで腐り落ちるかのように、ドロドロと崩れて薄緑色の光と化して消えていく。

「兵器はね、ただの兵器でありつづけるのが一番幸せなんだ、レウコテア」

 ヴェーラはそう宣言すると、引き金を引いた。頭部を吹き飛ばされたレウコテアの姿が光になって消えていく。眼下のナイアーラトテップも完全に粉砕されていた。

「わたしは、きみたちが羨ましいよ。心底ね」

 ヴェーラは囁いた。

 まさにその瞬間に、ヴェーラは危機を感じて空を駆け上がった。負傷しているとは言え、まだパルテノペが残っていたのだ。

「回復の時間を与えちゃったか」

 ヴェーラは舌打ちして銃弾の帯をやり過ごす。パルテノペの両手には拳銃があったが、撃ち出されてくる銃弾の密度はガトリングガンすら凌ぐ。

 ヴェーラは使い物にならない左手を忌々しく思いながら、右手にサブマシンガンを出現させる。これ以上負傷しては、メルポメネの被害も馬鹿にならなくなる。

 ヴェーラはパルテノペに向かって突き進む。夥しい数の銃弾は壁を立ててやり過ごす。隙をついてサブマシンガンを撃ち込んでいく。

「わたしは……!」

 ヴェーラはパルテノペが立てた壁に体当りした。半透明の壁はすべもなく打ち砕かれた。

『馬鹿ナッ!?』

 驚愕するパルテノペの額に銃口を向けるヴェーラ。パルテノペの動きが一瞬遅かった。

「わたしはね、パルテノペ。わたしは、まだ死にたいとは思っていない。このにもうんざりしているけど、わたしのことを心から想ってくれる人がいるから、今更わたしはを取り戻したいなんて思ったりしない。だからこそ受け容れてくれる人がいる以上、わたしは――!

『フ、フフフ……ウラヤマシイ、ネタマシイ、話……』

 パルテノペの両手が上がり、その両手の拳銃が火を噴いた。だが、ヴェーラは無表情にその二発の弾丸を避けた。

「きみじゃ、わたしを倒すことはできない。今のわたしは、きみには負けない」
『ソンナハズ……!』

 パルテノペは幾度も引き金を引いた。無数の弾頭がヴェーラを襲うが、結果は同じだった。かすり傷一つすらつけられていない。常識的に考えて回避など不可能な攻撃だったはずだ。

「リゲイアも沈んだみたいだよ」

 レベッカに任せていたナイアーラトテップの反応が消えていた。遠くにレベッカの意識が浮かんでいるのが感じられる。

「わたしもきみを逃がすわけにはいかない」
『セメテ、道連レニ……!』
「冗談じゃない」

 ヴェーラは冷たくそう言い放つと、無慈悲に引き金を引いた。サブマシンガンから無数の弾丸が放たれ、それは容赦なくパルテノペを穿うがった。

『ネ、姉様……!』

 パルテノペは仰向けに倒れ、うつろな目でヴェーラを見ていた。

「きみたちでは、わたしたちには勝てない」
『姉様……姉様……姉様……』

 譫言うわごとのように繰り返すパルテノペに、ヴェーラは眉根を寄せる。

『ソウシテ姉様ハ、私タチニ、漸近ゼンキンシテイク……!』
「漸近?」

 問い返すヴェーラの前で、パルテノペは光となって消滅した。

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