01-1-2:推測と直感

歌姫は背明の海に

 リビュエ艦内に響き続ける分厚い重低音。それは当たり前のように常に存在し続けていて、だから普段は全く意識すらしない。だが、今はそれが酷く耳につく。ノイズだった。このふねにいる間は、決して逃れられない、悪意のないノイズだ。

 眩暈めまいがする。今しがた終えたばかりの戦闘による疲れのせいだ――そう思い込むにはいささかつらすぎる視界の揺れだった。

「落ち着け……落ち着け……」

 カティは自室に入るなり、扉に寄りかかってそう呟いた。廊下と部屋を隔てる分厚い金属の扉は、なぜだかひどく頼りなかった。ふらふらする。くらくらする。思考がまとまらない。

「姉さんが、殺された、だって?」

 聞いたばかりの事実を口にしてみるが、実感がこれっぽっちも湧かない。だって、最後に会った時だって、実にいつも通りで――。

 その時、カティの携帯端末モバイルが無機的に着信を報せた。半ば以上自動的に端末を手に取り、発信者である情報管制官に向けて「どうした?」と問いかける。

『参謀本部第六課より、論理回線にて通信です』
「第六課……。誰が?」
『ハーディ少佐です』
「……つないでくれ」
『お待ち下さい』

 数秒と待たずに、論理回線通信が開始される。カティはデスクの上に携帯端末モバイルを起き、椅子に座って呼吸を整えた。もともと電話は得意な性分ではなかった。

 双方が名乗ってからしばらく、どちらも口を開かなかった。虚しく沈黙の時が流れる。

「ハーディ少佐」

 痺れを切らしたカティが呼びかけると、ハーディが重苦しい吐息で反応した。

『すでに聞いていると思いますが』
「……ルフェーブル大佐の件、か」
『イエス、です』

 そう答えたきり、ハーディはまた黙り込む。聡明なハーディらしからぬ様子に、カティは複雑な気持ちを抱く。カティは腕を組んで背もたれに身体を預ける。

「狙撃、だそうだな」

 カティは可能な限り声を抑えて言った。ハーディが回線の向こうで大きく息を吐く。

『イエス、です』
「そう、か」

 カティはそれ以上を言うべきか否か、迷う。それは何の意味も無い推測ではあったが、それでもそれをしたのかを今すぐ知りたいという気持ちがあった。だが、カティはそれをぐっと飲み込み、もう一つの懸案事項の確認を優先する。

「ヴェーラとベッキーの様子は? 現場にいたんだろう?」
『ヴェーラはショック症状が酷く、緊急入院させました。レベッカもしばらくは自宅療養が続くと思われます。身体的には無傷です』
「そう、か」

 一刻も早く二人の顔を見たい――カティは強くそう思う。無意識に足を組み替える。

「しかし、六課はどうなる。姉さ……ルフェーブル大佐なしでは」
『その点はご心配なく』
 
 ハーディらしい冷徹な声に、カティは思わず右の眉を跳ね上げた。

『我々第六課は、しばらく閑古鳥が鳴いている状態です。大佐のとしての名声も、セイレネスのある今となってはもはや過去のもの。現に国民……大衆はもう忘れています。今さらそんなを思い出したところで、単なる感傷か憐憫れんびんたぐいとして扱われるだけです』

 あまりといえばあまりの言いように、カティは少なからず苛立った。

「それで、六課は誰が引き継ぐ?」
『私です』
「……だろうな」

 カティはまた足を組み替えた。

「狙撃の容疑者は?」

 カティの詰問にも、ハーディは揺らがない。彼女は答える。

『不明です』

 ――と。

 カティは携帯端末モバイルを睨む。まばたきを忘れていた目が痛む。

「不明、か」

 カティの反復に、やや間が空いた。携帯端末モバイルのマイクはハーディの呼吸音を拾っていた。沈着冷静そのもので、その呼吸の奥に動揺を完璧に隠し通している――カティは直感的にそう感じたが、その直感が正しいか否かまでの判断はつけられなかった。

「これほどの重大案件、しかも街中での犯行。それにもかかわらず容疑者の一人も挙がっていない?」
『現時点、不明です』

 ハーディからの感情のないレスポンス。

 カティは「そうか」と義務的に相槌を打ち、溜息をつきながら通話を強制的に終了させた。

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