巡洋戦艦デメテルの進水から四ヶ月後、二〇九三年九月――。
エディタたち四名のV級歌姫たちは、それぞれシミュレータを経由して最前線の戦いの様子を見つめていた。
四人が見ているのは通常の艦対艦の戦闘ではない。ヴェーラと黒髪の少女たちの間で繰り広げられている銃撃戦のような何か――つまり、論理戦闘である。
物理的な戦闘ではないのだが、この論理空間での計算結果が物理空間に反映される。論理層と物理層というのは、ある意味に於いて表裏一体なのだ。セイレネスというシステムを通じることにより、その接点が明確化したと言っても良いのだと、ブルクハルトは四人に説明していた。
そのほとんど白色一色の空間に、黒髪の少女は三人いた。それに対峙するのはヴェーラただ一人。だが勝負は圧倒的に一方的だった。ヴェーラはほんの一瞬で、三人の少女を血祭りにあげていた。手にしたアサルトライフルから放たれた弾丸は、黒髪の少女たちの急所を確実に撃ち抜いていた。
その手慣れたとも、無慈悲ともとれる手腕に、傍観者の四人は言葉もなく立ち竦んでいる。それは彼女らが想像していた戦いとは、あまりにも乖離したものだったからだ。
「これが、私たちの戦いだと……いうのか」
エディタはひそかに呟いた。もっとも、ここはセイレネスの中だ。他の三人にはもちろん、ともすればヴェーラにもその言葉は届いただろう。
『エディタ、見て!』
トリーネの声がエディタの脳内に響いた。エディタは弾かれたように意識を集中させ、視点をデメテルの上空に移動させた。
「あの機体! インターセプタか!」
十数機のナイトゴーントを従えた、薄緑色に発光する戦闘機。あれは紛れもなくF108+ISである。
『かれこれ二十回くらいは撃退されているんだよね、ヴェーラとレベッカに』
クララが言う。エディタは「だったな」と肯定する。そこにテレサが重ねた。
『でも、撃墜はないのよね』
「ああ。致命弾が出る直前くらいにふわっと消えてしまうっておっしゃってたな」
当初こそ、「そんな非科学的なことがあるはずがない」と懐疑的な意見を持っていたエディタだったが、そもそもセレネス自体が科学的とは言えない何かだ。従来の科学や常識に囚われていては、理解できるものもできなくなる。パラダイムシフトはもう起きてしまっている――まずはそれを認めなければならないと、今のエディタは悟っていた。
セイレネスという技術をもたらしたのは、実はあのヴァラスキャルヴなのだという噂もまことしやかに囁かれている。ヴァラスキャルヴ、もとい、ジョルジュ・ベルリオーズ。あの史上最大の天才と言われる人物であれば、何を思いついて何を創造したとしてもおかしいことはない。
エディタの眼前で、巡洋戦艦デメテルが圧巻の対空戦闘を展開していた。空域を薙ぎ払うように打ち上げられる実体弾の群れが、瞬く間にナイトゴーントを削り落とし、インターセプタを追い詰めていく。
エディタの胸にチクリとした痛みが奔る。その瞬間に、この痛みは精神からくるものであるとエディタは知る。チクリとした痛みから始まったそれは深く広く広がっていき、エディタはたまらず胸を押さえた。
「なんだこれ……」
『エディタ?』
エディタのすぐ背後にトリーネの気配が現れる。姿は見えないが、確信があった。
「胸が痛い……。苦しいんだ……」
『ログアウトするのよ、エディタ』
「いや、トリーネ、これは……」
これは、心の痛みだ。ヴェーラ・グリエールの中心部にある、繊細で鋭利な、何か恐ろしく危険なもの。それに触れてしまったのだ――エディタはなぜか強くそう感じた。
「大丈夫だ、これは多分、グリエール提督の心の痛み……」
『それ、なんか、わかるかも」
トリーネの意識の手がエディタの肩に触れる。
『提督も色々あったから』
「そう、だな」
エディタたちは誰もが、ヴェーラ・グリエールがただならぬ経験をしてきたことを知っている。
『そういえばさ』
クララが言う。
『提督は何か薬を飲んでるって噂がある』
「……薬?」
『安定剤じゃないかって言われてるけど』
安定剤?
エディタが思わずそれを声に出そうとしたその瞬間、エディタのセイレネス・システムがダウンした。視界が一瞬にして暗転し、上下感覚すら消失する。まるで強烈な眠気に襲われでもしたかのように、意識が遠く薄くなっていく。
意識が消えるその寸前に、エディタは見た。
前髪の奥で嗤うヴェーラ・グリエールの姿を。
ヴェーラが立っているのは、黒髪の少女たちの亡骸で作られた山の上だった。
「きみはここを覗き込むべきじゃない」
ヴェーラの姿をしたその人物は、唇を歪めて、はっきりとそう言った。