04-2-1:病めるものたち

歌姫は背明の海に

 それから一週間後、十月になろうかという頃――。

 エディタはヴェーラの自宅――つまりエディット・ルフェーブルの邸宅であった場所だが――へと招待された。訓練を終えて寮に帰って一息ついた頃、突然電話で呼び出されたのである。

「すまないね、エディタ。明日からまたしばらく、わたしたち二人が揃うことがなくてね」

 ジーンズとTシャツというラフな格好に着替えを済ませてリビングに戻ってきたヴェーラは、少し申し訳なさそうに言った。時刻は間もなく二十時になる。エディタはリビングの扉の前で、直立不動で敬礼をする。ヴェーラは仏頂面で掌をひらひらとさせてみせた。

「いやいや、今は正々堂々オフタイムだよ、エディタ。やめてよそういうの」
「しかし――」
「まぁまぁ、ヴェーラ。緊張もあるのよ。それでエディタ、コーヒー? 紅茶?」

 エプロンを着けたレベッカがキッチンへと移動しながら尋ねる。その間にエディタはヴェーラに背中を押されてソファに強引に座らされていた。その斜め向かいにヴェーラは座り、その長い脚を組んだ。そしてエディタの向こうにいるレベッカに声をかける。

「ベッキー、わたし、紅茶入りブランデー!」
「ブランデー入り紅茶、でしょ?」
「わたし、間違ってないよ?」
「間違ってるわよ」

 レベッカは大袈裟に肩をすくめる。そして振り返ってレベッカを見ていたエディタに微笑みかける。

「エディタは紅茶かしら?」
「あ、は、はい」
了解アイ・マム

 レベッカは鼻歌を歌いながら、紅茶の用意をし始める。

「きみはブランデーは要らないの?」
「自分は未成年でありますから」
「あ! そっか! そうだった!」

 ヴェーラは頭に手をやりながら小さく舌を出す。そんな所作すら様になる。エディタにとって、ヴェーラはやはりまぶしすぎる存在だった。レベッカもヴェーラも、エディタにとってはどちらも同じくらい重要な憧憬しょうけいの人だ。

 ヴェーラは少し目を細めて、値踏みするようにエディタを眺める。エディタはますます肩に力が入る。

「わたしたち、ハーディからきみと話をするようにって言われているんだけど、そうだな、多分、わたしの薬のことを話せってことじゃないかな。どう思う?」
「えっと」 
「ということだと思ったよ。まぁ、頃合いだよね」

 ヴェーラはエディタから視線を外さず、少し口角を上げた。

「まぁ、そうだね。ハーディから聞いてることは事実さ。わたしは安定剤、しかもとびっきり違法な奴を処方されている。簡単に言うと、わたしはってやつなんだ」

 あっけらかんとした口調で言うヴェーラだったが、その顔にはすさんだ微笑が貼り付けられている。レベッカは溜息をつきながら、三人分の紅茶を運んでくる。ヴェーラは早速それに口をつけ、そして口をへの字に曲げた。

「これ、ブランデーがあんまり入ってないよ?」
「その非合法なお薬は、お酒と相性悪いのよ。聞いてるでしょ? 自重しなさいな」
「いいじゃん、大丈夫大丈夫!」
「いーえ! それに今はエディタと大事な話をしなきゃならないでしょ。酔っ払ってどうするのよ」
「わたし、酔わないし。誰かと違って」
「……それでもだめよ」
「合理的じゃないなぁ」

 ヴェーラは不満そうに紅茶を飲み、カップをソーサーに戻すと不貞腐れたように大きな動作で腕を組んだ。まるで子どものようなその仕草に、エディタは思わず口を開けて唖然としてしまっている。そんなエディタを見て、ヴェーラはニヤリとした笑みを見せる。

「わたし、昔からだよ。イメージ壊しちゃってたらごめん」
「あ、いえ――」
「さて」 

 エディタの言葉を聞き終えることなく、ヴェーラは両手を打ち合わせた。

「きみはきっと、わたしたちの精神面のサポート何かを仰せつかったんじゃないかって推測するんだけど。きみが第一、第二艦隊兼務になったことからね。合ってる?」
「は、はい。ハーディ中佐とブルクハルト中佐より……」
「あ? 教官も噛んでるの、これ」

 ヴェーラはレベッカに視線を送る。紅茶で眼鏡のレンズを曇らせていたレベッカは、カップを手に持ったまま視線を天井に向ける。

「珍しいわね。教官がこういうことに口を出すのって」
「かなり心配しておられるようでした」 

 エディタは慎重に言葉を選んで発言した。そしてハーディとブルクハルトから聞いた言葉を、極力忠実に二人に共有する。

「ふむ、まぁ、そうか。うん」

 ヴェーラは何かに納得したように頷き、レベッカは紅茶の水面を黙って眺めている。

「じゃぁ、色々話でもしますかねー」

 ヴェーラは一瞬キッチンに視線を走らせたが、レベッカが首を振ったのを見て唇を突き出した。

「エディタ、きみはV級ヴォーカリストとしては現在最高の能力者だよ。それは間違いない」
「恐縮です」
「だけど、きみとわたしたちでは歌姫セイレーンとしては全然違う。そこのところ、理解できてる?」
「はい」 

 エディタはハッキリと頷いた。

「私たちはの後、セイレネス適性のようなものが生じた。そう認識しています」
「オーケー」

 仰々しくうなずくヴェーラ。

「セイレネスはあまりにもブラックボックス化されていて、正直わたしたちにも、その全容はよくわからない。ただ、セイレネスにはわたしたちが見ることのできる以上の何か、つまり、力と目的がある」
「力と目的、ですか?」
「うん」

 ヴェーラは立ち上がるとキッチンにある戸棚からブランデーのボトルを持ってきた。レベッカが目を吊り上げて何かを言おうとしたが、ヴェーラは「ちゃんと紅茶入りブランデーにするって!」としれっと言って、紅茶にブランデーをこれでもかと注ぐ。

「ブランデー入り紅茶にしておきなさい、ヴェーラ!」
「次からそうするよ、えへ」
「えへ、じゃない!」

 レベッカは眉間を人差し指と親指で挟み込みながら、ぶちぶちと小言を言った。

「ベッキーはさ、最近とくに口うるさいんだよ、エディタ」
「そんなこと言ったら、エディタが困るでしょ」
「はいはーい」
「ハイは一回!」

 二人のディーヴァのやり取りをキョロキョロと追いかけるエディタ。その表情は少し緩んでいた。

「よし、エディタの緊張が解けてきたところで」
「結果論であなたのブランデーを正当化しないのよ」
「いいじゃん、結果が良かったんだから」
「もう! あ、こら、それ以上はだめよ」

 ヴェーラが手を伸ばすのと同時に、レベッカがボトルを奪う。ヴェーラはまるで子どものように不貞腐れた表情を見せ「ちぇっ」と小さく舌打ちをした。

「本題に入りましょ、ヴェーラ」
「はいはいはーい。んじゃ、本題。力と目的の話をするよ、エディタ」
「はい」

 エディタは頷き、表情を引き締めた。ヴェーラは身を乗り出して右手でエディタの頬に触れる。ヴェーラの空色の瞳がエディタを捉える。エディタは憧れの人に触れられているという事実に対する興奮と、これから何の話を聞かされるのかという不安の板挟みになっていた。

「エディタ、顔が赤いよ。酔ってる?」
「そんなはずないでしょ、ヴェーラ」

 レベッカがブランデーのボトルを抱きしめたままツッコミを入れた。そして思いついたように隣のエディタの肩を抱いた。エディタが身体を硬直させたのがわかった。

「ア、アーメリング提督、あの」
「プライベートではレベッカ。ベッキーでもいいわよ」
「わたしのことはヴェーラでいいよ」

 ヴェーラはエディタの頬から手を離し、冷め始めた紅茶を飲み干した。

「ま、きみもセイレネスを破壊の手段として使うようになれば、否応なしに理解できるさ。セイレネスはんだ。これっぽっちも、ね」
「普通の兵器ではないことはわかりますが……」
「うーん、そういうのじゃないんだ。もっとこう、次元の高い話でさ」

 ヴェーラは右手の人差し指で空中にくるくると円を描く。

「深淵を覗く時には、深淵にも凝視される覚悟が必要だってことなんだけど」

 その言葉に、エディタの背筋がゾクッとあわ立った。

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