二〇九三年十月――エディタたちは揃って歌姫養成科のニ年へと進級した。それはつまり、エディタたちに後輩ができたということでもある。そのことは彼女たちを少なからず浮足立たせた。
しかし、大方の予測に反し、第二期生の中にはV級は一名、ハンナ・ヨーツセンしか現れなかった。そのことは軍部および政府を大いに落胆させることになったが、それでもC級は約七十名ともなり、第一期生よりも二十名も多く確保できていた。技術本部の予測では、歌姫の総数は今後も加速度的に増えていくとされていた。すでに来年度以降の人材の目星もつけ始めている状態だった。
『十七時半にシミュレータルームに集合してください』
ハーディからそれぞれにメッセージを受け取ったエディタたち五名は、薄暗い廊下を連れ立って歩いていた。入学したばかりのハンナに至っては、シミュレータルームの場所すら知らない。
ハンナはどこか気弱そうな、儚げな少女だった。色の濃い金髪と、光の加減によっては緑とも青とも取れる不思議な色合いの瞳の持ち主だ。緊張からなのか生来の性格なのか、口数は極端に少なかった。トリーネが話しかけてでさえ、必要最低限の会話しか成立しない。
「今日はいったいなんだろう?」
先頭を歩いていたクララが、くるりと身体の向きを変えてエディタに尋ねた。エディタは「うん」と視線を外す。
「おそらくだが、第一艦隊の作戦行動への随伴じゃないかと思う」
「随伴? この前みたいな?」
「いや」
エディタは重たい口調で否定する。
「この前のは、見学だ」
「ってことは、実戦!?」
反応したのはハンナと並んでエディタの後ろを歩いていたテレサだった。その声には期待と不安が入り混じっていた。だが、エディタは首を振る。
「まさか。セイレネスでの戦闘訓練さえまともに受けてないのに、ここでいきなり危険に晒されることもないだろう」
「それもそうよね」
エディタと腕を組んでいたトリーネがまっさきに同意する。クララ、テレサ、そしてハンナは、揃って胸を撫で下ろす。
「でもエディタ、それならなんで随伴なんて言ったの?」
「私たちが今までに見てきたセイレネス越しの戦闘風景。あれは全てではない。そうグリエール提督はおっしゃった」
「論理層すら見えていたのに?」
「そうなんだ、トリーネ」
エディタは難しい表情をして頷く。
「論理層のもっと上。意識層の部分こそが、セイレネスの本質……なのだそうだ」
「意識層?」
トリーネとクララの声が重なった。ハンナは神妙な表情で耳を傾けている。
「詳細はハーディ中佐から直接聞こう。私としては、私の予想が妄想で終わってくれることを祈りたいんだけど」
そうして五名はシミュレータルームに入る。モニタルームからハーディ中佐が出てくる。
「ハーディ中佐、V級全員揃っております」
「ご苦労さま。さっそくですが、それぞれシミュレータに搭乗してください。ハンナ・ヨーツセン、あなたは五号機に。エディタたちはご自由に」
室内にはV級用の筐体が全部で十基あったが、五号機以降の筐体はつい数時間前に設置が完了したものであった。クララは一瞬新しい筐体に向かったが、すぐに乗り慣れた三号機を選び直した。
五名全員が筐体に収まるなり、ハーディの音声が入ってくる。
『間もなく第三艦隊が敵、第八艦隊との戦闘に入ります。戦闘としてはそれほど大規模ではありません』
「第三艦隊?」
エディタが思わず声に出した。それを聞いたハーディは「イエス」と短く応じ、情報を補足した。
『もちろん、これは欺瞞情報です。敵は今の今まで、ヤーグベルテ側の戦力は第三艦隊の哨戒部隊だと思っていたはずです。ですが……始まりましたね』
ハーディの呟きと同時に、筐体の中が完全に闇に落ちた。そして一瞬遅れて各種のモニタが光り始める。
『では、状況を投影します。見ての通り、第三艦隊の哨戒部隊というのは偽の情報です。当該海域の実働戦力は、無人制御で運用されている旧型の防空駆逐艦、小型砲撃艦、小型雷撃艦の合計十隻。これらは巡洋戦艦デメテルを旗艦としています』
「つまり、第一艦隊……」
『肯定です、エディタ』
ハーディはいつも通りの無機的な口調で説明を続けていく。
『本作線は、ヴェーラ・グリエール准将発案の艦隊殲滅作戦です。文字通り、アーシュオンの第八艦隊をおびき出して、殲滅するためのものです』
やはり見せる気だ。エディタは額に汗が浮き始めたのを意識する。その時、まだセイレネスを起動していなかったにも関わらず、エディタの意識の中に何かがアクセスしてきた。
『やぁ、エディタ』
「えっ……!?」
それは耳元で囁かれたかのようだった。錯覚というにはあまりにもハッキリしすぎていて、エディタは寒気すら覚えた。
『ま、そうなるね。ともかくもよく来てくれたね、みんな』
「提督……?」
『イエス。まぎれもなく、わたしはヴェーラ・グリエールだよ、エディタ』
ヴェーラの声は平坦だった。極度の集中状態にあるのか、それとも薬の影響か。エディタは下唇を噛む。
『さぁ、みんな。セイレネスを発動させるんだ。百聞は一見に如かず、さ』
「了解。セイレネス、発動します」
エディタが先陣を切る。闇の中に薄緑色の光が噴き上がり、エディタの意識を完全に飲み込んだ。