05-1-1:生贄と罠

歌姫は背明の海に

 第八艦隊が殲滅されてから約四ヶ月後、二〇九四年二月――。

 水平線近傍では数十機もの戦闘機が近接格闘戦ドッグファイトを始めていたが、マーナガルム飛行隊の三機はその戦いを完全に無視してひたすら西へと向かっていく。ヤーグベルテが増援として派遣してきたノトス飛行隊二十二機を迎え撃つことが、彼女らに与えられた任務だった。

『三対二十二とか、正気の沙汰じゃねぇな!』

 クリスティアンが愚痴っている。シルビアもその意見には全く同意だった。さすがにその発言を承認することはしなかったが。

「ところでクリス、その二十二機というのは正確か? いつもならその倍は来そうなものだが」
『どこを探してもそれ以外いねぇな』

 クリスティアンの言葉を受けて、シルビアはぴたりと横につけているフォアサイトの機体を見た。フォアサイトは相変わらずフラフラと飛んでいるが、何故かつけいる隙が全くない。ヤーグベルテの飛行士的には、最も相手をしたくないのがこのフォアサイトであるに違いないと、シルビアは思った。

「数が少ないのは幸いだ。制空権を取った後、敵の駆逐艦を掃討して帰投する」
『簡単に言うねぇ』

 クリスティアンの機体が単機、成層高度まで駆け上がっていく。戦闘の火蓋が切って落とされたということだ。

 シルビアは水平線に重なるような位置に現れ始めた超エース部隊ノトス飛行隊の機体を目視する。クリスティアン機とのレーダーリンクがあるので、位置と数は確認できている。

 流れるような動作で仮想キーボードを操作し、シルビアは瞬く間に全機をロックオンした。それとほぼ同時にシルビア機もロックオンされる。けたたましいアラートがコックピットの中で跳ね回る。

「さぁ、挨拶だ!」

 双方の機体から多弾頭ミサイルが放たれる。しかし、その戦力差は圧倒的だった。マーナガルム側のミサイルは全機が相殺されてしまったが、ノトス側のミサイルは百以上の弾頭を残していた。

 フォアサイトはフラフラとそれらを難なくかわし切り、シルビアは芸術的とも言える機動マニューバでそれらを次々と回避した。チャフを使うようなことすらせず、海面を利用して最低限の動きで逃げ切った。シルビアもフォアサイトも、海面からわずかニメートルの所を飛行していた。何機かは上空のクリスティアン機に向かったが、その大半はシルビアを目標と定めているようだった。

 上空と背後からの熾烈な攻撃がシルビアを襲う。シルビアは意図的に速度を落とし、追いすがる敵との相対距離を縮める。前を行くフォアサイトは完全にフリーになる。

「フォアサイト! 自由戦闘!」
『いえすまぁむ!』

 バチンと弾かれたように、フォアサイト機が急上昇する。シルビアを追っていた四機が即座に高度を上げるが、その直後に一機が火を噴いた。フォアサイトが上昇から反転、背面飛行に移った直後に放った対地ロケット砲が直撃したのだ。ロックオン不要の対艦掃討用火器がこのタイミングで放たれると予想するのは難しい。味方の爆風から逃れようとわずかに編隊が崩れたその間隙に、フォアサイトは突入する。ノトスも機関砲で迎撃を試みたが、フォアサイトには当たらない。しかし、フォアサイトの放った機関砲は面白いようにノトス機に吸い込まれ、新たに二機が産廃と化した。残り一機はシルビアによる対地ロケット砲で撃墜された。

 シルビアが半ば自由になってしまったのは、ノトス側の完全なる失策だった。この空域ではシルビアの実力は群を抜いていた。彼女と互角に戦えるのは、空の女帝エアリアル・エンプレスこと、カティ・メラルティン以外にはいない。

 空域を縦横無尽に駆け回るシルビアに対し、ノトスはロックオンすらできない状態だった。その一方で、シルビアは次々とノトス機を爆散させていく。今やシルビアは敵味方に白銀しろがねの魔女と呼ばれ、ヤーグベルテには恐れられ、アーシュオンには唯一エウロス飛行隊と互角に戦える飛行士アビエイターとして称えられていた。

 フォアサイトもまた、自由過ぎる空域乱舞を繰り返しては、破壊と死を量産していた。二人の流血の祭典を止められるのは、少なくともノトス飛行隊ではなかった。可能性があるとすれば、揃いも揃って狂った練度を誇るエウロス飛行隊だけである。

『シルビア、上空に来たヤツや無視していい。三機や四機、俺様の敵じゃねぇや』
「了解した。私もそこまで余力はない。頼むぞ」
『おうよ』

 シルビアは上空から電子戦闘支援を行いつつ戦闘するという曲芸を見せるクリスティアンに一瞬注意を向けたが、すぐにレーダーで背面につけつつある一機を確認する。

 シルビアはわざと気付かなかったふうを装って機動を緩やかに変化させる。案の定、ロックオンアラートが鳴り響く。直後、シルビアは機体を垂直に立てて、ノズルを前方に向けた。速度がほぼゼロまで落ちると同時に、機体がぐるりと前転し、敵機と真正面から向き合う形になる。慌てた敵機が機動を右に変えようとするが、シルビアはそこまで読んで機関砲を放っていた。数発がまともにコックピットに直撃し、キャノピー内が赤黒く染まったのが見えた。

 それを合図にしたかのように、ノトス飛行隊は散り散りになる。一旦体勢を立て直そうということだろう。ひとまず制空戦闘はこちらが勝ったという認識で良いだろう――シルビアはようやく肺の中の二酸化炭素を吐き出した。

『シルビア! ナイアーラトテップが攻撃を受けてるよぉ!』
「フォアサイト、当該の駆逐艦を撃沈しろ」
『りょーかい』

 答えるや否や、シルビアの視界の先で駆逐艦が爆発轟沈した。フォアサイトが放った対艦ミサイルが直撃したのだ。シルビアはそのフォアサイトを追いかける防空駆逐艦に向けて突撃し、その艦橋部分を対地ロケットで吹き飛ばした。その向こうにいた爆雷投下中の駆逐艦に機関砲を一連射すると、その数発が投下中の爆雷に直撃した。それは面白いように誘爆を引き起こし、その駆逐艦は完全に黒煙に包まれた。戦闘能力は奪ったと言っていいだろうとシルビアは判断する。海面に、人間や人間だったものがボタボタと追加されていく。

 一旦上空に避退しようとしたシルビアを再びロックオンアラートが包む。ノトスの残存部隊が体勢を整えて反撃に出てきたということだ。シルビアは高度を変えつつミサイルを回避する素振りを見せる。ミサイルが放たれた瞬間にチャフとフレアを撒き散らし、さも動転しているような演技をする。敵機はミサイルを放つと同時に追撃体勢に入ってくる。

 それこそがシルビアの作戦だった。海面とヤーグベルテの艦船を盾にして、危なげなくミサイルをかわすシルビアを追うノトス飛行隊の五機。しかしその五機は横殴りのミサイルによって半壊した。神出鬼没のフォアサイトからの一撃である。

 シルビアはヤーグベルテの艦船が、ナイアーラトテップによって海中に引きずり込まれるのを目撃する。いつものパターンだ。このあとはナイアーラトテップが一方的にヤーグベルテ艦船を蹂躙して終わるのだ。

「いや……?」
『シルビア、なんか変だよ。ナイアーラトテップが浮かんでる』

 そうだ、まるで膨らんだ水死体のように、ナイアーラトテップは完全に海面に姿をみせていた。その動きもめちゃくちゃで、手当たり次第に触手を伸ばして艦船を攻撃してはいたが、ほとんどが嫌がらせのようなレベルの攻撃で、最初の一隻以外に致命傷を与えられてはいないようだった。

『おいおい! マジかよ!』
「どうしたんだ、クリス」
『三百キロのところに艦影発見。大きさから判断してだ!』
「戦艦だって!? どうして気付かなかった!」
『無茶言うなよ、アイツらの隠蔽性能は、あちらさんのヘスティアと同等かそれ以上なんだよ!』

 シルビアは舌打ちした。浮かんでいたナイアーラトテップは薄緑色オーロラグリーンの光がほとばしったと思ったその直後、炎と爆風を撒き散らしながら粉砕された。

「一撃……セイレネスか……!」
『だな。艦隊司令部は艦影を戦艦と認識。こりゃ撤退だな。勝ち目がねぇ』

 クリスティアンがのんびりとした口調で言ったその直後、第三艦隊旗艦より撤退指示が出された。

「去年に引き続き、今回もまんまとおびき出されたというわけか」
『そーいうことだねぇ』

 フォアサイトが機首を返しながら言った。

『ヤーグベルテの狙いは、どうやら最初からうちのクラゲちゃんにあったみたいだね』
「近々、それではことを知るだろうな」
『だぁねぇ』

 フォアサイトの返答を聞きながら、シルビアは戦闘領域の状況を再確認する。敵機、敵艦隊は未だ戦闘圏内にいたが、撤退命令が出ている以上、どうしようもない。無駄な危険を犯す必要もないだろう。それにを後ろ盾にした敵艦隊が逆襲に出てくる可能性も大きい。一刻も早く領域を離脱すべきだ。

 シルビアは友軍機が全機退却を始めるのを見届けてから、悠々と機首を母艦に向けた。

「セイレネス……か」

 因縁浅からぬ。シルビアは大きく舌打ちした。

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